知る権利と伝える権利

 朝9:00


 狭い洗濯機と洗面台のある部屋で口をゆすいでいる、寝ぼけ眼で鏡に映る自分を見つめる誑伽と、そんな彼女の髪の毛先を持って櫛を通しているミ=ゴ。朝ごはんを食べた彼女は、珍しく普段は行わない歯磨きをしていた。


 一日一回以上、そして三分以上が好ましいとされる歯磨きをそのように行っている誑伽であったが、吐き出した水に肉片や海苔が混ざっていることは無かった。


「……うーん、面倒だ。出かけるの。」


 半開きの目をつむり、蛇口の下で受け止めた両手を振って顔に水をかける。今日の予定を反故にする発言に大して、ミ=ゴはすぐに聞き返した。


『じゃあ僕だけ行こうか?』


 ミ=ゴの至極当然な返答にうけて、誑伽は思考を垂れ流していた事に気づき少し目が冴える。とはいえ、五里霧中な頭で判断するのは厳しいと決める程度で精一杯だった。


「あー……ううん、今日の仕事を終わらせてからでいい?」

『大丈夫だよー。』

「うん、ごめん……くわぁ……」


 顔についた水をタオルで拭ったのを見てミ=ゴが髪の毛を離すと、誑伽はさっさと仕事部屋へ向かった。

 ミ=ゴはリビングに存在する仕事部屋の扉の閉まる音を聞き、それから洗濯物を持ってリビングへ向かう。


 ミ=ゴは触手がうねっている顔をインターホンの方へ向けて、ソレの様子を見る。


 首と頭だけでインターホンを覗き込んでいる男性が右から左へ、左から右へとメトロノームの様に揺れていた。肩から下の部分に当たる身体は存在せず、床との設置面に黒色のスライムがバス標識を支えるような石と同じ形で一つの塊となっている。


 余りに人体とは剥離した形をとるその存在、神話生物と呼ばれるショゴスは、ミ=ゴの顔の方へ頭だけをフクロウの様に回転させて振り返った。


「特に異常はありません。」

『そう。分かった。』


 ミ=ゴは軽く首を波たたせた。



 ピンポーンと、チャイムが鳴る。



 目を離していたインターホンから音が鳴り響くとミ=ゴは頷き、それを見てショゴスは急いで視線をカメラへ戻す。


 マンションの入口に存在するカメラと繋がっている事を示すライトが、煌々とインターホンの縁で光っていた。


 人の顔をしたショゴスが、顔と首にかかる斜めになった部分から親指の第一関節を伸ばして通話ボタンを押すと、満面の笑みをはりつけていてカメラとの距離感があまりにも近い覗き込みを行っている、これといった特徴の無い服を着た女性が口角を上げた。


 昨日の夜にも訪問してきた、壮年の女性の声だった。


「もしもし、涼井誑伽さんのお宅ですよね?私は貴女に幸せになって貰えるようにとある言伝を献上しにきました。」

「間に合ってますー。」


 ショゴスに気遣いは無い。

 あるとすれば、不満の無い住処と美味しい食事を提供してくれているミ=ゴに対する忠誠心のみ。


「あ、彼氏さんですね。暫く彼女には不幸が起こる事でしょう。ですので、急ぎ私達の友となって頂きたいのです。」

「お断りしますー。」


 壮年の女性はまだ言葉を続ける。

 ミ=ゴは四本の触覚を覗く様にカメラの方へ刺すように向け、一方でショゴスは低い男の声で淡々と断り続ける。


「私達は貴方と、その彼女に不幸になってほしくありません……ですので」

「お断りしますー。帰って下さいー。」

「昨日お渡ししたチラシに記載してある住所までお越し下さるよう、お願い申し上げます。」

「間に合ってますー。お帰りくださいー。」

「必ずや神は貴女の救世主となり、身の回りの方々を含めてお助け頂けるのです。」

「間に合ってますー。」


 淡々と答え続けるショゴスの姿は、見ているミ=ゴが不安になるくらいには本当に一切の気遣いがない……例えそれが相手の心を傷つけるような行動になろうとも、それ以前にショゴスが外傷を与える場合以外は気にしない思考となっていた為に行動を変えることは無い。


