第七章 可能性の海へ


「しょーぉちゃんっ!」

 猪突猛進、という言葉が、これほど連想されるやつはいないであろうほどの行動を持つ、風間望という、ややボーイッシュな印象の女性が、勢いよく教室へと飛び込んできた。緑が混じる濃い色の茶髪はショートカットで、同じく濃いめの大きめな茶色の瞳。顔立ちは愛らしいが全身からにじみ出るのは、それ以上の活発さと群を抜いた生命力の輝きだ。

「望? どうした?」

 そう返答したのは、病み上がりというか、無理やり退院したというか……担当医を困らせたショウ・S・クオンタムその人である。少し長くなった金髪をざっと後ろで一つにくくり、スクエア型の黒縁メガネの奥で光る、深い空色の瞳には、少し面倒くさそうな色が滲む。

 ここは遊学園の二つ名でも呼ばれる、セント・コーリアル学園の中等部、1年Sクラスの教室だ。ショウはというとそこでひとつ受け持ったプログラムの授業を終えて、大学部に戻る支度をしていたところである。はっきりいえば……注目される。

「あー……とりあえず、場所変えるか」

 言いながら望の横をすり抜けかけるショウ。と、がっしと望がその手をつかんだ。

「教室に戻るのは却下。いま大学部すんごい事になってるわよ。だからわざわざあたしがここに来たんだもん」

 一番知名度低いから。ときっぱり言い切り、行くならおごりでカフェあたりね、とちゃっかり外に向かって歩き出す。

「おいおい……」

 苦笑をもらすも、仕方無しにその言に従い、軽く肩をすくめて見せた。

「何があったんだ?」

 カフェに向かう道すがら問い掛ける。夏休みももう間近のこの時期、浮かれた雰囲気の学園内は、祭り好きの彼らにとっても嫌な雰囲気を受けはしない。

「いろいろ。ぶっちゃけ、ショウちゃんが倒れるから余計に騒ぎ上乗せされた感じよ」

 さらりと言われ、うっ……とショウがうめく。

「ショウちゃんあの時病院で一曲、歌作ったじゃない? ほら、次回のドラマの主題歌になるやつ……」

「ああ……あれか……」

 退院と同時に無理やりスケジュールを進めてレコーディングした一曲に思い当たる。

「あれ、気の早い歌番組ではすでに紹介され始めてるし……発売も一月切ってるし、聞いてる子は結構いるのよね」

 意味ありげな視線で、望はそう言うとショウを見た。

「……それで?」

 やや釈然としない表情でショウが問い掛ける。あれは……彼女を思って書いた歌……。

「あたし達にはわかるわよ。誰に歌ってるか……けど、まぁ一般のファンの女の子達は気になるわけよ。なまじ、自分の気持ちを、なんてほのめかしたコメントするもんだからもー大変! ショウちゃん倒れた時に我慢してもらうように呼びかけてたのもあって、爆発しちゃった感じ。すごーい量のファンが大学部取り巻いちゃっててもぉ……」

「うぁ……すまん」

 ショウは素直に謝った。

「まして、ミハエルがちょっとしたニュースもってきた時に、ファンに捕まって情報遅れて、あたしたちのせいにされちゃあたまんないもんねー」

 にまりっ、とあまり品のよくない顔を浮かべて、望は笑った。

「ニュース?」

 怪訝そうな表情を浮かべ、ショウはそう聞き返した。

「そぅ、ニュース。まぁ、それは夜にミハエルがショウちゃんちに行くっていってたから、あたしたちも「ちょっとしたニュース」としか聞いてないんだけど……」

「それじゃ、全然わかんねーじゃねーか」

 眉根を寄せて小さくため息をつくショウに、だからぁ、と望は続けた。

「夜。確か今日は夜の時間は空いてたわよね? だから、皆でショウちゃんちにおしかけるから、そこんとこヨロシク」

「………をい。」

「あ、ちなみにメンバーは、あたしとアキ、コルトさんにれっちゃんにブレットになっちゃん。ゴーにミハエル、シュミット、エーリッヒ。そんなとこかな?」

「ちょっとまてぃ」

「人数多いからショウちゃんちがおっきくてよかったー。まぁ、普段なら無駄におっきくても意味ないわねー、とか思ってたけど、こういうときは大きいうちの方が便利よね」

「だから人の話を聞けっ!」

「もー、なによ。文句でもあるわけ?」

 さも心外だ、といわんばかりに望はショウの顔を見た。

「文句っていうか……なんで俺に何の相談もなしに決めてんだよ……それに、夏樹さんまで来るって……」

「あー、なっちゃんは、アキと打ち合わせした後にそのまま一緒に来るらしいわよ。まぁ、あんたの……シェリル? とかモデル系の仕事いまだに多少受け持ってるんだから、いいんじゃない?」

