1-9 這い寄る混沌

ナイアラートテップ、邪神じゃしん七柱ななはしらの中で最も邪悪なものであり、その言葉一つで人の身から瞬時に骨のみを奪い去り、さながらゴムで作られた人形のごとくその皮を引っ張っては振り回す。絶対的強者が持ち得る常に気まぐれな振る舞いをもって、幼児がぬいぐるみとたわむれるかのごとく人をもてあそぶのだ。自身に仇名あだなすものを決して許さず、一度これの目に留まってしまえば、これを崇拝するほかにその身を守る手段はないと言われている。


この神は心を持ち、それもってあらゆる地に現れては、人々にまごうことなき天災と言わんばかりの意味のない苦行を与え、興味を無くしてはまたいずこかへと消えゆく。その都合か、多くの場合その化身として人間の姿を取り、時にはどこに住まうかも定かではない裕福な貴族、紅のドレスで全身を煌びやかに飾る貴婦人、南部の黒人とも比較にならぬ漆黒を身にまとう男など、様々な形で世に現れ、苦々にがにがしい苦難を与えては高笑いしているという。


この小像の顔がえぐられているのは、恐らく此奴こやつの事を模しているのであろう。あらゆる顔を持ち、そのまことの姿を知るものはたとえ神であってもそんせず、どこからともなく忍び寄ることから通じて「這い寄る混沌」と渾名あだなされる、恐ろしき神である。


この洞穴を棲み処としていた屍食鬼の持つものであれば、彼奴等の崇拝対象としてあがめられ、この石の台座でもって贄を捧げていたのであろう。しかし、積み重なった血痕を見る限り、その贄として捧げられるのは生きたものであるようだ。彼奴等が人の墓を掘り起こし、血も流れぬほどに乾いた遺体を持ち去る所以ゆえんは、やはり食料としてであるのだろうか。


まずもって驚くべきは、彼奴等に”宗教”という概念があることである。人類が心のかてとして、自らが生きるための理由として作り上げてきた神という名の作り話を知ってか知らずか、屍食鬼どもにも崇拝する対象があり、種族の心の拠り所として、世代を渡って引き継いでいるというのか。


彼奴等の棲み処は地の底にあり、鍾乳石からしいたたるわずかばかりの水が岩を穿うがち、小さな水溜まりを作っている。皮膚の乾きが著しい彼奴等にとっては、身体を維持するのにこれで充分なのやもしれぬ。もしくは捕えた獲物から水分を補っているのやもしれぬ。積み重なった骨を崩してみると、中には鳥やししや、あからさまに人のもの、果ては屍食鬼の骨すらも含まれていた。推量するに彼奴等は、居を共にする同族をも喰らいながら、この暗闇に潜み続けていたのだ。時には食料を得るために同族を殺すこともあったやもしれぬ。積み上げられた大きな骨々は、それもって彼奴等の墓であり、喰らいしものたちのとむらいづかなのだ。


長い時の成せるわざか、これだけの大きなつかを築きながらも小さな集落だったのであろう、彼奴等の遺骸いがいは総じて六体。その全てが、糞尿を垂れ流しながら粘り気の強い吐瀉物としゃぶつで口元を汚している。うろの最奥まで逃げ込んだはいいものの、逃げ場を失い泡を吹いて倒れ込んだのであろう。毒の効果は彼奴等にも通用するに違いない。


そこらにある彼奴等の遺骸の内にめすの屍食鬼が一匹、わずかに膨らんだ腹を抱え込むごとく横たわっているものがあった。以前捕えた屍食鬼の嫁にあたるものだと思慮するが、腹を引き裂いて中を見るに、そこには受け入れがたい事実が存じていた。


なんと彼奴等の胎児は、人間のそれとおよそ見分けがつかぬほどに、似通にかよっているのだ。その頭髪、目鼻立ち、皮膚の質感、指や爪、背骨の形状、その他もろもろ。成熟したものの姿からは想像も出来ぬほどに、あまりに通じ過ぎているのだ。

それを知った時、余の脳裏に恐ろしい疑惑の念が鎌首かまくびもたげた。この姿のまま人間の世界へと解き放たれた幼児であれば、なにものにも気づかれず、不都合なくその身を社会に潜ませることができるであろうと。幼き姿を見せつけ、人の母性に訴えかけ、家族に溶け込むことができるであろうと。

それは無邪気に走り回るやもしれない。それは何食わぬ顔で麦を刈り取っているやもしれない。パン屋で、サロンで、調香屋で、至る所で自身の真実に気が付く日を待ちわびているやもしれない。


あまりの恐怖が余の全身を稲妻のように貫き、気が付けば余はその両の手に収まるほどの小さな胎児を取り上げ、その首を力の限り捻じりあげ、胴体から引き千切っていた。が、はっきりと覚えているのは呼吸を取り戻すのにしばらく時間を要したことと、そのまま汚物まみれの地面へとへたり込んでしまったことのみである。


貴殿にも、この事を心によく受け止め、染み渡らせるよう深く願う。子は宝とは言うが、余らが領民の中に紛れ込ませた屍食鬼どもの落し子が、仮初の親御のもとで正体を表す日を今か今かと心待ちにしているというその事実を。

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