 無関心を叩きつけられた壮年の女性の笑顔には、眉間から亀裂が入る。それを自覚した女性は早口で捲し立ててカメラから離れていった。


「ん、ミィ君……来たの?」


 仕事場から顔を出した誑伽の方を見て、ミ=ゴは困ったと言わんばかりに両前脚を頭の横に並べた。


『面倒だねー……あ、そうそう。昨日の夜に色々と調べたから、仕事中に悪いんだけど共有してもいい?』


 ミ=ゴが誑伽にそう問いかけると、誑伽は白髪で隠れた部分まで表情が分かる勢いで目を見開いた。しかし、表情筋が固まってるのか口元は微笑程度に留まる。


 誑伽は頭を引っこめる際に扉を開け放ち、リビングからやってくるミ=ゴを椅子に座って待った。そんな彼女に感謝の言葉を念波で送りながら全身を部屋に入れる。

 彼の体にとって仕事部屋は狭く、方向転換も少々難しい為に部屋の扉を閉めようとはしなかった。


『それじゃあ話すね……』


 そしてミ=ゴが警戒するフリをして大げさに首を使って周囲を見渡すと、誑伽は一度目を閉じてからまたゆっくり瞼をあげる。




 誑伽の目から気だるげな雰囲気は消失し、暗い空気が流れ出す。


 会話のない薄暗い部屋の中に、無機質に響く振り子時計の音。

 暗い世界を感じる曇りガラスの前の机、その下で青く光って唸り続けるパソコンの本体。


 木平川をひたすら打つ雨音がベランダを越えて部屋を揺らす。まるで開いた冷蔵庫の前に居るように足元から冷たい空気が這い登るのを二人は感じる。




 そして、ミ=ゴは誑伽を顔面の正面に捉えた。


『まず、敵の集団を教団と定義するよ。』


 教団……教団か、と誑伽は初手から物騒な雰囲気を感じさせる言葉が飛び出たことに少し驚いて、彼女はより姿勢を正す。


『で、サイトを見たら教団の名前が分かってね。今は『日本拝死の会』っていう団体になっているね。』

「はいしのかい……国家転覆でも狙ってそうな名前。まぁでも名が体を表していて分かりやすいね。」

『かなり活動的で、二週間に一回は大規模な集会をしてるみたい。典明さんが誑伽を誘った一昨日は日曜日だったし、多分それだったんじゃないかな?』

「なるほど……となるとそうか、昨日は月曜日……?いや待って、そうなると……」


 ミ=ゴの報告を頭の中で反芻していた誑伽は、曜日の発言に対して理由は分からないままに違和感を覚えた。顎に手を当てて少し前かがみになり、その違和感の正体を探す。


「……ミィ君。今日は火曜日で昨日は月曜日。それは合ってるよね?」

『うん。』


 視線だけをミ=ゴに向けて、すぐに見つけた不可解な疑問を口から放つ。


「そうだとしたら昨日はノアさんって学校行ってないかもしれない。」

『……あ、確かに。午前中に出かけて昼ぐらいに帰ってきたもんね。』

「それぐらいにインターホンを鳴らしてきた……」


 二人が思慮に耽ると風にのった雨が窓を叩いてくる。曇りガラスの向こうで上から流れていく水滴の後は、次へ次へ上書きされていく。

 二人がふと風の遠吠えに気づく頃には、既に木平市を覆う不穏な風が轟いている。


『……風がここまで強くなっちゃったか。どうする、今日はやめようか?』

「私はこれぐらい荒れてる方が安全だと思うけど、ミィ君はどう?」

『うーん、お隣さんとの問題は早く解決した方が良いと思うな。』

「じゃあそういう事で……ごめん、話の続きをお願い。」


 ミ=ゴは話を続ける。



