第8話

 ぱくり、とそれを頬張って。

 ……一瞬、固まる。顔には出ていないと思う。

 素知らぬ顔して咀嚼するが、少しばかり、必死だった。

 トマトが! 酸っぱい!!

 多分トマトだと思うんだけど、なんかめちゃくちゃ酸っぱい気がする。タルト生地はちょっとばかりぼそぼそしていて、なんか素材の味がこれでもかって程引き立ちまくっている。そんなに引き立てなくてよろしい!

 あたしはそれほどトマトが好きでも何でもないので、必死にそれを飲み下し……そういえば、と昼間の記憶を思い起こした。

 昼間にいただいたサンドウィッチっぽいものも、素材の味がめっちゃ際立ってた気がする。さっきのサラダはそこまででもなかった気もするけど……でも確かにオニオンっぽい物のスライスは辛めだったし、葉っぱはちょっと青臭さが目立った。トマトは入っていなかったから、そこまで気にはしていなかったんだけど……

 ということは、この世界ではそれが普通? 美味しいの概念? え、それってあたし、生きていける? 素材の味がこんだけ主張するのがこの世界のご飯???

 異世界転生して、ご飯が好みじゃない、みたいな話はたまに読む。だいたいそういうお話は、主人公が調理することでご飯がとってもおいしくなる。ということはつまり、これはあたしもそれに倣ってご飯作ったりした方がいいやつ……?

 料理は化学だ。成分さえわかれば、たぶんどうにかなる。けれど、こんな全力全開の魔法世界で、科学技術なんてあるんだろうか。魔法で代わりになっているものは、多分きっと、いっぱいあるんだろうけど。

 あとこんなに主張する素材を上手いこと調理できるかと言われると正直そこは自信がない。あたしは料理人でもなんでもない、ただの一般人なので。


「このお料理はー、この世界では一般的な感じですー?」


 久美子がそう聞いて、魚のソテーのようなものをもぐもぐしている。あたしは何とかトマトとの格闘を終え、まろやかを越えるもったりした感じの……たぶんアボカドっぽいものがのっかっていたクラッカーのようなものを食べ終わり、素材がかけらもよくわからないテリーヌ的な何かを口に運んでいた。食感はとてもいい。柔らかいしふわっとしている。味は、なんか、はんぺんみたいな。

 先ほどまでの暴力的な素材の味に比べたら、かなり優しく美味しく感じた。


「そうだな……」


 クオンさんは少し思案した様子を見せると、ちらりとそばに控えていたカイルさんを見る。カイルさんは一つ頷き、貴族やそれなりに裕福な家庭であれば普段から食す料理です、と述べる。


「家庭料理という分野とは少し外れますが、料理自体は一般的なものかと」


 にっこり笑い、カイルさんはまた静かに控えると、今度はやや年かさのメイドさんがクオンさんのお皿を手早く取り換えながら、ニコニコとした笑顔で続ける。メイドさんは、明るい茶髪を頭の後ろで一つにお団子上にまとめあげ、深い緑の瞳はとても優し気な雰囲気で、とびぬけて美人という感じではないがとても愛らしい顔立ちをされていた。カイルさんも整った顔立ちの方だと思ったけども、この世界の方々は皆さま本当に綺麗なかたばかりだな?

 あ、いやでも兵士さんには普通の感じの人のよさそうな顔の方とか親しみやすい感じの方もいたから、クオンさんの周りがたまたまそうということなのだろうか。


「お料理は坊ちゃんがこだわる数少ない娯楽でもございますからね。料理人も日々精進しておりますので、お口に合えばよろしゅうございますが」


 メイドさんはそう言って、あたしたちの方を見て微笑む。


「……坊ちゃんはよせ」


 クオンさんが少し複雑そうな表情でメイドさんを見るが。


「坊ちゃんがご結婚された暁には、旦那様と呼ばせていただきますよ」


 平然とメイドさんはそう言うのみだ。クオンさんはやや憮然としながら、それは永遠に呼ぶ気がないな、とため息をつく。そんなやり取りを眺めつつ、あたしは無事に次のお皿へ到達し、お魚のバターソテーのようなそこそこおいしいお料理を頂いて……ふと、クオンさん結婚してないのか、ということを疑問に思った。