「そういうことじゃなくてだな……」

 いいかけ……ショウは軽くかぶりを振った。どうせ、こいつにいっても仕方がない。

「まぁ、そういうわけだからヨロシク~。あ、ついでにお昼は中華食べたいっ!」

「アキにおごってもらえ」

 頭を抱えながらショウはそう投げやりな調子で呟いたのだった。




「つーわけだ、んじゃさっさとショウの家だな。たしかミハエル君だったか? なんかニュースもってきたっつってたよな」

 ざっと明日以降の予定を説明されて、マネージャー、コルトさんがそう続けた。

 どんなものなのだろう……と思いつつも、コルトさんの運転で家まで戻る。駐車場を開けて、コルトさんが車を止めてる間に、家に入り窓を開け風を入れる。

 さすがにこの時期、しめきった家の中は……蒸し暑いとかそういうレベルではない状況になってしまっている。いやまあ……相変わらずどうも、体の芯の冷えは消えていないのだけれど。

 程なく、コルトさんとともにレツやゴー、ブレットもやってきた。どうやら外で一緒になったらしい。帰ってきたタイミングが良かったようだ。

「やほー、ショウ君少しは元気になった? っていうかご飯食べてちゃんと寝てるんだろうね? 無理したらどついてでも寝かすからねっ」

 にこやかな顔をしてなかなか怖い事をいいながら、レツが勝手知ったるなんとやら、お茶を用意しにキッチンへと引っ込む。

「あぁ、まぁそれなりにやってるし寝てるよ。心配すんな」

 苦笑しながらカウンターの向こうのレツに返事を返しながら、ソファーに座った。

 本当のところは、あんまり改善はされていない。食事も相変わらず微々たる量だし、睡眠も眠りが浅く目覚める回数が多すぎる。ほとんどサプリや飲料系などで無理矢理もたせているに近い。

 しかしながら、これ以上弟に近い相手に、情けない心配などかけるわけにはいかないわけで。

「その割にはよりいっそう白くなってねーか? 大丈夫かよショウ兄貴」

「あー、日焼けできねぇだけだって。仕事上」

 なかなか鋭い事を言うゴーには、ただただ苦笑するしかなかったが。

 しばらくすると、続々と望、アキ、夏樹さんもやってくる。それぞれと挨拶を交わしていると、ほどなくミハエルも長い金髪もそのままなびかせ、ミハエル自身よりも背の高いシュミットとエーリッヒをまるで従える形で……いや実際従えてるんだろうが……堂々とした足取りでやって来た。

 今日の主賓である。

「やぁショウ、元気になった?」

「おかげさんで。悪かったな、予定狂わせて」

「気にしなくていいよ。それより……もうみんなそろってるみたいだね」

 そういうと、ミハエルは周りを一度見渡して……頷き、全員から見える位置、L字ソファーの短いほう……つまり俺の斜め向かいに腰掛ける。シュミットとエーリッヒは背後に控えている辺りがもう……うん、まぁいいんだけど。

 日本の一角だというのに、集まったメンツの半数ほどは外見からして日本人とはかけ離れている。類はどうの、というわけではないが、つくづく日本をホームにしてる理由に我ながら疑問が浮かんでしまう。いやまあ、変える気はないけども。

「今更過ぎる気もするから、単刀直入に言うね。たぶん、これだけ集まってもらったってことである程度予想はついてると思うんだけど…聖のことなんだ」

 ざっくばらんにミハエルが言う。前置きも何もなしで話が早いことこの上ない。

「見つかったのか!?」

 少し幼く見えてしまう、大きな黒い瞳を喜色に染め、ゴーが言うが。

「いえ、まだ見つかってはいません」

 エーリッヒがあっさりとそれを否定した。シュミットがそのまま話の主導権を引き継ぐ。

「しかし、聖によく似た女性を見かけたんだ。遠めで、何人かほかの連中に隠されるようにして移動してはいたが……おそらく、本人に間違いない」

「見かけたって……お前がか」

 ショウの問いかけに、ああそうだと、シュミットがやや悔しそうにつぶやく。

「距離が遠くて……急いで追いかけたんだが、見失ってしまった……場所はイギリスのロンドンの一角。3日ほど前の話だ」

「3日……! それなら、まだ聖もロンドンにいるかもしれないってことだよね!?」

 レツが期待で顔色を変える。

 イギリス。何人かの連中と一緒にいる聖。……ロンドン?