 教団の人数は関東のみで1500を超えている事。

 法人格を得ようと試みている事。

 と呼ばれる存在の代替わりが、数年単位とかなり早い事。



『そして木平駅周辺に働きかけて大規模な施設を作ろうとしている……そんな感じ。』

「……そんな大規模になってからじゃ法人格が取れるとは思えないけど。いくらヤクザから法人格が買えるとはいえ、易々と警察が見逃すとは思えないし。」


 ミ=ゴは首を傾げる。


『ほーじんかく……人間の社会はまだ勉強が足りてないからよく分からないけど、問題なの?』

「あーいや、単純に私が元々法学部だから……いやまて、議長?議長だと?多分代表者の事だろうけど……つまり責任者はどんどん移り変わっていっているのに?」

『どうかしたの?』


 誑伽はパソコンのブラウザを開き、文字入力用のキーボードを手元に引き寄せる。


「あぁ、その……個人経営の事業を他人が相続するって色々面倒でね。というか相続……贈与じゃないのか……その土地は元々個人の物って訳じゃないのか……建造物は?」

『あ、誑伽。向こうのサイトを開く時気をつけてね、こっそり居場所を抜いてくるから。』


 液タブに検索エンジンのサイトが出ると同時に、ミ=ゴは急いで横から注意をして誑伽に危険を伝える。誑伽は頷いて先にダウンロード済のツールを開く。


「分かった……まぁ、もう特定されているようなものだけど。ミィ君は大丈夫?」

『うん、パソコンそのものを探られない限りは位置情報変更ツール入れてるから大丈夫だと思う。』




 日本拝死の会という名のスライドが現れ、誑伽もミ=ゴの言う通りにURLを打ち込んでそのサイトを閲覧する。


 しかし目の前に現れたのはどこかの建物の写真が貼られている、昨日検索したミ=ゴの記憶とはほとんど違うサイトが開かれた。

 焦燥しかけたミ=ゴだったが、すぐに下から日本拝死の会というテロップが上がってくる。


「うわぁ……」

『あれ、こんなサイトじゃなかったよ。』

「え、更新されたのかな。」


 誑伽はミ=ゴの言葉の真偽を確認しながら、ミ=ゴは変更された部分を確認しながら読み進めていく。

 軽く全てを流し読み、次に議長挨拶という項目をクリックして名前を調べてみる。


「男か?女か?」

『確認してなかった……』


 現れたのは空白の枠組みと、背景が他の建物に変わった事を観察させる余白。



 そこに議長は居なかった。



「……なるほど?」


 誑伽はギロリと空欄を睨みつける。

 ミ=ゴも猜疑心を強める。


『変えてる最中なんだ……へぇ。』

「……尚更警戒は強めないと。最初の成果は没落に対する免罪符になる。」

『そうだねー、躍起になった相手は怖いけど頑張ろう。』


 そして暫く二人は行動を共にするように方針を決める。ブラウザを閉じた誑伽は仕事用のファイルを開き、ミ=ゴは洗濯物を部屋干しをしにいったのだった。




『いあ、いあ、ニャルラトホテプ……』


 人に理解が不可能な声は激しいノイズとなり、体の芯からゴキブリが誕生し、口にめがけて背骨を走ってくるようなおぞましさ、筆舌に尽くし難い嫌悪と身をねじ切りたくなる苦痛を、音を聞く人に与える。


 彼がリビングの中央でそんな声をあげながら虫のサナギの中身の様に変形していく正面で、誑伽はミ=ゴの人間体用の服や、レインコートを机に置いて、背もたれに横を向いて椅子に座ってスマホを使い教団の活動を検索していた。


