第6話

「ちょっと突飛なことを言わせてもらうなら……たぶん、世界が違うんじゃないか、と俺は考えてます」


 おそらくあたしたち全員の脳裏に浮かんでいたであろうことを、和也が考えながらも言葉にし続ける。


「少なくても、俺たちの知っている国ではないし、技術も常識も、俺たちの生きてきた世界とは違うし。

 知らない遠方でそんな世界が広がってた、とか言われたらさすがにわからないですけど、知る限りはここみたいな国や技術を聞いたことがない。そのあたりの諸々を踏まえると……まあ、ちょっと信じられないんですけど、ここは俺たちのいた世界とは違うのかな……と思います」


 普通に聞いたら、冗談だと思うような話だ。ふざけていると怒られてもおかしくはないような内容だし、実際に考えたらそんなこと信じられるはずもない。

 はずもない、が。

 今のところの情報を整理すると、どうしても、その考えを拭い去ることはできない……どころか、その信じられないことを肯定する材料しかそろっていないのだ。

 クオンさんは少しだけ目を見張り、あたしたち三人を見つめる。


「それは……その、なんというか……

 確かに少し、信じがたい話だな……」


 クオンさんはそれだけ言うと、視線を机へ落とし口元を軽く手で覆い沈黙した。

 まあ、気持ちはわかる。他人事のように考えてしまう。

 確かにあたしたちの世界には、異世界転送、とか、異世界冒険、とかいった話は珍しくない。

 珍しくないが、それはあくまでゲームや漫画、物語の中の話だ。

 よくあるお話の中には大体、異世界から召喚されて云々、実は特別な能力があってどうこう、気が付いたら異世界でした等々。

 あるいは場合によったりしたら、ゲームの中に取り込まれちゃったぜ☆ みたいなお話や、どこぞの邪神様の気まぐれで、かくかくしかじかまるまるうまうま、というような流れもあったりなかったり。

 まあいろいろとフィクションの中ではありふれたもので、もちろんあたしもそれは色々と読んだことくらいはある。

 しかしまあ、こうして現実になるなんて思いもよらないことだったし、そんな非科学的な夢物語のようなお話は、創作だからこそ楽しめるものであって――……

 だからね、つまりね。

 ありえないだろと。こんな展開。

 つーか普通に考えておかしいでしょ。大体なんなんだ異世界って!

 いやそもそも、何をもってして異世界と定義するのか。自分がいたところと違う世界だから異世界? 単に自分が知らないだけで地球の裏側だって可能性だってもしかしたら僅かくらい……

 っていうか、よくある物語の主人公の皆々様は、いったいどこで自分が異世界にいると気づくのか。何をもってして異世界とするのか。

 明らかなゲームのようなステータスコマンド? チートっぽい能力? 神様のお告げ? そのくらいぶっ飛んでたら確かに異世界って言えるのかもしれないけどさあ!!

 こんな! 普通のちょっと田舎みたいな景色で!! ステータスとかも別になさそうな、しいて言うならちょっと外国かな程度の雰囲気の方々と町並みで!? 何をもってして異世界だとすぐに断定できるのか! すげえな異世界行った皆々様、あたしゃそんなのわからんかったよ。

 現実として、今でもまだいやそんなはずないだろと頭の片隅で聞こえてくるからね! 受け入れたくないだけなのかもしれないけど。

 沈黙の間にそんなことを考えつつ、いただいたサンドウィッチを無事に平らげ腹もくちくなり、ゆっくりお茶を頂いたら気分もだいぶ落ち着いてきた。

 とりあえず異世界と仮定するのなら、ここでクオンさんの信用をある程度は得ることと、いくつかの交渉をしておかなくてはならない。少なくても、活動資金と情報は必要だ。


「えっと……クオンさん。少しこっちで相談してもいいでしょうかー?」


 久美子が沈黙を破り、クオンさんへ声をかける。こちらも食事は終わったらしい。


「ん? あ、ああ。もちろん構わない」


 はっとしたようにクオンさんが顔を上げ、一度頷く。それを確認し、ありがとうございます、と久美子は笑みを見せてあたしと和也を見て、軽く椅子を下げる。これでだいぶ会話しやすくなった。

