第7話

「情報料、ですか?」


 和也が首をひねり、ちら、とあたしを見てくる。あたしは視線をクオンさんに向け、例えばそのチョコとかでいいんです? と聞き返した。

 チョコの作り方でお金をもらうとか、ちょっとずるい気もするんだけども。


「まあ、そうだな。それもあるが……今一番気になっているのはその、ペンだな」


 ちらり、と久美子の手元のペンを見てから、久美子の顔を見てクオンさんは、少しだけ険しい顔をする。たぶんこの、少し眉間にしわを寄せた顔は、彼の思案顔なのだろう。


「魔力の籠っていない携帯用のそういったペンは初めて見る。インク漏れもなさそうだし、ずいぶん、便利そうだ」


 クオンさんは少し顎をさすって、そのあとはそのまま、チョコの箱に視線を落とした。

 ……本音は、だいぶチョコ、気になってるんじゃないのこれ。


「菓子もその……正直、美味かった。今まで食べたことがないものだったし、可能なら料理人に作らせたいと思う」


 甘いものは苦手というより、好きな方らしい。

 クオンさんはそう言ってから、まっすぐあたしの目を見、さっき述べた材料があれば作れるものなのか? と聞いてきた。

 うーん、とあたしは腕を組み、返答に窮する。さてなんと答えよう。


「材料も作り方もわかります。手順をちゃんと理解してて、道具と材料が全部あれば、似たようなものはできるでしょう。けど、チョコはちょっと特殊なものなので、これと全く同じものにはならないかと」


 これ、と言いながら先ほどのチョコの箱を指示した。魔法技術がどういったものか、今のあたし達にはわからない。工業技術と同じようなことができるとしても、チョコはちょっと、大変だと思う。

 あたしの言葉に、そうなのか、とクオンさんは少し残念そうな顔をして。因みに、とあたしを伺う様に見て。


「君はこれ、作れるのか?」

「……似たようなものなら?」


 できるかどうかと言われたら、出来るといってもいいだろう。

 やりたいかやりたくないかでいうなら、極力やりたくないけれど。

 あたしの返答に、ふむ、とクオンさんは顎をしゃくって、先ほどのペンならどうだ? と聞いてきた。あたしは渋い顔をして、そのまま和也を見る。


「仕様とか、何でそういう風になるのかとかは説明できますけど……作るのはちょっと。和也ならもしかしたら、出来るかもくらい?」


 和也の仕事は、いわゆる技術職で、加工技術にたけている。とある色々な下請けもする部品工場に勤めていて、もちろん機械や道具を使った作業らしいが、金属加工や木材加工がもともとかなり得意な方だ。手先が器用、というにしてはちょっと度が過ぎるほど器用だったりする。そのため普段イベントで、いわゆるコスプレというものを楽しむ久美子の衣装のあれこれを、だいたい全部引き受けているのが和也なのだ。

 この世界にある素材や道具を使えば、もしかしたら和也なら、似たようなものは作れるかもしれない。


「設計図とか道具があればまあ……ボールペンにはならないかもしれないけど、携帯用のペンって括るなら」


 和也も似たようなことを考えたようで、顎に手をかけ腕を組み、たぶん作れるんじゃないか、と呟いた。そのまま暫くブツブツと作り方を考え始める。

 できそうだ、と思ったらついやってみずにはいられないのだろう。その気持ちは、すごくわかる。

 クオンさんはなるほどと一つ頷いて、それならば、といくつか確認をしてきた。


「俺としては、君たちのその情報や技術を買いたいが、そもそも現段階ではそれが本当に使えるかの真偽がわからない。技術的にも、一朝一夜でやり取りできるものでもないだろう」

「まあ、そうですね」


 クオンさんの言葉に同意すると、クオンさんも頷いて、そこで、と新たな提案を提示してくれる。


「手続きや費用諸々は、俺が一時立て替える。その代わり、君たちの身柄を俺に預けてほしい。悪いようにはしない」


 と。

 それはある意味で魅力的な、そしてある意味ではとても怖い提案をしてきたのだった。



 †



「はーぁ……」


 ごろん、とベッドに寝転がり、あたしは見慣れぬ天井を見上げた。

 ここは、クオンさんの自宅というか……敷地内にある離れの一室。あたしの感覚で言うならば、8畳ほどの広さの、いたってシンプルな部屋だった。

 クオンさんは予想通りというかなんというか、とても、すごく、すごい人のようだった。語彙力がたりない。

 詳しいことは分からないが、クオンさんのおうちは昔、弟子をとるほどの大所帯だったらしく、その時のお弟子さんが使っていたらしい部屋をそれぞれ、あたしも久美子も和也も一室ずつ貸してもらえることになった。どうやら今はお弟子さんはいないらしいが、本宅やお庭など敷地を含めていまだに広いところにお住みのようで、執事さんやメイドさんなんかもいらっしゃるらしい。すごい。現代日本ではそういうお店でしか見たことない。