 人間の皮膚がメリメリと音を立ててミ=ゴの体を覆っていき、そして体育座りの姿勢で彼の変身は終了した。


「日本拝死の会、SNSも何もやってないよ。」


 傍目で変身の終了を確認した彼女は、立ち上がって服を手に取った彼に報告する。

 誑伽は既にレインコートを羽織っており、その下にネクロミコンの入ったショルダーバッグを背負っていた。


「テステス……あーあー、うん……へぇ、そうなんだ。」

「分かりやすい尻尾は中々無いみたい。」

「あーでも、図書館にヒントあるかな?」

「一極集中の1500人規模なら雑誌にしろなんにしろ一冊ぐらいありそうだと思うし、早めに確認してはおきたいな。」


 ミ=ゴは天井に手をぶつけないよう屈みながら着替え、レインコートを羽織りながらショゴスの顔の方へ。

 その目に映るショゴスの顔は、先んじてミ=ゴの顔を眺めていた。


「それもそうだね。じゃあショゴス、お留守番お願いするよ。」

「テケリ・リ!お気をつけて行ってらっしゃいませ。」

「あ、そうだ。今のバッテリーが切れそうになったら渡しておいたトークンに取り替えてね。そして使い終わったのは充電に回しておいて。」

「テケリ・リ!命令を把握致しました。」


 黒いレインコートを着て全ての髪の毛を内側にしまった誑伽が外に出てからしばらくすると、ミ=ゴがレインコートの下に中折れ帽を被って扉から出てくる。


 そして一階に鳴り響くベルの音。

 扉から出てくる二人。


 土手には強く雨風が叩きつけられており、玄関から出た二人にも否応なくそれは襲いかかる。二人はその時点で何かを喋ることも無く、足音を揃えて外に踏み出した。





 折れた傘が土浴びをして、スマホを見る事さえ叶わない程の悪天候が二人を襲う。そして、彼女達は絶叫に近い会話をしていた。

 前方で誑伽が舞台上のダンスの如き前傾姿勢でフラフラと歩き、後ろで身をかがめたミ=ゴは彼女が転倒しないように気にしていた。


「ねぇ!地球の台風って!突然出来るの!?」

「えぇ!?何!?ダイコン!?」

「なんで!?」


 誑伽の聞き間違いに突っ込みをしたミ=ゴは、きっと声量が足りなかったのだろう、と判断して大きく息を吸う。

 その際に大量の水が口にとびこんで、むせそうになる。


「それとも竜巻!?これも竜巻!?」

「ちがぁう!これは!頭のおかしい!異常気象!」

「へぇ!僕!分かんないから!天気図!見たけど!分かんないから!」

「私!気象!知識無い!」

「ごめん!図書館で!第二の目的!出来た!」

「いいね!いいですね!がぁぁぁぁっ!!」

「危ない危ない危ない!!」


 上半身を捻りミ=ゴと視線を合わせて親指を立てようとした誑伽は、著しくバランスを崩して川の方へ横転しかける。

 彼女の肩を咄嗟に支え、そのままミ=ゴは離さずに図書館へ向かって歩み続けた。




 円筒状の風除室の中で、水泳後の疲労感に苛まれながらレインコートを脱いで水を払う。

 そして誰も使っていない鍵付きの傘立てを確認しながら、ショルダーバッグからレインコートを入れる袋を取り出す。


 玄関から見渡せる一階には、こんな天候にも関わらず人がやってきて驚いている男性司書以外には見当たらない。静かな明かりの下で風切り音が染み込んでいた。


「ちょっと休む?」

「いや、読みながらでも休めるから。」

「分かった。目的のがあるといいね。」


 じゃあ、と言って丸い椅子が点在するイベントブースの向こうに見える新聞紙・雑誌のコーナーへ歩くミ=ゴ。

 誑伽は少し悩んだ後、00と銘打たれた総紀の棚へ向かった。


「木平……それとも拝死の会……」


 それらしい題名の本を手に取ってはすぐに戻す。本題の宗教とは似ても似つかないセンセーショナルな題名を狙ったものばかりが並んでおり、拝死の会に関する何かがあっても探すのは骨が折れそうだと誑伽は思う。


「ふーんぅ……」


 息を吐きながらしゃがみ、目線の高さを調整しながら探し続ける。それでも題名の方向性が変わることはなくある意味均質化されている視覚情報に呆れた彼女は、右目を覆う髪に手櫛をした。





