屍食教典儀 Cultes des Goules
ガンダルフ
序文
やがて否応なく訪れるとこしえの眠りに抗わんとするものよ。聞け。
なにものも帰らぬ地の底より這い出づるものより、貴殿へと送るこの言葉を。
死は終わり足りえるものでなく、また始まりにも似ず、ただ貴殿の心をかき乱すのみを目す詮無き事象である。
あらゆる死から逃れよ。あらゆる死を遠ざけよ。そしてあらゆる死を超えよ。
いかなる時にも愛する情婦を抱くがごとく、その腕より生命を離すことなかれ。
常世を行き交う歩みもおぼつかぬ者たちが口にする戯言に、その耳を傾けることなかれ。彼奴らは真実を知らず。ゆえに抱えたその無知という名のうつろに戯言を詰め込み、戯言を羽織らせ、また戯言をまき散らすのみ。手にしたものを離さぬようそのうつろを固く握りしめ、近しきを受け入れ遠きを蔑むそのものどもは、すでに死者と等しき存在である。そこに真実はない。
失うを畏れるな。疑い、時に去ることのみが貴殿に死を超えるための知恵を与える至高の宝玉となる。死にて失うがゆえに、死すれば戻り得ぬがゆえに芽生え、育まれゆくその郷愁こそが、貴殿を泥にまみれた死から遠ざける術を授ける。
死への恐怖は、常世を上手く歩みゆく者にとってことさら恐ろしきものである。死してのちに残りしものを惜しみ、生きながらえるを望むはただの強欲である。ユダヤの大工が息子に騙され、死したものを迎える天上の楽園を信じるはまことの無学に他ならない。さりとて生きとし生けるものすべてにとって、死は未知なるものであり、避けようもなく万民に等しく与えられる至尊の安らぎであると説くもまた噓である。
魂の置き場を知ることが、死を超えるための第一歩である。肉は魂の作用を広げるための脆き器に過ぎない。器が失われれば、魂はただ虚無の元へと戻るのみ。失われし魂が天へと向かうのを余はこの目でしかと捉えた。またたく星々の影にこそ虚無はある。魂は常世へと降り立つ以前、虚無の中にて時を待ち続けるのやもしれぬ。虚無より引きずり出した魂に問うても、その答えがいまだ得られておらぬことは、虚無の魂に識覚がないことの証明であると余は思慮する。
魂が虚無へと帰りしのちに残された肉は、もはや土に還るのみ。
その身体から赤がことごとく消え失せ、樽の中で幾年もの時を重ねた葡萄酒のごとき茶に染まり、やがて目玉は眼窩へ飲まれ、腹ははち切れんばかりに膨れ上がり、骨にへばり付いた肉は皮膚と共に垂れ落ち、やがて腐る。
これを嫌う生者も多く、見るに堪えなくなるより以前に土へと埋めてしまうか焼いて灰にしてしまうが、その始末にも手はかかり、正道をゆくものにとっては常になんの役にも立たぬ肉袋である。
正しき処置を行わず、ただ朽ち果てるを待つのみの肉に意味を持たせるには、すなわち己の身に宿すこと。喰らうことが必然となる。
これに関し、彼らを除いて語ることは決してできない。この華やかなりし都パリの地底に潜む、おぞましくも優しき、知性ある屍喰鬼と呼ばれる存在のことを。
彼らが余らにもたらした知恵は、長き人類史よりもはるか以前より受け継がれてきたものであり、その多くがもはや失われて久しい。
罰当たりだと決めつけるものもいるやもしれぬが、余はあえてある種の行為や信仰をこうして説明することにした。後は、神に判断をゆだねよう。もっとも、カトリックに傾倒した哀れな不心得者どもが神と呼ぶ存在がどれほど愚鈍で矮小かを知るものならば、この書に書き残す真なる神とをはき違えることもなかろうが。
願わくば、愛する家族にその恐ろしき力が振るわれぬように。
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