 これだけ裕福で見目もよく、あたしらとそれほど変わらない年齢の独身男性って、あたしたち現代の感覚で言うのなら、割と女性にほっとかれないと思うんだけど。邪推はよくないが、性格に何か致命的な欠陥でもあるんだろうか。

 まーでも異世界だし、この世界は結婚の年齢や概念が違うのかもしれない。


「クオンさんは独身なんすか」


 もりもり食べてお皿も残りあと1枚になった和也が、クオンさんに何げなくそう問いかける。カイルさんとメイドさんが少しだけ目を瞬かせ和也を見たが、クオンさんは普通の様子で、俺は魔道士だからな、と返した。


「魔道士だとご結婚できないんです?」


 別のちょっと若いメイドさんにお皿を交換してもらいながら、あたしは少し首をかしげてそう問えば、クオンさんが少しだけ驚いた顔をしてから、ああそうか、と納得し一度頷く。


「そういえば、魔道士がいない世界から来たんだったな」


 クオンさんの言葉に、ちらり、と視線をこちらへ向けてきたのはカイルさんだった。少しだけ面白そうな視線を感じるが、気にしないふりをしながら頷いて、魔法自体がないようなものだったので、と答える。


「一般的にはそこまでではないんだが……ある程度、一定以上魔力がある魔道士の結婚は、少し特別でな。最近だと、魔力の強い魔道士は婚姻を結ばないことの方が多いんだ」


 クオンさんは苦笑してそういうと、もちろん必ずではないが、と補足してくる。


「魔法を使う上で魔道士には何かと制約がある。興味があるなら、今度そちらの世界の話と引き換えにでも教えよう」

「あ、ぜひお願いします」


 あたしは即答でお願いし、カツレツのようなものを切り分けながら、何のお肉だろう、なんて考えながら、ぱくりと一口頬張った。味も食感も普通に、柔らかい牛のような感じがするんだけど。

 普通に牛とか豚とか鶏とか、食用に育成されてるのだろうか。そういや魔物がどうとか言ってた気がするし、生態系や諸々があたし達と同じかどうかもわからない。このお肉も食べた感じは牛っぽいけれど、本当に牛かどうかはわからなかった。

 そうしていくらか話もしつつ、素材の暴力のような料理と普通においしい料理が入り混じった感じの食事を終え、あたしたちは食後のお茶を頂きながら、少しだけ今後の話をさせてもらった。


「……というわけで、生活必需品の買い出しなんかにも行きたいと思いますし、こちらでお世話になる以上多少は何かやれることがあればやらせていただきたいと思うわけですが」

「なるほど。まあ、ここに居る限りは問題さえ起こさなければ自由にしてくれて構わないが……」


 クオンさんに一応、買い物に行きたい旨と、さりげなく料理とかお洗濯とか手伝わせてもらえないかなーなんて感じでお願いをして、その辺はカイルさんやメイドさんに聞きながら好きにしていいという許可をもらった。

 ついでに、最初に話に出ていたペンの作り方や構造なんかを教えて欲しいという件には、文字を覚えてからの方がいいのではないかという説明をし納得してもらい、あたしたちはカイルさんからこの世界の文字も教えてもらえることになった。どうやらこの世界の識字率はそこまで高いというほどではないが、この国に限って言うならば、識字率は高い方らしい。文字が読めないのは不便するだろう、とカイルさんも快く引き受けてくれたのがありがたい。最悪文字さえ覚えれば、しゃべれなくても意思の疎通のための最低限の筆談くらいならできる可能性がある。

 単語帳みたいなのでもあれば手っ取り早いんだけどなあ、なんて。言語を覚えるには正直、それが一番手っ取り早い。結局どれだけ単語を知っているかどうかが語彙力と理解力に影響するし、文法はともかく単語を並べれば意外と意思の疎通は何とかなるし。

 あとは貨幣価値が理解できれば多分ひとまず、何とかなるだろう。


「それじゃあ、俺はもう少し仕事があるから、あとは何かあったらカイルかノーラに聞いてくれ」


 そう言ってクオンさんは席を立ち、執事さんと年かさのメイドさんを示すと、そのまま食堂をあとにした。あたしたちも席を立ち、後姿を見送りながら、まだ仕事か大変だなあ、社畜か。なんてくだらないことを考えてしまう。