 ミ=ゴは新聞紙の束を近くの椅子に乗せて、また大きな体も椅子にうずめている。

 わざわざ背もたれの無い椅子を選んでいるのは元の姿の癖なのだろうと誑伽は思いながら隣の席に座る。


「ミィ君……あった?」

「ここに小さくね……誑伽は……」


 ミ=ゴが顔を上げて誑伽を見ると、両手を水を切るように振っている姿があった。彼女の周囲に本は見当たらず、収穫が無かったのだとミ=ゴは理解した。


「無かったかー。」


 そう言って立ち上がったミ=ゴは新聞の一部分に対して、竹輪と比較しても勝るとも劣らない太さの人差し指で指しながら文面を見せる。

 細々とした文字がズラズラと並んでおり、他人が持っていると読みにくさが勝るぐらいに新聞の端から端まで埋め尽くされていた。


「読み終わったら私に渡してくれると嬉しい。」

「あ、もういーよー。これは読み終わってるから僕は他で探しとく。」


 そして誑伽は渡された新聞に目を通す。

 見出しは非常に小さくなっており、読 文章に書ききれていない執念を思わせる怒涛の密度を読み手に向かって叩きつけていた。


 文章自体は支離滅裂ではないものの、大量に混じった私情と、隠す気のない狂気がソレを読みづらくしていたことを受けて、誑伽はミ=ゴと確かめる部分を頭の中で抜き出しながら読むことに決めた。




 大きな足音が誑伽の後ろで止まる。

 誑伽は振り返ることなく、常日頃から感じ慣れた気配に声を投げる。


「なんかあったりした?」

「ううん、無かった……」

「そっか……まだこの宗教はメディア進出とか狙ってなさそうだもんね。」


 ミ=ゴは膝を折ってマットに正座を行い、誑伽の顔を横から覗き込む。


「どう?」


 その一言で、誑伽は気になった文章を人差し指で丸く囲みながら口を開く。

 脳内で行う箇条書きの様な喋り方に対してミ=ゴは相槌をうちながら聞いていた。




 死拝の会の本部は建物を借りているだけ。

 建物は木平を昔から根城にしているヤクザが所持している。

 マネーロンダリングの場として使われていると同時に、ヤクザと協力しながら善良な高利貸しをしている。

 1500人を纏めている死拝の会そのものが、イベント等に使う金の献金では足りない部分を何処から手に入れているのかは二割方が不明。

 土地に縛られているヤクザが何故協力してるのかも不明。

 信者を辞めた人は数日間かけて狂っていき、最後に消失してしまう。




 誑伽はここまで羅列すると、鼻で笑うような形で言葉を続ける。


「『知人の行方は未だ掴めていない』と、締めてるからあんまり信用しない方がいいかもだけど……というか、個人の言葉は殆ど信用しない方がいいけど。」


 ミ=ゴは、うんと頷く。


「ホラーの締め方だもんね。でも、『死拝の会』って名前出してる以上は何か情報を掴んでるかもよ?だから​────」


 ここ、とミ=ゴは爪を新聞紙に出来るだけくっつけることで文末を指した。

 著者の欄に野木明百呂のぎあかひろと名前が明かされている事に対して、誑伽は死拝の会の動き方を考慮する。その結果、著者の存在に対して一抹の不安を覚えた。


 彼女はスマホを取り出して検索をかける。


 数件のメールやSNSを無視して野木明百呂と打ち込んで検索すると、思っていたより大量のサイトがその名前を取り上げていたようで有名な記事サイトや掲示板がヒットする。

 誑伽がサイトを開くと、ミ=ゴがタイトルを読み上げる。


「『解体殺人被害者の野木明百呂、生前の写真が死後に更新!』……って、誑伽は掲示板開くの?」


 ミ=ゴはささいな疑問に首を捻る。


「男性の死に群がる様な人は相当な事がないと少ないと思ったから。それにこのペンネームで記事作ってたみたいだから大体が関係ないニュースみたいだったし。」

「でも掲示板って余り信用しちゃ駄目なんじゃないの?」


 所詮ネットだから、そんな思想が根底にある彼女はミ=ゴに投げかけられた疑問の意図を少し掴みかねていた。


「まぁ……この人、男性だからネット上じゃそんなに詳しく調べられないだろうし、火のない所にも煙は立てられるけどソレを焚く労力を考えたら事実を……少なくとも前半の物語は事実を混ぜるしかないと思って。」


