1-5 悪魔の囁き声

真の知見ちけんとは、自らの経験をもって学ぶ他ない。いくら書物を引いたところで、その身に残る物が無ければなんら意味を成さぬ。

余が師曰く、絶望と恐怖の奥底で溺れ、求めてもおらぬのにその口から悲鳴が零れ出すほどに自我を亡失ぼうしつした時、はじめて理性という名の衝立ついたてを取り払い、いかなる術をもってしてもあらがう覚悟を決め、藻掻もがきの中で全てを呑み込み、その身に宿る知恵と成せる。

これは魔術の道へと至る最初期の試練であり、師が課す修練は今をもって理解できぬこともままあるが、これにより余の歩むべき方角が示されたことは、今では感謝にえない。


屍食鬼どもをその常闇とこやみから引きずり出さんと欲す今の余には、師の教えのみが寄る辺であり、観察を怠るべからずというその言葉が、今もって余の心のうちに木霊こだまする。


貴殿がもし同様の観察を行うなら、掘り返されかけた墓土を慎重に埋め直し、余と屍食鬼グール、二種の足跡を外套がいとうすそこすり、き消すべきである。

屍食鬼の存在は、常世とこよに寝そべる闇を知らぬ人間にとってすれば、脅威に他ならない。

日々の営みの内を出ることなくその人生を終える彼らが、なんのすべも持たぬまま屍食鬼に遭遇したならば、まずもって恐怖に震え、身動きも取れず、何の抗いも出来ずにただその身を差し出すこととなる。子供のしなに語り聞かせる御伽噺おとぎばなしがまさかの真実だと知れば、その心にどんな錬金薬でも治せぬ深い傷を残すこととなる。

それが知るべき事ならば、時が来れば自ずと知ることになる。可能な限り平穏を保つこともまた、我らの職務である。


揺らめきを捉える別の屍食鬼が追ってこぬよう、墓場から森へ入った後に風の魔物を呼ぶのがよい。

その場に貴殿の血を五滴ほど垂らし、風上を向いて出来るだけ高い音で指笛を響かせれば、しばらくの後に風に運ばれてくる二、三の揺らめきが見えるだろう。彼奴等はありふれた霊であり、魂ある者の生気の名残をかてとするため、風が吹かぬ日でなければいつでも近づいてくる。

彼奴等は、肉体から離れた生気しか喰らえぬもろきものではあるが、しばらくすれば辺りの痕跡を全て喰らい尽くし、また風に運ばれてゆくであろう。

時に屍から立ち昇る揺らめきも喰らえてしまうほど、大きな塊となった魔物が訪れることがある。これは人の身にとって大変危うき存在であるため、すぐにその場から立ち去るべし。


力が入らぬように、荒縄で木の根元に縛り上げた屍食鬼どもをよくよく調べてみると、その肌は木乃伊ミイラのごとく乾いて浅黒く、また伸び縮みする。肉は薄く、蜘蛛の巣のごとき蒼き血管が全身に浮き出ており、若干のかび臭さがある。鉤爪かぎづめの硬さはさながら鉄のごときもので、手折たおるには少々難儀する。

夜闇の中で獲物を見つけた屍食鬼は、その目が赤く輝くと聞いたが、今もってその兆候は見られない。


主に人を喰らうと語られているが、彼奴等は存外なんでも喰らう。生肉はもちろんのこと、団栗どんぐり林檎りんご、生の穀物、百足むかで甲虫こうちゅうなど、口元にあてがえば嬉々として噛み砕き、胃の腑へ送る。


あの速さの根源である両脚は筋張っており、人で言うところの上腕骨、大腿骨辺りを砕いてみても、この様子なら四週程度で元のように動かせるまで回復するだろう。薄い切り傷や擦り傷は五日、深めのものでは二週もすればあとを残して回復する。およそ人とは遠き存在に思えるが、こうして観察すると、どこか人に通ずる点を感じ取ってしまうのははなはおぞましいことである。


特に、二匹を並べていると、なにやら木々に留まる鳥のささやきのような、なんとも気味の悪い小音を互いに投げ合っている。

集団を形成するものは、多くの場合”言語”を介して互いの意志を伝え合う。これも、おそらくは屍食鬼の持つ言語であるということに違いない。

傷を与える際には、二匹とも同様に「ジュジュウ」と聞こえるくぐもった音を繰り返す。これが痛みを表すものなのであろう。

また二匹を放置すれば、そのうち長めの音の応酬を重ねるようになる。「ミ」というぷつりと切るような短い音が言葉の頭によく聞こえるが、これはおそらく自身の事を指す言葉なのだろう。


犬猫と違い、音の種類が豊富なことは幸いであるが、ここからも人間に近しいものを感じ、憎悪の念がふつふつと湧き上がる。


彼奴等の言語を知れば、それもって彼奴等の意志を知り、その存在を根絶やしにするだけの知恵を得られるやもしれぬ。どこから来るのかを知れば、その手段を奪うことが可能となり、どこを目指すのかを知れば、前もって罠を仕掛けることも容易である。


本職のようにはいかぬが、しばらく推し進めることとしよう。

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