「一応向こうでは探してもらってはいるんだけど、見つかるかどうかは正直言って、微妙なところ。

 で、ここからはぼくの予想になるんだけどさ」

 ミハエルが真面目な面持ちでそういい、一度言葉を切って一同を見わたす。そしてゆっくりと、再び口を開いた。

「もしかして聖、大型チャイニーズマフィアに囲われてるんじゃないかな……ってね、思うんだ。チャイニーズマフィアは数も多いし、ネットワークも広い。人数も多い。ぼく達のチェックできない範囲とかもすごく多くて、一番穴になりやすいところなんだよね」

 これ、といいながらミハエルは、エーリッヒがもってきたかばんの中から、いくつかのファイルを俺たちの真ん中の、目の前にある机に並べる。

「可能性がありそうな連中のリスト。とはいっても、ぼく達もあんまり探りいれられない、どっちかって言うと敵対してる連中だから、あんまり詳しいトコロはわからなかったんだけど……中でも怪しいのが、このグループ」

 ファイルの一冊を広げて、さらに続ける。

「タイクーンって呼ばれる3人のトップをそれぞれ中心に、派閥があって、かなり大型のマフィアみたい。実力もネットワークもこの中じゃ多分一番高い。黒いうわさもたえないけど、特に薬品とデジタルが強い。可能性、あるんじゃないかな」

 俺はそういわれた一冊のファイルを開き、中を確認すると…真っ先に、スケジュールで赤線引っ張られているところに気をとられる。

 これは……そうか、だから、ロンドン。

「総会があるのか……ロンドンで、5日後に」

 よくこんな情報まで仕入れられたもんだと感心する。もう最近は、ぜんぜん裏の情報を集めることをしなくなってしまったから、俺の耳に届くのは、たまに入ってくる昔のツテくらいしか、新しい話は入ってこないのだ。

 なんとなく。

 なんとなくだが、引っかかるものを感じた。

 大型チャイニーズマフィア。黒いうわさ。敵対。

 ……二年半。いや……

「三年くらい前に……たしか……」

「……何か、あったんですか?」

 エーリッヒが聞いてくる。

「もうだいぶうろ覚えだが……三年くらい前、大型のチャイニーズマフィアと、未認可のある治療薬のデータのハッキングでやりあった覚えがある。確か、一部ドラッグを打ち消せるかもしれないって効果が出て……まあそれは結局、データの誤差の範囲でしかなかったんだが、あの時交渉に出てきた連中の大元が確か……」

 このマフィアだった気がする。

 でも……だとしたら、なぜ。

 あの時やりあったのは俺のはずだ。

 俺が狙われるならわかる。

 しかし聖が狙われる理由も……ましてや、そこに囲われる理由も、ないはずだ。俺を強請るなら話は別だが……

 そこで、ふと。

 本当に久々に、そんなことで頭を回転させたことで。

 唐突に。

 ……気づいてしまった。

 ……――ずっと、目を背けていた現実に。


「……ショウ?」

 アキが探るような視線で、やや俯き黙してしまったショウを見た。

 ブレットが、レツが、ミハエルが。その場にいた者たちがみな、ショウを見つめる。黙して意識を失い、倒れた記憶はまだ新しい。少しだけ焦るが、しかし瞳は普段よりも、強い光が宿っていた。

「………っざけんなよ………なんだそれ………」

 そんな周りなど知らずに。

 呻くように、ショウが吐き出した。

 ………気づいてしまったのだ。

 彼女に。

 聖に。

 ………護られていた、ということに。



 思い起こせば、彼女が失踪してからしばらく。

 はじめは、何か理由があって彼女だけ騙され攫われたのかとか。

 あるいは何かから逃げる必要があって、顔や姿を変えて隠れているのかとか。

 色々と考えはした。

 よい可能性も、悪い可能性も……どちらかと言えば悪い可能性の方が浮かんだが、それはもう色々と考え。

 そしてとてもシンプルに……俺のことが嫌になったとかじゃなければ……裏社会とつながりがあったことが原因だな、というとても単純なことに行きついたのだ。そもそも、俺のことだけであるならば、周りすべてから姿を消す理由はないのだし。