 物語は現実を含有させると親しみやすくて楽しみやすいから​、と独り言のように付け加えながら単語フィルターを使い情報のあるレスを探す。

 気になった長文を見つけて掲示板をスクロールする指を止め、返信の数を確認する誑伽に合わせてミ=ゴが読み上げる。


「えーと?閉鎖済みの人のブログの話なんだけど、頭半分だけを家に残して殺された人のブログが死後に更新されて、何処かの建物で死装束を着て半壊した頭で笑ってピースしてる写真が出てきた……僕もやろうと思えば機材を用意して出来るけど、なんか凄い話だね。」


 ミ=ゴは自身の惑星から持ち込んだ技術で再現が可能だという思考と同時に、自分と同等の存在が暗躍している可能性まで思い至り不安気な表情を浮かべた。対して誑伽は、この発言に対して反論が少ないことに驚く。


「返信先にも他サイトへのリンクが無いけど……ゴア系サイトに乗ってるかな……いやないか、流血とか無さそうだし。」

「あとオカルト系の話だし、グロい方面で盛り上がるのは難しそうだね。」


 誑伽は唸るような返事をしながら再びスクロールを始める。

 幾つかは長文や画像があったものの、本腰の入ってない水掛け論がスレの大半を占めていたことによって希釈と推測に過ぎないものが散らばっていた。

 200にも満たない板は、特に考察が進展するような会話も発生せずに終わっていた。


「……掲示板自体が全然続いてないし……だから、解体事件の方を調べてみる。」

「僕はまた新聞とか本を探してくるよ、何か面白いことが分かるといいね。」




 しかし二人は、それからの数時間を無駄にする。


 男の猟奇殺人や行方不明に当たる紙媒体を見つける事が出来なかったミ=ゴと、星の数程に検索稼ぎ用のサイトを避け、なんとか事件関係のタイトルを見つけて押しても弾かれた誑伽。




 再度レインコートを纏っていた二人は、誰もいない牛丼屋の扉を開いた。




「番号をお呼びしますので席に座ってお待ち下さい!」


 レインコートを畳みながらテーブル席に対面して座った2人は、じっと互いを見つめて暫く時間を過ごす。


 ベンチの方に誑伽が、通路の方にミ=ゴが座っていて横を通れない為に、店員はコップを置く為にミ=ゴに向かって声をかける。

 店員が居なくなってから一口水を飲み、誑伽はゆっくり息を吐いた。



 外の闇は一層深まり、車の停車する音がした。



「……ミィ君。」

「ん?」

「来た。」

「何が​────」


 扉が音を立てて開き、暴風雨の轟音が入ってくる。複数人の足音と共に券売機の操作音が鳴り響き、調理場の方が騒がしくなる頃には全員が座っていた。

 皺が顔に刻まれた男女17人が誑伽達の席からテーブルを一つ挟んで、弧を描くように座った。



 全員が二人を見ている。



 じっ、と見ている。



 ミ=ゴは視線を背中に受けて察して誑伽の方へ大きく体を乗り出すと、彼女も体を乗り出して顔を寄せた。


「……おかしいよね。」

「……私が対処する。」


 無意識にショルダーバッグに手を乗せた誑伽は、身動きせずにただ牛丼が運ばれてくるのを待った。




「こんにちは、今日は天気が悪いですね。」


 牛丼を食べ始めた二人の横の席に誰かが座る。通路側の席に目をやると、青いストライプの服を着た初老の男性がそこに席を変えていた。


「…………」


 ミ=ゴの方を見て喋りかけた初老は、彼から一切の反応が帰ってこないことに眉をひそめて誑伽の座るベンチの方へ席を変える。

 不審者として通報するにはまだ弱い状況で、誑伽と初老は互いを品定めするように睨み合う。


 暫し時が経ち、誑伽の鋭くて黒い目に押し負けた初老はその柔和な微笑みで目を閉じてしわがれた声をあげる。初老からすると、自身が圧に負けたところで、牛丼が二人の足止めをするから問題がないと判断していたからだ。


