1-14 黒き塊

翌夜、余は連れ立った鼠に指を一噛みさせたのち、現場の程近くに流れる小川にて不可視の術を用いて砦の墓へと忍び込んだ。予想通りそこには戦士たちの揺らめきは残されておらず、巧妙に隠されていた屍食鬼どもの足跡だけが、揺らめきの立ち昇りをもって示された。不可視の術は、余が残す揺らめきの残滓をも掻き消すようであり、彼奴等の目に留まる恐れが無いことはありがたいことである。


結論から書くとすれば、彼奴等の根城は凄まじく広大であり、二つ目の瞼が開かれている間に全容を把握することは不可能であった。その深さは、数年やそこらでは到底掘り抜くことの叶わぬほどに深く、まるで地獄の底へと降りてゆかんばかりであった。通路の岩肌はごつごつと粗製な堀跡で、入り口の裂け目付近はさて置いても、内部の広さは大人三人が余裕をもってすれ違えるように配慮がなされている。


このような道が砦の地下ばかりか、まるでシャルトル全体を覆う蟻の巣のごとき様を作り上げている。至る所に二又三又の分かれ道があるが、どの道もやがては房室に突き当たり、冒険譚に心奪われる子供たちがよく知るやり方でもって、左手を壁に当てつつ先へと進まねば、容易く地上への道を失してしまう。


砦には昼の間に作業員の出入りがあるため、安易に毒煙に頼ることは許されなかったが、この広さではどれだけの夾竹桃を携えたところで、以前の洞穴のように一網打尽とはいかないことは明白であった。


まずもって驚くべきことは、彼奴等は火を扱うという点である。


眼球の構造が異なり、暗闇でも昼間のごとく目が効くのではと考えていたが、彼奴等は洞穴の房室内では火を焚いており、辺りを煌々と照らしているのだ。はぐれどもの居た鍾乳洞にはそのような形跡は見当たらず、これだけの広さをもってはじめて火を扱うことが出来るのか、はたまた地上と通ずる空気穴が何処かに開けられているのか、いずれにせよ、少なくとも彼奴等に火に対する畏れはなく、人間と同じく多様な扱いを心得ているようである。


通路の壁には五十歩ほどの間隔で松明が備えられ、薄暗いながらも行き交うものの姿を知る程度には目が効く。燃料は松脂であろうか、濃い琥珀色をした粘液を布に塗り、太い木の枝に巻き付けたありふれた松明であり、周囲の壁には煤が堆積して層を成している。


どうやら急な事態が起こった時は、手に取り持ち運べるよう工夫が凝らされているようだ。もしくは現代のランタンとは異なり、旧来の人間が用いた原始的なものを真似たのか。

灯りの届かぬ場所も多いが故、貴殿にも彼奴等の巣を訪れる悲しき理由があるならば、暗闇に苦心せぬよう二つ目の瞼の術を用いるべきであると進言する。


左手に伸びる道から続く大空洞にて、偶然にも彼奴等の親玉らしき屍食鬼を見つけた。

壁から湧き出る清水が、空洞の中央に浅い川を作り出しており、北側と南側に細かな砂利で出来た岸を作り上げている中、北側の川縁にて焚火を囲むように輪を作る屍食鬼の中で、ヤツは一際目立つ装いをしていた。


よく好かれてふわふわとした狼の毛皮を肩に羽織り、干した何かの目玉を金具に通した耳飾りを付け、他の屍食鬼より一回り大きな身体つき、額には横一文字の傷跡を持つ屍食鬼である。


歴戦の証をその身に多く付けた屍食鬼は、焚火を囲む他の屍食鬼に何やら語りを聞かせているようだったが、黙りこくったその直後、親玉の耳の穴から何やらどろりとした黒い液体が零れ出した。


その液体は焚火の灯りを虹色にはね返しながら、親玉の頭に如何様に収まっていたのか判らぬほどに溢れ出し、ついには野を駆ける子豚ほどの大きな塊となった。


その姿は落水のごとく地に垂れるでもなく、まるで自ら意志を持ち、身体を支えるかのごとく球体へと変化し、余を含めた全員の目線を引き付けながら地を滑るかのごとく動き出し、くねるようにしながら壁に空いた僅かな亀裂の中へと吸い込まれるように消えていった。


ありえぬ。ありえてはならぬ。あのようなものが生命を持つなどと、信じられるわけがない。

あれが伝え聞くニョグダと呼ばれるものであろうか。何を捕食し何を排泄するのか、視覚は、そもそも感覚などを持ち得るのか。

黒き塊が滑らかにその姿を変容させる様を見た時、常世に生きる全ての命を冒涜するかのような存在であると、余の怖気が止まることはなかった。


その這いずった跡から立ち昇る揺らめきは、人や屍食鬼のものを塗り潰してしまうほどに凶悪な強さを持ち、これまで見たことのない力に対する身の毛もよだつ畏怖の念が足元から肌を粟立たせ、震えが止まらず腰が砕けそうなところを、余は何とか踏ん張り耐えた。


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