 よし、こちらのメイドさんのお名前はノーラさんというのも覚えたぞ。


「えーとそれじゃ、さっそくなんですが、ノーラさん?」

「はい、なんでございましょうかお嬢様」


 年かさのメイドさんはにこにこしながらこちらへ向き直り、あたしに穏やかに応えてくれる。

 うう、そのお嬢様っていうのとてもムズムズするんだよなあ。


「あの、ええと。お嬢様とかいう身分でもなんでもないので……あたしは星沢結衣と申します。ユイと呼んでください」


 できたらカイルさんも、とそばに居たカイルさんにもそう声をかけると、カイルさんが笑って頷き、かしこまりました、と一言。同じく久美子も和也もそれぞれ、


「佐倉久美子ですー。クミコと呼んでくださいー」

「稲垣和也です。俺はカズヤでいいんで」


 名乗りがてら、よろしくお願いします、と三人でそれぞれ頭を下げる。それを見てだろう、顔を上げたらノーラさんとカイルさんが少し驚いた表情をしており、あーそう言えばアレンさん達も驚いてたっけ、と気づいて補足を入れることにした。


「あ、これはあたし達の世界ではただのご挨拶なので! 礼をするとき頭を下げる習慣があると言いますか」

「ああ……なるほど、そうなのですね」


 カイルさんがふっと笑顔になり、胸に軽く右手を当てて、右足を引き腰を落とした。

 頭は下げないけど、礼なんだな、というのがなんとなく分かった。同じようにノーラさんも礼を取っており、これも覚えておこう、とインプットする。慣れないと左足、辛そうだけど。


「我々の挨拶はこう行います。頭を下げる礼もありますが……主に貴族が使われる挨拶になりますね」


 夜会などではそういった挨拶もありますよ、とカイルさんは笑うと、同じように軽く胸の前に手を当てて、足を引き頭を下げる。

 なるほど、ボウ・アンド・スクレープにちょっと似ている。ということは女性のカーテシーもあるのだろうか。ついでだ、確認しておこう。


「ということは……こういう感じのご挨拶もあります?」


 見よう見まねのカーテシーだが軽くとってみると、カイルさんは目を丸くして、ええ、と戸惑ったように笑い。


「貴族の女性がそういった礼をされることもありますね。ご存じなのですか」

「あー、と。あたしたちのところにも似たような挨拶がありまして……」


 苦笑しながら答え、脳内の常識から中世の貴族辺りを引っ張り出してくる。もしかしてこの反応から、その辺の礼儀作法は使えるかもしれない。さすがに、書物や映画くらいでしかしらないけども。


「それでは皆様はどうされますか? お部屋に戻られますか?」

「ええとー、差し支えなければなんですがー……よく使いそうな場所を少し、案内していただいてもよろしいですかー?」


 久美子がそうノーラさんにお願いをすると、ノーラさんは優しい笑顔で、かしこまりました、と答えてくれる。


「それでは、離れの方へまいりましょうか。あちらで過ごされるのですから、まずはお部屋の周りからご案内いたしましょうね」


 ノーラさんに連れられて、あたしたちは再び長い渡り廊下を通り、通された部屋の近くへ戻った。まずは簡易的な炊事場に案内され、お茶等はここで簡単に用意していいということを教えていただいた後、トイレの場所を教えていただく。

 ちらりと覗いたトイレは個室でなおかつ洋式トイレのような感じで、ちょっと胸をなでおろした。トイレは大事だ。プライベート空間だ。けれどぱっと見、紙がない。どうすんだこれ。

 使い方も聞いたところ、紙の代わりは、洗浄の魔法をかけてある容器の中に入っているスポンジのようなものらしい。使いまわすのか……洗浄されるとわかっていても、少しばかり、気が滅入る。それ以外では例のクリスタルを使って水を流す水洗トイレとほぼ同等だった。ということは、下水道の設備があるのだろうか。まあでもあたしらの世界の昔にもあったしな。あってもおかしくはないだろう。