「こんにちは、こんな天気の中お疲れ様です。デートですか?お熱いですね。」

「​───────ふふ。」


 軽蔑の色を深める前に目を閉じた誑伽は、牛丼を一口すくって飲み込む。


「ありがとうございます。」

「いつからお付き合いを?」

「つい先日から。」


 うんうんと首を振りながら、初老は物理的な距離を容赦なく詰める。

 誑伽は動かず、綺麗な歯と男性用の香水らしき加齢臭とは違う良い匂いが漂った事に気づいた。


「あぁ、アツアツですね!ところで彼氏さんのお仕事を聞いてもよろしいでしょうか?」

「彼はホストを​─────」

「ホスト!?」


 大袈裟に驚きながら背中を逸らす初老は、我が意を得たりと言わんばかりに笑顔を濃くして目を細める。


「実は私も昔はホストでして、おいお前さんや!」

「はい〜?」


 初老の呼び掛けに返事をしながら、誑伽に視線を向けられて手を振る女性が一人。その女性は小さな宝石の入ったネックレスを黒い服の上で踊らせながら席を移動してくる。


「私の妻はなんと、昔は有名なキャバ嬢として、今はオーナーをしているのです。」

「あら、どうも〜。親近感が湧きますわ。」

「どうですか彼氏さん。タダでさえ平均身長の高い今の時代に、更に恵まれた体格を持つ貴方に羨望するおじさん達にどうかビールを一杯は奢らせて頂けませんか?」


 ミ=ゴは鳥の羽ばたきの如き一瞬だけ目を上げ、誑伽に指示を仰ぐ。それを察知した誑伽は、初老に違和感を覚えられない程度の遅さで右に首を倒した。


「いや……僕は仕事と夜中にしか飲まないと決めているので。」


 ミ=ゴが返事を小さく呟くと、初老の態度が豹変する。


「でしたら指名です!デート用の一万円をあげますから、どうか奢らせてください。」

「こらお前さん!おふたりが困っているでしょう……すいません、夫が自分勝手で。」

「是非、是非奢らせてください!」

「すみません、もう……はぁ、どうか受け取ってくれませんか?」


 たじろいだミ=ゴに対して初老達は会話を早め、一万円札をほぼ押しつけるような形で握らせようとする。そして『好意を受け取る側』を15人が見ていた。


「あはは、すみません。彼の仕事柄、プライベートで会っても雑談程度で営業はしないと彼は決めてますので。」


 誑伽が返事をすると女性は殺意のこもった視線を向け、横槍を入れた誑伽の喉を眼力のみで潰さんとする勢いで睨みつける。


「そうですか。お前さんや、止めなさい。」

「どうか、どうかぁ……!」


 騒々しい男女を放っておいて、残り15人の視線がずっと向けられているのを感じながらも二人は牛丼を食べる。

 時折外周から「面の皮が……」や「人間として……」といった攻撃的な言葉が聞こえるものの、二人はその全ての言葉を初老の事に置き換えて意に介さない。




 食事を終えた二人はこの場から離れようと早々に立ち上がる。そして向けられる、34の耳の全てに聞こえるよう、大きく喋りながら出口へ向かった。

 最初は食事の感想といったどうでも良いことを駄弁っていたが、彼女は扉に手をかけた瞬間に声を大きくする。


「ねぇ、ミィ君。私たちの神様、これからの未来を祝福してくれるのかな?」


 一気に店内は静寂に包まれる。

 窓ガラスの揺れる音が、耳が痛む程に轟く。


 数泊を置いて彼女の意図を理解したミ=ゴは、とある神の名前を挙げる。

 それはミ=ゴが心の底から信望しており、同時に興味の対象となっている名前。


=は─────」


 その名を聞いた17人は、それぞれが思い思いに通信機を取り出して慌ただしく指を動かし始める。誑伽の狙い通り、別の宗教団体に属しているかのように振る舞うと彼らは動揺しているようだった。