 ……でもなあ、目の前にクオンさんもいるしめっちゃ筒抜ける状態で相談も何も……あ。

 この借りてるサークレット外したら、とりあえずは話の内容は伝わらないで会話はできるかも。

 別に聞かれて困るわけでもないけれど、クオンさんを気にしながらでは気が散ってしまうのも事実だ。……うん。


「あの、別に聞かれて困るわけじゃないんですけど。どうしても気になってしまうので、これ外してあたしたちの言葉で相談しますね。」


 クオンさんにそう宣言する。クオンさんは一瞬ちょっと驚いたような表情を見せたが、ああ、と一つ頷いて答える。


「その方が今後の話もしやすいだろう。構わない」

「ありがとうございます。……因みに外し方ってどうすれば?」

「前のクリスタルに触れながら外したい意識を向け、後ろ側を軽く上にあげればそのまま外れる」

「ほうほう」


 言われた通り、右手をサークレットの額のあたりにあるクリスタルに軽く添え、左手で後ろ部分に手をかけて……外したい、と念じてみると、最初にサークレットが締まる前ほどの緩さにゆるんだ気がする。そのまま上にあげてみると、難なく外すことができた。

 なるほど不思議だ!


「とりあえず、と……」


 サークレットを机の上に置き、カバンを漁り手帳を取り出し、メモページを開いた。手帳にさしていたボールペンでそのまま、箇条書きに気になることをメモしていく。文字に書きだすことで、自分の頭の中を整理するという意味合いもある。

 その間に久美子と和也もサークレットを外し、同じようにそれぞれメモとペンを取り出していた。二人も自分が気になることを軽くメモしている。習慣的に、メモを取る、ということをよくするあたしたちなので、まあ似たような行動になるのは仕方ない。

 えーとまずは、ここからの帰り方に、お金問題。っていうか衣食住がないと人は心が追いつめられるからよろしくないのでその部分の打ち合わせ。あと、エルフとか言ってたあたりや魔物が出るってあたりも気になる、それから……正直なことを言うなら、魔法にはとても興味がある。


「えーとまずは……一番気になってるのは、帰り方かな」


 あたしはそう二人に声をかける。久美子も頷く。


「そうねー。ていうかどういう流れで私たち、ここに着ちゃったのかなーっていうのも気になるかもー? それがわかればどうやったら帰れるかもわかるかもしれないしー」

「確かに。でも気づいた時はよくわからん野原に寝てたよなあ? 元々俺らどこに居たっけ」

「えーっと……たしか次のイベ相談しようとしてたんだったよね。でーほら、ランチシュラスコやってるってあそこ行こうって話で最寄りの駅前待ち合わせしたじゃん?」

「そうそうー。それで合流してー、ゆいちゃんにお土産わたしてー、駅から移動したのよねー?」

「あーそうだ。んで駅から……あれ、どこまで移動したっけか……

確か大通り近くまでは……俺は覚えてるな」

「私も同じくらい、かなー……横断歩道わたったかどうかは……覚えてないなー」

「あたしもそこまでかな……ってことはそこで急にブラックアウトした、ってことかなあ。とするとどうやってきたかは……わかんないなあ」

「うーん……とすると帰り方はひとまず保留かしらねー。情報がもう少し欲しいところかもー」


 久美子が渋面を作りつつ、ペンのお尻で顎を軽くつつく。


「まあ、もし本当に異世界云々みたいな感じだとしたら……漫画とかにある感じだと……え、あたしら死んだ……?」

「さ、すがにそれは……ちょっと考えたくねーから保留で。

 当面はすぐ帰れなそうだし、こっちでの生活基盤整えるって流れでいいよな?」

「まあそれしかないっしょ。家族にも職場にも電話もできそうにないし……

 となると、お金問題は結構切実だよね。何換金してくれるかによるけど……あ、くみ、もらったお土産あけちゃってもいい?」

「え? うんもちろんー。でも役に立つようなもの、入ってたかなー?」

「もらったもので申し訳ないけど、使えそうなら分けちゃおう。とりあえず衣食住なんとかしないと」

「換金度合いにもよるけどよ、仕事探すことも考えねーとだなあ」

「そうねえー。まず何にするにしても、活動拠点を決めないとダメな感じよねー」


 久美子の声を聞きながら、あたしは机の上に置いてあるもらったお土産の紙袋を引き寄せ……そこで初めて、クオンさんがあたしたちを、目を丸くして凝視していたことに気づいた。

