第一章 調査

1-1 大いなる印と二つ目の瞼について

たとえ見目麗みめうるわしい装いをしていても、隠し切れぬ内なる汚濁おだくが気づかぬうちに漏れ出してしまうのは、人も土地もすべからく同じである。

ここパリにおいてそれは特に顕著けんちょであり、街行くさなかにもところどころから漂う腐臭ふしゅうが鼻をつく。しかし、多くの場合それは早朝に市民が窓より投げ捨てる糞尿ふんにょうから漂うものであるという余の知見は、今にして思えば間違いであったと言わざるを得ない。


広大さを誇る都の暗部あんぶ、民衆の目から遮られし地下深くから立ち昇る、熟れすぎて溶け出した葉物はもののようなすえた臭いは、パリを離れぬ限りどこまでも付きまとう。たとえパリから離れたとしても、その臭いが風に乗って鼻腔びこうをくすぐる間は、常に彼らが傍にいるという意味に他ならない。


美しきヴェルサイユの宮殿から北東、パリを二分するセーヌの下流かりゅうより北へ馬を走らせること数刻すうこく、よく拓けた田園風景を左手に眺めつつ進めば、やがて名もなき小さな村に着く。

村の囲いの入り口にて御者ぎょしゃを帰すのが賢明けんめいである。あとは月明かりの出た夜を待つべし。

満月であることが望ましいが、少しばかり欠けていたとしてもいくばくの問題もない。


村民に尋ねれば、村から西のはずれにある共同墓地の場所を知ることは容易である。貴殿きでんが鼻の利くものならば、村に立ち入る以前より墓場から漂う例の悪臭に気が付くことだろう。

村のものはこの臭いにわずかの注意も払っておらず、他の領地と変わらぬ営みを続けているが、事これに関しては気づかぬふりを通すことが肝要かんようである。


少しばかり気を家屋かおくへ向ければ、その戸口に他では見かけぬ奇妙な紋様もんようが刻まれていることに気が付くだろう。戸口に限らず、窓や村の至る所に配されているこの紋様は、どことなく木の枝にも似た線の重ね合わせに見えるが、村人ですらこの紋の意味を正しく知るものはいない。


これは人類が生まれし頃よりも太古の昔から伝わる、大いなる力を持つ印であるため、わずかも違えることなく書きとめ、覚えられたし。

この印は、いかなる魔のものもこの印を超えることが叶わぬよう、不可視の結界を張るものであり、何ら力を持たぬものもただ印を刻むことで効果を及ぼす。これにより家族は、異形のものどもを近づけず安らかに眠ることが出来るのである。


家々につけられた印を比べてまわれば、わずかに差異があることに気付く者もいるやもしれぬ。だが、角度、線の長短、枝に配された印など様々あれど、まったくの差異無く描かれた箇所が重要であり、真実を語るならば、この印の真なる形を知るものは、すでに常世とこよを離れた虚無のうちに取り込まれていると思慮しりょする。いずこからこの印が示されたのかを知るものも最早もはやこの地におらぬが、およそ人間には推量すいりょうすることも叶わぬ星々の力がここにあることを忘れるべからず。


死霊術とねずみの関係を語るものは少ないが、ここに次なる術を記す。

これは二つ目のまぶたを開く術であり、この二つ目の瞼を持って魂魄こんぱくに対する識覚しきかくを得るべし。


まず、高さ1pied《ピエ》、直径7poucees《プーシズ》程度の大きさをしたコルク栓のついた瓶に、丸々と太った鼠を六匹放り込む。中が見えるガラス瓶ならばなお良し。鼠は六匹目が入るか否かの瀬戸際を押し込み、完全にふたをすべし。


そのまま二晩も過ごすと、鼠はあまりの狭さと飢餓きがにより、きょを共にする鼠を貪り始める。三晩、四晩と経つにつれ鼠の数は減ってゆくが、いかなることが起ころうとも半ばで蓋を取ってはならない。同種どうしゅ食いを始めた途端、鼠は魔のものに近い存在になり果てるからである。

瓶の隙間が広くなれど、一度同種を食らい始めた鼠の食欲が止まることはない。その数が一匹に至るまで、皮や骨の残骸も残らぬまで、その血を鼠がすすりきるまで、決して蓋を開けてはならない。


やがて瓶が音を立てなくなった頃合いを見て、蓋を取り鼠を捕まえるべし。この鼠に指先をひと噛みさせれば、もうろうとする意識の中で二つ目の瞼が開かれるだろう。眩暈めまいはわずかな休息ののちにとれるが、開かれた瞼が閉じるには一晩はかかる。

鼠は七匹でも五匹でもなく、六匹であることが肝要である。多ければその毒は力を増し、貴殿をたやすく殺め、少なければあまりの寒気にかじかみ、動くこともままならぬ病に侵される。


この目をもって、月明かりの晩に離れた丘から墓地を望めば、なにやら獣脂蝋じゅうしろうのごとき色をした湯気にも似た揺らめきが、墓場のそこらに立ち昇る。揺らめきが見えぬなら、その墓場には既に死者はおらず、遺体のことごとくは墓土はかつちの下に眠っておらぬということである。


揺らめきは多くが人形ひとがたを成しており、無垢のまま何一つ羽織らず呆然としている。これらにはすでに心なく、ただ腐りゆく己の体の上から離れられないのだろう、墓土の周りをうろうろと歩き回るか、ただ頭を振り乱し続けている。


もしその目に映る揺らめきが、人の姿と異なる大きなものや小さなものであったならば、何があろうと決して近づいてはならない。息を殺し、その場をすぐに立ち去るべし。

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