母に偽り

首藤盛重が我が家に住み始めて3ヶ月程が経ったある夜、寝室でふくらはぎのマッサージをしていたら韓国に住む母からLINEでメッセージが送られてきた。


『남자친구 생겼어?(いい人できた?)』


白い吹き出しの中に書かれた文言を読んだ瞬間、私は母から送られてきたばかりの荷物を丸々返そうか本気で悩んだ。

日本に渡ってきて約10年。電話にしてもLINEにしても母からかけられる言葉は決まって「いい人できた?」だ。最初のうちは「私に釣り合う男が現れないのよ」と冗談めかして返していたが、連絡を取るたびに聞かれるので流石に辟易してしまい最近は無視して別の話に持ち込んだり「모르겠어요(知らん)」の一言だけを返すのみになってしまった。

そういうわけでもはや定型文と化した母の問いにいい加減既読無視をかましてやろうかと思ったが、無視したところで今度は鬼のように電話をかけられ長々と説教をされる未来が見えたので無視はやめておくことにした。

しかしどうにかして同じ質問が送られてこないようにしたい。トーク画面を見つめてしばし考えたのち、ふと思い立った私は寝室を飛び出し、すぐ目の前のリビングで晩酌をしている盛重の姿をスマホに収めた。


「何…?」


ストロングチューハイを手に呆然とこちらを見る盛重に「気にしないで」とだけ声をかけ、私はトーク画面に彼の写真を貼りつけた。ハングルで『彼氏』という文言をつけて。


『やっとジウォニに彼氏ができたのね!』


喜色満面な母の様子が目に浮かぶメッセージの後、盛重の写真をじっくりと見たらしく5分程経ってから返信が送られてきた。


『顔殴られてない?その人』


どうやら盛重の顔にある痣のことを言いたいらしい。私は『"単純性血管腫"で検索検索ゥ』と返した。


『ていうかお母さん見た目とか気にする人だっけ?』


『性格がお祖父ちゃんみたいでなければ見た目は何でも良い。いやその人はハンサムだけども』


私は思わず吹き出した。「お祖父ちゃんみたいな人とは結婚するな」というのが母の昔からの口癖だからだ。

亭主関白である祖父は女という生き物を『男を立てる為に存在する』と本気で思っており、祖母も母も祖父の身の回りの世話を永遠にさせられてきたという。


『ハンサムでしょ?性格は爺さんとは真反対の人だわよ』


『なら良し。幸せに暮らすのよ、ジウォニ』


『ママも健康に気をつけてよ』


これで二度と母から「いい人できた?」の定型文が送られてくることは無いだろう。母とのLINEを終えてホッと息をついた私が背後に気配を感じ振り返ると、盛重が怪訝そうな様子で私のスマホを覗き込んでいた。


「誰に俺の写真を送ってんの…?」


いかにも不安げな表情を見せる盛重。彼は韓国語がわからないからトーク画面に表示された話し相手の名前も、やり取りした文章も読めないのだ。


「ママに送った。彼氏だって言った」


「大層な嘘ついてくれてるね」


「嘘じゃないよ、マジでママだよ」


「そっちじゃなくて俺が『彼氏』になってることだよ。そのうち色々こじれるよ」


「本当に彼氏になればこじれない」


そうじゃなくて。酒で紅潮しなかった頬をみるみる赤くして盛重がそう呟く様に例によって母性を刺激された私はこの後もアプローチをし続けたが、盛重からは「お互い仕事だし早く寝ましょうよ」の一言しか得られなかった。

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