それはきっと、神と呼ばれた

 それと、決して目を合わせてはならない。

 昔、父さんに言われたことを、ぼんやりと思い出していた。

 動かせない視線は、じっとその目と合っていて、ああ、これが父さんの言っていたことの、その理由なんだろうと思った。

「ああ、嬉しや」

 言葉が、頭にずるりと入り込んでくるような感覚がする。

 知らないはずのその言語の意味は、あまりにも不自然に、自然と認識される。

「なにをしようか、なんとしようか」

 震える体と、全身をめぐる寒気は、それに対する本能的な畏怖を必死に伝えてくる。

 それが、明らかに俺とは違うモノであることは、当然理解していた。

 それでも、俺はあまりにそれが嬉しそうなものだから、つい、言ってしまったんだ。

「そうだね、何をしようか」

 答えた次の瞬間、視界から蛇のような下半身を持つそれが消える。

 代わりに全ては暗闇につつまれ、生暖かい感触が全身を覆う。

 そうしてそれらを抜けると、そこは、桜の散る庭園のような場所だった。

 どこまでも澄んで、雲ひとつ無い青空と、見渡す限りの広大な桜の木々たち。

 しばらく呆然としていると、近くの桜の陰から、十数センチ程度だろう蛇がのぞいた。

「こちらです、こちらです。どうぞこちらへいらしてください」

 そう言う蛇に着いていくと、丸く開けた場所に、敷物のようなものが敷かれていた。

「どうぞ、どうぞ、お座り下さい」

 言われるがままに、俺は敷物に腰かける。するとそのあまりの手触りの良さに驚いた。

 いくらか撫でるだけで、シルクやサテンなんて比べ物にならないほどに、極上のものであることが分かる。

 そんなものが、当たり前のように地べたへと引かれていることに、改めて俺は驚いた。

 そんな風にしていると、向こうの方からまた、蛇が現れた。先程のものと同じくらいの大きさのそれらは、その背に盆や衣服を積んでいた。

「さあ、さあ、どうぞお飲みください」

「さあ、さあ、どうぞお着替えください」

 俺は言われた通りに、高価そうな和服に手を通し、赤い杯の中身を飲み干した。

 ぐらりと、あるいはするりと、何かがズレたような、抜けたような感覚を覚える。

 すると蛇たちは、くるくるとその場で回り喜んだ。

「ああ、ああ、なんとめでたいことでしょう」

「ああ、ああ、いくど待ったことでしょう」

 そうしてひとしきり喜んだ後で、蛇たちはさっと縦に二列に並んだ。

 それはまるで道のようで、その先に続く果てのない桜の木々は、ゆらゆらと揺れているように見えた。

「さあ、さあ、どうぞその先へ」

「さあ、さあ、どうかその先へ」

 促されるまま立ち上がろうとしたその足は、何かに掴まれたように動かない。

 ぎりと、力強く感じるその感触は、けれど不快でも痛くもなかった。

「……ごめん、その先には行けないや」

 そう告げると、桜はざわざわと揺れ、蛇たちの目は怪しい光を放つ。

 ぐらりと揺れるような感覚と共に、着ていた和服は消えうせ、するりと飲み込んだような感覚と共に、杯の中身を吐き出した。

「ああ、ああ、なんということでしょう」

「ああ、ああ、なんとしたことでしょう」

 蛇たちは、目を光らせたまま、憐れむような顔を見せる。

「なんと悲しきことでしょう」

「なんと切なきことでしょう」

 ふと、蛇たちの作った道の奥に、それが見えた。

 今にも泣き出しそうな、怒りと、諦観につつまれた顔。その顔に、俺の胸の奥はぎゅっと潰れる様な感触を覚える。

「期待させるようなことを言ってごめんよ。俺は、そっちに行けない」

 あっちに、俺を待ってる人がいる。

「ああ、そなたもまた、うつつに縁を求めるのよな」

 そう声が聞こえると同時に、庭園は暗闇へと戻り、陽気は生暖かい感触へと戻る。

 誰かの声が聞こえて、その方向へと必死にもがく。

 ぬちゃりとした、どこともわからぬそこを進むと、暗闇の先に太陽の明かりが見えた。

「ああ、ああ、なんとお労しいことでしょう」

「ああ、ああ、なんと残酷なことでしょう」

 後ろの方から、蛇たちの声が聞こえる。

「しかしそれも人の営み」

「しかしそれが人の営み」

「「なんと切なく、なんと悲しく」」

「「我らはもはや、交じることさえも」」


 はっと目を覚ますと、俺は道端に倒れていた。

 雲のかかる空を見ていると、向こうの方から大声で俺の名前を呼んでいるのが聞こえてくる。

「いた! いたいたいた!」

 その声が頭上まで迫ると、ばっと、空を遮るように父さんの姿が視界に入ってきた。

「おい、聞こえるか? 見えてるか?」

 問われた俺は、ただぼーっとその姿を見あげていた。

 しばらくして、

「父さん」

 そう呟くと、怒ったような、安心したような顔をして、父さんはぎゅっと俺を抱き起こした。

「この……ばか息子!」

 なぜ馬鹿と言われたのか、なぜ抱きしめられているのか、俺には分からなかった。

 けれど、全身から伝わる温かさに、なぜか安心するような気持ちになる。

「父さん、俺、何かは分からないけど、酷いことをしてしまった気がするんだ」

 もう思い出せない顔と声が、ただただ悲しげだったことだけを、覚えている気がした。

 そんな俺に父さんは、さらに力を込めてぎゅっと抱きしめる。

「いいんだ。確かにそうなのかもしれないが、それで良かったんだよ」

 自分が言ってることも、父さんが言ってることも、なんの話をしてるのかは分からなかった。

 けれど、きっとこれで良かったんだろうと、俺は納得することにした。

 だってここには、これほどに俺を強く握ってくれる人がいるから。

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神と呼ばれたモノたち 赤いもふもふ @akaimohumohu

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