 街へ入るための費用も立て替えていただき、あたしたちは荷物を確認されたのち、謎の用紙に謎のインクで謎の言葉を記載され、入国手続きとなったのだ。名前だけは自分で、あたしたちの言語でいいからと記載して、人差し指の先をちょっとだけナイフで切られ、血判をおした。

 もうこれが、意味わからなかった。

 曰く、血は最も魔力が含まれているとのことで、魔法を知らないあたし達でもこれなら問題なく魔力が使えると言われたのだが……まさか血判を押した途端、さっきまで普通に書いていた紙が、ふしゅっとまるで光の砂粒にでもなる様に溶け、一緒に置いてあった登録用のクリスタルと呼ばれるものらしいそれに砂粒が吸い込まれていったのだ。

 いやもうね、固形物に固形物が吸い込まれるとかどういう現象なのか。本当によくわからない。

 そしてそのクリスタルが淡く光り、無事に登録が終わったと告げられた。

 さらにそのあと、切った指先をクオンさんが何か呟き、一瞬で治してくれたのも意味が分からない。これが魔法か。すごすぎないか。ゲームの世界で見たやつじゃないか。

 そうしてクオンさんのお宅へ、なんと馬車で送り届けられ……クオンさんも一緒に帰宅し、あたしたちに離れの部屋を提供してくれて。

 あたしたちがイメージする執事さんよりは若く見える執事さんと、その執事さんより10歳以上は確実に年上だと言い切れるメイドさんの二人に、部屋を簡単に整えていただき、簡素な服も寝間着として貸していただいた。とりあえず明日以降、お洗濯の仕方とか場所とかも聞いておこうと思う。

 それと、残りの食べかけのチョコレートと、まだあけてないチョコレートは、そのままクオンさんに買われていった。どうも本気で気に入ったらしい。貨幣価値はわからなかったが、クオンさんのご厚意そのままに買い取っていただき、お金は三人で分けておいた。おそらくそれを想定していたのだろう、たぶん、高く買い取ってくれている気がする。貨幣価値、早く覚えないとなぁ。

 色々時になることも思うところもあるが、ひとまずは夕食まで休んでいていいとのことで、部屋に引っ込み、現在に至る。

 ベッドの横の窓はからは、沈みそうな茜色の夕日と綺麗なグラデーションに、闇の帳がおりかけているのが見える。

 何も、変わらないのに。

 ため息が漏れる。

 本当に異世界なんだろうか、と。初めは少し、思ってもいた。否定したかっただけかもしれない。日本の裏側の別の国と、思い込みたかっただけなのもある。

 けれど。

 例えば、さっきの謎の紙。例えば、この部屋のライトの代わりの光る石。例えば、最初の飛動船とやらの光る梯子。

 どれも、あたしの知識の範囲外のシロモノだ。

 ため息は尽きない。

 あたしは少しだけ、人よりすこぶる記憶力がいいという特技を持っている。それのせいで少しばかり、人から嫌煙されることもあるため、あまり自分では好きな特技ではないが、便利な特技だとも思っている。見たものや読んだもの、聞いたもの。意識して覚えないと思わない限りは、なんとはなしに目にしたものでも、写真のようにすべて思い起こし、記憶しておくことができてしまう。

 そんな、あたしが。

 ……確実に、見たことがない、と言い切れるシロモノで。

 無論、世界の技術全てを知っているなどと驕っているつもりはない。けれど、そんなに便利なものなら、多少なりともこの時代、耳にするくらいはあってもおかしくない。

 それがない、ということは。

 ……やはり、知らないところ、なのだろう。

 まいったなあ。これからどうしよう。

 少しだけ瞼を閉じ、考えた。

 例えば家族とか、仕事とか。気になることはいっぱいあった。考えても仕方ないけれど、こんな時だからなのか、余計に色々、浮かんでしまう。

 ため息と一緒に軽く首を振り、振り払いつつ瞼を開く。ひとまずは、先のことを考えるべきだ。

 むくり、とベッドから起きあがり、腕を組む。クオンさんが知りたいことを教えたり、似たようなものが作れたら、クオンさんが買い取ってくれると言っていた。多分あたしの記憶力から引っ張り出したら、彼が考えているよりも色々なものを彼に提供することができるだろう。覚えてなくても多少なら、電池が持つ限りはタブレットやスマホにも情報は残っているはずだ。うまくすれば、生活基盤を整える程度のお金は、何とかなるかもしれない。

 それと同時進行で、なるべくこの世界の言葉を覚える必要があるだろう。サークレットを借りているとはいえ、何かのタイミングで使えなかったときに意思の疎通ができないのは困る。読み書きができないのも困るだろう。この世界の識字率がどの程度のものかはわからないが。

 可能であれば、世界情勢なんかも知りたいところだ。元の世界へ戻る手段を探すとしても、この世界の情報がなければどこを探していいかもわからない。魔法についても同様に知りたいところでもある。よくあるゲームやなんかだと、魔法で世界転移なんて話もよくあるし、もしかしたらそういったものの可能性も……

 ん?