 厳密には、あたしたちの手元に視線は向いている。

 なんだろう、とは思わなくもなかったが、言葉も通じない今は何事か問いただすこともままならない。一応、箇条書きにした項目に、言語習得、とも追加して書き記しておくことにして。

 紙袋を開け、ざっと中身を確認する。

 中身はお菓子と化粧品。久美子はとある化粧品会社のコールセンターで働いているため、サンプルや割引で仕入れた化粧品を何かと融通してくれるのだ。ちょうど色々化粧品が切れそうだったので、まとめて久美子に注文してあったものを一緒に持ってきてくれていたらしい。そろそろね、お肌も気を付け始めないといけない年齢になってきてしまっているのでね。

 お菓子は旅行のお土産で、普通の缶入りクッキーと、チョコレートが二箱。あたしは今一人暮らしなので、それほど大きな箱ではなかったが、あたしはチョコが好きなので二種類用意してくれたのだろう。お菓子のどれか一つくらいは、お茶菓子代わりに今ここで食べてしまってもいいかもしれない。保存を考えるならチョコが先かなあ。溶けてしまうと困るしなあ。


「これ今食べちゃってもいいかも……ん、あれ? これってくみの手作り?」


 化粧品の確認をしていたら、少し小さめの雑貨屋で売っているようなシンプルな容器が三つ出てきた。普通の楕円の円柱型の瓶タイプのものと、小さめの蓋がぱかっと全部とれる口の広い円筒タイプのもの、ポンプ式の小さな円柱型の瓶。一緒に入ってた箱に入ったままのファンデーションとかオールインワンのゲルだとかそういった市販品とは明らかに異なるものだった。


「あーそうそう、作ってみたのよー。感想聞きたくてー」


 久美子が笑顔で頷くのを見て、なるほどとそれはしまいなおす。これは有難く、普通に使わせていただこう。


「じゃ、こっちのゲルとクレンジングは二つずつあるし、くみとあたしで一個ずつ使おうか。何日ここに居るかわかんないけど……最初化粧品買うまで、手ぇ回んないだろうし」


 ファンデは細かく色分けされてて、あたしと久美子では使うカラーが違うから無理だけど、日焼け止めも二本あるからこっちも分けていいだろう。あ、フェイスソープも二つある。これも分けよう。それ以外は……分けられそうにはないなあ。

 ごそごそ荷物を分けて久美子に渡し、あたしはうーんと少しだけ眉を寄せた。

 使えるものではあるけれど、お金になるようなものではない。とすると、手持ちの他の物や装飾品を売るのがベターか。ただやはり、それもあくまで一過性、一時的な補填にしかならない。本格的に、仕事を探すことも考えなくてはいけないだろう。

 とすると、問題になるのは常識の違いや言葉の違い、技術の違いだ。あたしたちにできる仕事がこの街にどれだけあるだろうか。


「仕事探さないとまずいねこれ。ってことは住居……ホテルみたいなところだと入ってくるより出てく方が多くなりそうだし、どっか安い部屋でも借りれたらいいんだけど。別に寝られたら贅沢言わないし」

「そうねえー。できたら自炊もできる方がいいわよねー」


 ナッツの入っているチョコレートのパッケージをあけながら、久美子にそう提案すれば、頷きながら自分のカバンを漁り始める。何が入っているか、確認しているらしい。

 あたしもチョコをあけて机に置いて、一粒口に放り込み自分のカバンを引き寄せる。うん、おいしい。

 さっきのご飯が正直イマイチだったから、口直しにはちょうど良かった。

 自分のカバンを引き寄せながら、あたしはそのまま二人に視線を向け。


「二人も食べる? チョコ溶けちゃうともったいないかと思って」


 二人に勧めれば、ためらいなく一粒ずつ手が伸びる。……あ、そうだ。


「クオンさんも……ああ、言葉通じないんだっけ」


 ふっと机の向かい、金髪の彼に視線を向ければ、クオンさんは今度は本当に驚いた顔を隠そうともせず、チョコをまじまじ凝視していた。

 ええ、そんなに変なものではない、と思うんだけど。確かにちょっと、デザインは可愛いとは思うけども……別に市販の量産されたものなので、そんなに細工が細かいわけでもない。まじまじ見るほど、変わったものではないと思うんだけどなあ。

 それとも、チョコ自体が珍しいんだろうか。チョコの作り方ってどうだったっけ……えーと確か、カカオ豆を炒って割ってひたすらすりつぶしてひたすら練り練りして……そういえば確かチョコレートって、制作工程が大変だから昔はすごく高級な嗜好品だったんだっけ?