 買い物に出るときこの世界の生活水準とか諸々もチェックしてみるのもいいかもしれない。


「こちらが、使用人が利用する浴室となります。過去はお弟子さん達も使ってらしたので、皆様もこちらをご利用いただければ」


 続いて案内されたのはお風呂だったが、残念ながら浴槽はなかった。というか、3つ並んだ小さな部屋で、広いシャワールームと言われても納得するようなものだった。浴室と翻訳されたのはおそらくあたしたちに理解しやすいようにこのサークレットが勝手にしてくれたのだろう。すっごい便利だ。ドアは材質不明でつるっとしており、きちんとそれぞれの部屋には内側から鍵がかかる。中に誰かがいる場合、ドアの真ん中の透明な水晶が赤く色づくらしい。

 それぞれの部屋の中には、出入り口のドアの近くに少し高い棚が設置されており、服やタオルを置いて置けるようになっていた。奥は洗い場で、クリスタルを使い、ホースのないヘッドだけのシャワーの先から温水が出てくるものが設置され、固形の石鹸とへちまのようなスポンジが置いてある。少し大きめのたらいのようなものと、何か細々したものを置けるような小さめの棚、小さな背もたれのないバスチェア的な椅子もおいてった。シャワーヘッドもどきはどうやら普通に手に持って動かせるものなので、感覚としはシャワーという認識でいいのだろう。温水はクリスタルが中で発生させるらしくシャワーヘッドは思ったよりは少し重いが、ホースがないのは便利そうだった。ヘッドの先端についているクリスタルに触れて、思念で温度調節や水量調節ができるらしい。便利すぎないかこの世界。


「石鹸はこちらをお使いください。お気に入りのものがございましたらご用意いただいても構いません」


 設置されていた石鹸とスポンジを示し、私は好みの香りの石鹸を使わせていただいています、と言ってノーラさんは笑う。

 ということはまあ、洗顔料とかは一応お土産に入ってた分を使っても問題ないか。どのくらいいることになるかわからないけど、成分的に場合によっては、自作することも考えなくてはいけない。


「石鹸って、この種類以外もあります? 液体とか、シャンプーとか」


 ノーラさんに聞いてみるが、ノーラさんは首を傾げ、いえ、と小さく首を振る。


「基本的に石鹸はこちらの固形のものになりますね」

「えっと……そうすると、髪とか結構硬くなっちゃうと思うんですけど、お手入れどうされてます? ノーラさんの髪の毛はそんな感じしないんですけど」


 固形石鹸で髪を洗うとまあ、大変なことになる。それを踏まえて聞いてみると、ああ、と顔を綻ばせ。


「入浴前に、先ほどの炊事場に、専用の果実が置いてございますので持って入ってくださいませ。洗髪後に、こちらの容器にお水をため、果実を絞った湯を作り、それで髪を整えます」


 そのあとオイルを使う場合もございますよ、と説明され、なるほど酸性リンスか、と理解した。おそらくその果実とやらはレモンのようなものだろう。

 ということはとりあえずこちらのルールに従ってお風呂に一度入ってみて考えればよさそうだ。洗顔料だけはあたしたちの世界のものを使わせてもらおう。

 成分分析、出来るかなあ。できたら何とかして似たようなもの、自作できないだろうか。そういえば久美子からのお土産に手作り化粧水とか乳液があったな? 相談したら化粧品、作れるかもしれない。


「オイルはお肌の保湿にも使いますし、後ほどお分けしてお部屋に少しお持ちいたしますね」


 ノーラさんの有難い申し出に感謝して、そのあとは炊事場横の洗濯場も確認させていただき、クリスタルを使った洗濯機のような何かを見て魔法すごい! と感動した後、あたしたちは一度そのまま部屋へと戻った。

 この世界すごいな。科学なくても魔法でだいたい何とかなるのか。というかほぼ似たようなものがあるということは、人が求めたり発想するものはえてして同じになるってことなんだろうか?

 そんなことを考えながら、ノーラさんからオイルをもらい、バスタオルも貸していただきさっそくお風呂へ向かってみる。

 浴槽、欲しいなあ。たらいみたいなのあるし、桶とかで五右衛門風呂作れたりしないかなあ。和也あたりならその気になったら作れるんじゃないだろうか。

 そんなことを考えながら、あたしたちの初めての異世界の夜は深くなっていったのだった。

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