1-6 意志の疎通

他者に意志を伝えることとは、なんとも難しいことである。故に人は言葉をつむぎ、口から放つ、もしくは書き記すことで、可能な限り正しい意志を後世に残さんと努めてきた。

しかし、それすらも時の濁流だくりゅうに吞まれては掻き消え、今もって残される古代からの意志は、濁流を跳ねる小魚が作る、ほんのわずかの雫ほどしかない。


余もこれまでに、意図を正しく伝えることが叶わず、いまだ後悔の念にさいなまれることもある。これを読む貴殿の心に、余が見聞きした事象がどれほど正しく伝わるであろうか。こればかりは誰にもはかれぬ事なれど、可能な限り多くの知恵を持つ者がこの書に触れ、民と己の身を守るすべを得て、多くが誇りをもってくらす良き世にして欲しいと切に願う。


捕えた彼奴等の口から出る怪音が伝える意志も、おぼろげながら掴めてきた。

発音に際し、上顎うわあご口蓋こうがいを震わせ、音を鼻から放つかのごとく声を発するとよい。ありふれた慣用句ではあるが、絹を裂くような悲鳴に似ているといったところであろうか。


「ミ」 …… 短く切れる音であり、これは”自分”の事を指す。

「ミュ」…… 流れるように、続く言葉と繋がる音であり、これは”相手”を指す。

「ミャ」…… ”それ”という意味で用いられる、後を引かず続く言葉に繋がる。


彼奴等も主語を使いこなすようであり、その音は「ミ」という音を根幹に持つ。発する音の種類は、今もって知るところ「ミ」「シュ」「ジュ」「ピ」という音をもととしており、「ミ・ミュチューイ」と発すれば、「私・あなた・助け」という意味を持つようだ。


首元にナイフをあてがえば、「チューイチューイ」と首を振りながら、目に涙を溜めて繰り返し鳴く。これを基に、彼奴等に「私・あなた・助け」と伝えると、口角を上に歪ませながら黒ずんだ牙と歯茎を見せつつうなずく。彼奴等が用いる身振り手振りは、その多くが人間と共通しているように見えたが、恐らく彼奴等が行った人間観察の賜物たまものなのやもしれぬ。常に観察されていたかと思うと、身の毛もよだつ思いである。


身振り手振りを加えることで、言語への理解が幾分いくぶんか容易になった。


「ピーユ」  …… 殴らない。蹴らない。通じて”平和”を表す。

「シュミー」 …… 物々交換、つまり”取引”を意味する。

「ピーシュプ」…… 一方的な物の引き渡し、「贈り物」を指すものだと思慮する。

「シ」    …… 生物が動きを止めること。つまりは「死」を意味する。

「ジャー」  …… 顔の前で、開いた手を左右に振りながら使われ、言葉の前に付ければそれを”否定”する意味を持つ。


彼奴等はこの会話を楽しんでいるかのようであり、余が言葉を繰り返すのを見て、意図するところを察したのであろう、余と意志の疎通を図ろうとさえしてきた。森の暗がりと日の指すさかいへ引きずり、それぞれを指さすと、暗がりを「ジュイーシ」、陽の光を「ピャーイ」と呼んだ。暗いと明るいであろうか、もしくは闇と光であろうか。夜と朝であろうか。

流れに従い、一匹を陽のもとへ連れ出すと、まぶしげに目を細めはしたものの、数秒ののちに元通り目を開け、辺りを見まわしていた。どうやら彼奴等の瞳孔どうこうは人のそれと変わらぬものらしい。特段とくだん陽の光を恐れているようには見えなかった。


「ピャーヤー」…… 己より上位のもの、つまりは”おさ”を意味すると思慮する。

「ショー」  …… ”行く”を意味する。対して”来る”は「ジューグ」のようである。


どうやら彼奴等の長は、あの洞穴の奥にいるようであり、彼奴等が作る群れは決して無関係の集団にあらず、いわば家族のようなものであるそうだ。屍食鬼にとって死とは、己より上位、つまり崇めるべきものであり、なにかからの贈り物であるらしい。


驚くべきことであるが、彼奴等には野生とはかけ離れた文化がある様に思えてならない。人を喰らうという唾棄だきすべき一点をもって、屍食鬼どもを人に仇名あだなす害獣であると決め込んでいたが、その認識はこれをもって改めさせられた。


こちらが心を開いて見せれば、彼奴等も存外ぞんがい様々なことを語って聞かせてくれる。最大限驚かされたことは、この二匹は嫁をめとっており、うち一匹はすでに子まで授かっているという。言葉が分からぬゆえに身振りでしか伝わらぬが、うっとりと目を細めて腹を膨らませる様子を表した。

余が唖然あぜんとしたことは、貴殿もこれを読む上で察したことであろう。


食料にも事欠ことかくようになったがゆえ、彼奴等に「ピーシュプ」という言葉を添え、その眉間にナイフを突き立てたことで、この会話は一応の終幕をみた。

臓物ぞうもつを探ろうとその身を開いてみれば、脳髄に肝臓、心臓に肺、胃の腑に膵臓に小腸大腸。骨の形は異なれど、既知きちのものばかりが並んでおり、またもや人と似通った面を思わされ、思いのほか余の心は乱された。


しかし、歩みを止めるつもりは毛頭もうとうない。

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