「えっと、どうぞ。食べてみてください」


 あたし達だけ食べているのもなんか、気が引ける。

 あたしはもう一粒、自分の口に入れながら、何とかクオンさんにジェスチャーでチョコを勧めた。

 彼は少し戸惑いながらも、やや警戒しながらチョコを一粒、口に入れて。

 目を大きく見開いて、そのまま硬直してしまう。

 ええええなんで。あ、もしかして甘い物ダメだった!?

 予想外の反応にさすがに焦りサークレットをつけようと、膝にカバンを載せたままで机の上に手を伸ばし。

 サークレットに手をかけたとき。がしっとその手をクオンさんに掴まれた。

 え、と顔を上げクオンさんを見れば、とても険しい顔であたしを見ている。

 ああああごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんだって! 苦手なんて知らなかったの!!

 予想外のクオンさんの反応に、さすがに久美子も和也も慌てふためき、彼らも急いでサークレットを付け、クオンさんに声をかけ……彼があたしの手を離した隙に、あたしも急いでサークレットをはめた。


「すみません! 甘い物苦手だとは思わなくて!!」


 嵌めるなりあたしはまず、クオンさんにそう謝罪する。ちょっとしたお裾分けくらいのつもりだったのに、まさか怒らせることになるとは思わなかったんだって!

 まだ半分以上は残っていたが、ささっとチョコのふたを閉め。


「ちょっとしたお裾分けのつもりで! ほんと悪気はなくて!」

「いや、待て」

「別に変なものじゃないですからね!? ほんとすみません、ごめんなさい!」

「だから待て、そうじゃない!」


 平謝りしつつささっとチョコの箱をしまおうとして、あたしは再びクオンさんに制止をかけられる。少しごつい大きな手が、しっかとあたしの手首を掴み。

 眉間にしわを寄せ、少し険しい顔のまま、クオンさんが、そうじゃない、と繰り返す。

 え、と戸惑ったままクオンさんを見つめると、彼は小さく息をつき、それ、とチョコの箱を指して。


「それはなんだ? どこで手に入れられる?」


 ちらり、と視線を走らせれば、クオンさんはチョコの箱を凝視している。

 それ、というのはチョコで間違いないらしい。どこで手に入れられるかと言われたら、日本で普通に市販しています、としか言えないが……


「これは、チョコレートと言いまして……あたしたちの住んでるところでは、比較的メジャーなお菓子の一つです」


 手を掴まれたまま、戸惑いながらもそう答えると、彼は眉間のしわを深め、異界の菓子か……と小さく呟く。なんだか少し残念そうだ。


「カカオとバターとミルクと砂糖があれば、一応似たようなものなら作れなくはないと思いますけど……すっごい、手間かかることに目を瞑れば」


 一応そう、言ったところ、クオンさんの瞳がきらりと光り、眉間のしわが薄くなった。

 この人、意外とわかりやすい人かもしんない。

 彼はそのまま暫く黙したままで思案して。


「あの……放してもらっても……?」


 クオンさんがそのまま何度か、何事か言いかけた口を閉じた様子を見せたところで、あたしは小さくそういった。

 はっと気づいたようにクオンさんが手を放してくれる。すまない、と謝られるが、いえ、と一応笑いを返した。まあ別に痛いほど掴まれていたわけではないし。

 たぶん、チョコが気に入ったんじゃないかなあ、なんて思ってるんだけど、どうなのかな。反応から甘い物が苦手だと思ったけど、逆で実は好きなのかもしれない。


「……その、提案なんだが」


 さらに少しの沈黙の後、クオンさんは口元を手で少し抑え、伺う様にあたしたちを見て。


「君たちの知る、その……それの作り方とか。ほかにもすでにいくつか、気になることがある。

 もしよければなんだが、君たちの世界の、そういった話や技術、それを教えてくれないだろうか。何なら俺が個人として、技術料や情報料としてそれに金を払ってもいい」


 言葉を選びながら言った彼の言葉はあたしたちにとって、渡りに船、といえる提案だった。

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