「全知全能だから、きっと僕達の出会いの頃からずーっと祝福してくれているよ。」




 ヨグ=ソトース。

 あらゆる世界の過去と現在と未来がかの神そのものであり、その御身と崇高なる思慮に宿りし全ての知識でもって、全てを行う事が可能な存在と二人は認識している。

 そのような神を指す為に作られた、この世界における呼び名の一つが先程ミ=ゴが口にしたヨグ=ソトースだ。


 ミ=ゴからすれば畏怖や憧れと同時に、どうしてそのような存在となったのかが気になってしょうがない対象だった。


 この場でその名を口にするのは抵抗があったミ=ゴだった……が、集団に属していない彼は推しカプを広げる様な感覚で『これを機にヨグ=ソトース様の信望者増えてくれ』と念じながら声にしたのだった。




 外に出た二人の前には雨の中でエンジンを唸らせ、牛丼を食べる時からずっと停車している4台のボックスカーが並んでいた。


 二人が通り過ぎて暫くすると、それらの光が地面を強く照らして追ってくる。

 ミ=ゴは一度立ち止まり誑伽を車道から遠ざけて歩かせ、自身は車道の方を歩き始める。


 二人に肉薄するボックスカーが、通り過ぎる前に速度を落とす。緊張が走り、ミ=ゴはボックスカーの方へ視線を傾ける。


「……」

「……」


 警戒して足幅を小さくした二人を他所に、何事も無かったかのように全てのボックスカーは加速し冷たく暗い雨の中に消えていった。


 遠目に時折見える赤ランプを見ながら、警戒して振り向くミ=ゴ。誑伽は気にせず歩いて帰路を辿っていく。





 何事もなくマンションの玄関まで帰ってきた二人。

 そしてポストから自己主張の激しいチラシが飛び出ているのを確認してため息をつく。


 リビングまでそれを運び早々に捨てた誑伽は、レインコートを部屋干しをしようとミ=ゴに呼びかけた。



 それから仕事部屋に足を向ける誑伽。

 だがそこには、に彼女の気を休めさせない出来事が待っていた。



 仕事部屋にネクロノミコンを運んだ誑伽は液タブやパソコンの電源をつけ、そしてふと椅子に座る直前に周囲を観察した。そして軽くはない違和感を覚える。

 視線をあげ窓の黒い縁を見て気づく。舌打ちを打つ前に、ほんの少しだけ希望を抱きながらリビングに居るであろうミ=ゴへ呼びかけてお願いをした。


「ミィ君、ショゴスに部屋掃除したか聞いて。」

「分かった。」


 少しの空白の間に、自室から消えた物品がないかを確認する。空き巣が入ったか、いや空き巣であってほしいと指差し確認をするものの、やはり様子がおかしい。


「やってないって。」

「……空き巣じゃないなら……チッ!」


 全体的に部屋が綺麗になっており、机の裏の配線を覗くとホコリの一つも残っていなかったのだった。

 しかしアクセサリーや金品は盗まれるどころか掃除されており、光沢を取り戻して光らせる金属達は誑伽の顔を歪めて光を反射している。




 部屋の四隅を見る。



 見上げた角に存在する黒色の汚れの向こう、誑伽はそこに、丸々とした金色の目を見た。



 誑伽は舌打ちと共に部屋の下の方を見渡してから、地面に畳んで放置してある置いた覚えがない焦げた茶色の物体を触る。


「……やはりアイツか。」


 汚れた雑巾が仕事部屋の扉近くに置かれており、誑伽がソレを持ち上げようと掴むと水中の中の栓の様な重さがあった。


 それでも誑伽が片手で引っ張ると抜けるような感覚と共に雑巾が軽くなり、下に隠れていた黒ずみが姿を表す。

 まるで深淵のように黒いソレは、反射的に雑巾で擦ったところで取れないどころか広がりもしない、おぞましい穢れとなって存在していた。




夏煤なつめ……」


 誑伽が心底嫌っている人間の名を吐くと暫くしてから、黒ずみより黒煙があらわれて壁を侵す。




「今度はなんだ。」


 黒煙は消えた。

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