1-11 不覚悟の露呈

人智じんちの及ばぬ強大な力を持つ邪神の知識とは異なり、ありふれた下位の魔物にまつわる知識を軽視していたという、己の恥ずべき醜態しゅうたいを考えると歯軋はぎしりが止まらぬ。

間違いなく余の痕跡こんせきは全て消した。ちりの一つも残さぬように、細心の注意をもって。

それでもなお、あの夜の屍食鬼どもは確実に余の生命をうばいるところにいた。あの鉤爪が余の肉を引き裂き、あの黒ずんだ牙をもって余の身体をむさぼることもできたはずであった。


何故なにゆえ余を生かしたのか。彼奴等の数からして、赤子の手をひねるがごとく余の息の根を止め、小像を奪うことも容易かったはずである。

つまりは、余に何らかの価値を見出したということであろう。余にしかこなせぬ仕事が彼奴等にはあり、余を利用して目的を果たそうとしている。少なくとも、如何いかんともしがたいこの状況で、余の方から彼奴等に接触する気などつゆほども起こらぬ。

今もどこかで、彼奴等の目が余に向けられているやもしれんという、身の毛もよだつ空想を払うより他に、余にできることは何もなかった。しかし余の目的をかんがみれば、いずれこのさじが役に立つ日が来るであろうことは想像そうぞうかたくない。余はまだ虚無へ行くわけにはいかぬ。あの忌々いまいましき六本傷ろっぽんきずをこの手でくびころすまでは。


道中にも細心の注意を払いつつ、余は店へと向かった。次なる厄介事を避けるべく、群衆を突き切り、尾行の警戒を怠らず、加えて往来を遠回りしてみたものの、おそらく彼奴等の目には意味の無きことであろう。

いつものように店の奥へ進めば、店主は店主でなにやら物知り顔をしているようにも見えた。余の精神が落ち着かぬためであろうか。


此度こたびの収穫から得られた情報は、余にとっては以前より数段価値の高いものであった。新たな屍食鬼どもの巣についてである。

パリの始まりの地、セーヌ川中央に浮かぶシテ島から西南西、ヴェルサイユの宮殿をかすめるように駆け馬で進み、峠を二つ越えた先にある荘厳そうごんな大聖堂をえた古町シャルトル。古来よりカトリック正教会が司教座を置き、石工や大工、そして芸術家たちが取り巻くように作り上げた、数百年の歴史あるその地は、以前より古代の遺跡が土塊つちくれの中で眠り続けるという伝承を多く残している。

近頃、この周辺にて新たな遺跡が見つかり、その発掘作業になにやら不穏な気配が漂うという。発掘に携わるものが作業中に一人、また一人と、時が経つにつれて姿を消しているという噂が広まり、作業がとどこおる一方とのことである。


屍食鬼どもの棲み処は光の差さぬ地の底にある。伝え聞くこの話、余はあの村にて確信を得た。陽光や営みの灯を避けるには、これほどふさわしい地も少なかろう。恐らく発掘員たちは見つけてしまったのだ。彼奴等が潜む深い闇への戸口を。


つまりはこの巣に、生きたものを狩り殺す屍食鬼が棲むということであろう。彼奴等について多くを知るには、多くの屍食鬼が潜む地が望ましい。たとえ危険が増そうとも、得られる知恵が多ければ、いずれ余の復讐を成し遂げる道へと至るはずである。


可能であれば常世に蔓延はびこる屍食鬼どもを根絶やしにするつもりではあるが、まずはいかにして彼奴等の巣窟そうくつに忍び込むか。考えあぐねていた余の下に、異邦からの訪問者が現れた。聞けば彼女は、都の北に住まう魔女からの使いであるという。


屍食鬼どもはどうやら、土地土地の繁栄と均衡を保つものである魔女との関係を古くから続けており、魔女たちに口伝くでんでのみ継がれる秘術に欠かせぬ材料などを対価とし、彼女等に屍食鬼の営みを助けさせていると、彼女は語ってくれた。

あの首飾りのものは人語を介すが、人の文字には通じておらぬようで、魔女たちに手紙をしたためさせ、余のもとに運ばせたという。


渡された手紙を眺めるため、わずかばかり視線を手元に移したが、次に顔をあげた時には既に彼女の姿はなく、なにかしらの幻術をもってして余の眼前に現れたものと思慮する。屍食鬼どもはすでに人の世と繋がり侵し始めていると思うと、なんとも空恐ろしい。

手紙に宛名などはなく、封蝋にも家名を表す印章などは見受けられないが、その中身は今の余が求めてやまぬ知識であった。


そこに書かれていたのは、術者の身体を他のものから見えぬようにする不可視の術についてであったため、貴殿へ向けてここに書き残すこととする。


まず衣服を全て脱ぎ裸体になり、水ないしは湯で全身を隅々すみずみまで清めたのち、刃物で外腕を切り開き、滴るにまかせて出来た足元の血溜まりへその両足の裏を浸すごとく立ちながら、以下に示す呪文を三度唱えよ。


ブガーラグ・モルニ・ブガーラグ・モルナ

アイ―エー・イタクァ・ノモスグ・ヨムンドー


詠唱に際し、その発音は正確に行わねばならない。口をすぼめ、喉を震わせつつ低く低く、獣の唸りのごとく声を発するべし。

一度目の詠唱にて素足にまとわりつく風の流れを感じ、二度目の詠唱にて風が腰を取り巻き、三度目の詠唱をもって風は貴殿の脳天まで行き渡る。これもって風が全身を覆う層を成して以降、層の外から貴殿を睨みつけるものは一人たりとていなくなる。


内腕ではなく外腕であるのは、手の腱を切らぬための配慮に過ぎないが、血だまりについては、必ずしも貴殿の身体の内から流す必要はなく、人並みの大きさを持つ生物のものであれば不都合はない。

ただし、この風の層ははかなきものであり、強い干渉を受ければ即座に術は解かれ、その身があらわにされてしまうため、努々ゆめゆめ忘れることの無きよう。

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