「あれ……?」


 魔法で世界転移。

 仮にそうだとしたら、魔法を使った存在がいるはずだ。

 よくあるお話だと、たとえば誰かが召喚して、とか、門を開いて、とか。あるいは神様の気まぐれで呼び出されて、とか。そういった話をよく聞くんだけど。

 今のところ、召喚主と思しき存在や、神様だとかにはあった覚えはない。忘れさせられてるとかならわからないが、少なくても記憶にはない。

 うーん。魔法とかじゃ、ないのだろうか。でもそんなことってありうるの?

 腕を組んだまま首をひねるが、そもそもこの現状そのものが、ありえないことの目白押しだ。まあ、そんなこともあるのかもしれない。

 と。


「お嬢さん、夕食の支度が整いましたよ」


 とんとんとん、と軽いノック音と、同じくらい軽い男性の声が響く。先ほど案内してくれた執事さんだろう。初対面でこんなこと言うのも申し訳ないと思うが、執事さんとしては割と軽そうにみえたので。


「あ、ありがとうございます。今行きます」


 ベッドを降りて、靴を履く。廊下にはカーペットが敷かれていたが、基本どうやら、土足らしい。

 部屋を出れば同じように、久美子も和也も顔を出していた。二人とも何ともすっきりしない顔をしていて、きっとあたしも似たような表情をしているのだろうな、なんて思う。


「夕食は本宅のダイニングなんで、こっちへどうぞ」


 あたし達より少し年上くらいの、カイルさんというらしい執事さんが、にこっと笑って案内してくれる。淡い茶髪をショートに整え、少し長めの前髪を軽く上げておでこを出した、あたしから見たら背の高い男性だ。180センチくらいはあるんじゃなかろうか。体型も細すぎない程度のすらっとした姿で、ちょっとだけなんかこう、チャラいな、なんて印象を受ける。そのせいか、翻訳されてると思われる言葉も、なんだかちょっと、口調が軽い。

 黒いいかにもなスーツのようなお洋服は、ぴっちりしっかり着こなしているんだけど。

 広い窓のついている長い渡り廊下を通って本館へ入り、カイルさんを先頭に、あたしたちはダイニングへ入った。大きな四角いテーブルは、綺麗なクロスがかかっていて、20人くらいは席につけそうな大きさだ。椅子の数は半数くらいなんだけど。席と席の間が広い。

 クオンさんはもう席についていて、あたしたち三人もほど近い食器の用意された席へ案内され、少しためらいつつ席に着いた。


「部屋は問題なさそうか?」


 席に着くと、クオンさんがそう聞いてくれる。お弟子さん達をとらなくなって久しいらしく、あたしたちの使わせてもらうことになった部屋はしばらく使っていなかったそうだ。


「大丈夫そうです。ありがとうございます」


 笑いながらそう答える。ちらりと久美子と和也をみれば、二人も頷き、問題ないです、と口々に述べた。クオンさんは少しほっとした様子で一つ頷くと、何かあれば言ってくれ、と大変ありがたいお言葉を頂く。

 ひとまず衣食住のうち、一時的とはいえ食と住が保証された。


「明日以降の話もしておきたいが……ひとまず、食事にしよう」


 クオンさんがそういうと、心得たようにメイドさんが二人、食事を配膳してくれる。

 食卓に着いているのはクオンさんとあたし達だけ。なんだか少し、気後れしてしまう。


「いただきます」


 なんとなく癖でそう言ってから、目の前のサラダに手を付けた。食事の内容はコースメニューにありがちな感じだが、一品ずつ出てくるわけではなく、前にすべて並んでいる。だから席と席の間が広いのかと納得した。カトラリーはそれほど多く種類を置いているわけではなく、そのまま使っていてもいいのだろうな、と推測する。

 ちらりとクオンさんを盗み見れば、目の前のお皿を空にしたら、次のお皿をとってもらっている。パンは前のかごに積まれていたが、手元近くのお皿にひとつ載っているのを見ると、自由にいつでも食べていいのだろう。なるほど?

 ひとまずしゃくしゃくとサラダをかじって……それほど多くもなかったため、お皿を綺麗に空にして。お野菜はシャキシャキだけど、ドレッシングがなんだかちょっと、イマイチだった気がする。

 空になったタイミングで、さっとメイドさんがお皿を下げてくれ、お次はどちらをお持ちしますかと聞いてくれた。


「うーん……」


 コースメニューにある感じの、スープはない。少しだけ迷い、前菜としては少し重そうだけどメインとは言えないだろうな、くらいの、二口サイズくらいの種類の違う料理が3つ乗っている皿を示した。


「うちは料理人が結構頑張ってくれている方でな。口に合うといいんだが」


 クオンさんはそう言いって、ぱくりと何かのお肉を口に運ぶ。料理人までいるのか、と思いつつ、そういえばチョコの時も料理人に作らせるとか言ってたような気がしたなあ、と思い出す。

 ということは全体的に、料理の味は自慢なのだろうか。

 そんなことを考えながら、あたしは小さいキッシュのような、トマトっぽいものが乗ったタルトのような何かを口にした。

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