 だから、きっと、と。

 見つかると信じて。

 戻ってきてくれることを祈って。

 裏社会から足を洗う、と決めた。

 そうすんなりいくはずはなかったが、こちらからは請け負わずかかってくる火の粉を振り払っていれば、そのうち落ち着くだろう、位のつもりでいたのだ。

 だが。

 あの日から。

 裏仕事を断るようになってから。

 ………厄介ごとが消えたのだ。

 無論初めのころは、下っ端と思われる連中の横やりも少しはあったし、協力を強制させようというアプローチもあった。

 だが、前ほど多くもなく……単に協力していた方々が手をまわしてくれていたのだと思っていたが……命を狙われることも、協力を強制しようとしてくる輩も、俺を従わせるために俺の周りを狙おうとする輩も。

 いきなり、ふっと消えたのだ。

 ……おかしいと思わない方が、どうかしている。

 そう、どうかしていたのだ。そんな単純なことにも、気づかないほどに。

 そして……彼女が本気でそれを狙って消えたのであれば、俺では手が届かない。

 立ち回りに関しては、あいつの方が上手なのだから。

 現に裏の繋がりがあった連中にも、仕事は手伝えないと申し訳なさをおしつつ、聖の捜索を頼んだことも一度や二度ではない。

 しかし結果は芳しくなく、現在に至ることがすべてを物語る。

 唐突に、すべてが腑に落ちた。


 彼女は、俺を護ろうとしてくれたのだ。

 ……――普通の、幸せな世界のために。

 彼女がいない、世界のために。



「しょ……ショウ………?」

 コルトさんが、遠慮がちに声をかけてくる。

 だけど俺は、それにこたえるだけの余裕をまだ、取り戻せなかった。

 幸せになってね、と。彼女はいった。

 覚えていなくていい、忘れていいと。

 ――最後の手紙で、そう、言ったのだ。

 そしてそれは。

 何も知らず。何もわからず。忘却の彼方へと押しやってしまったのだとしたら。

 ……幸せな世界。

 それは、確かに幸せなのだろう。

 たぶん……普通に考えたら。周りにも……人にも、仕事にも、あるいは生活だって……たぶん恵まれていると思うし、忘れて笑って暮らしていられたら、たぶんそれは、とても。

 幸せな、世界だ。

 ……なのかもしれない。

 ………けれど。

「誰がそんなもん………っ」

 幸せを感じることができるかは、人によるのだろう。

 残念ながら、俺には。

 聖のいない世界を、幸せだ、ということは……できない。

 できるようになることは、ないだろう。

 あの日から、自分と現実の間には、一枚の壁がある気がして。

 リアリティのない世界。薄布の向こう側のような、水の中の世界のような、すっきりとしない世界の壁。

 しかし確かに護られ続け……なるほど、二年以上もの間、平和ボケした世界にうつつを抜かし居続けてしまった。

 おかげでそんなことにすら、気づかない程度に。

 思考が巡る。

 世界の隔たりは消えないけれど、もしかして、という希望は、活力を生んでくれる。

 それは……あいつの意思とは、外れるのかもしれないけれど。

「……たぶん、聖はそこにいるんだろう。自分の意志で……奴らに協力しているんだと思う」

 絞り出すように、言った。

 確信できるほどの要素はない。

 あくまで状況と、想像だ。

 でも。

 ……間違いない、と頭の隅で警鐘が鳴る。

 急がなければ間に合わない。

 俺は、彼女がいない世界でなんて、生きていたくない。

「な、なんで……ちょっとまって、自分の意志で?」

 ミハエルが目を見開いて、まって追いつかない、とこめかみを抑える。どういう事……? と瞳の奥が思案で染まる。

 おそらく今彼も、色々な状況を踏まえて脳裏に可能性を並べているはずだ。

「脅されて協力させられてる……ってんなら、わかるけど。自分の意志ってどういう事? だって聖……というか、僕たちとこういう黒いところって、基本的に相容れない……敵対してるわけだよね?」

「ああ」

「だったら、抵抗したり叩こうとするならわかるけど、協力なんて……」

 そこまで言ってから、あ。と先ほどの書類を見て、驚くように俺を見て。

 まさか……とかすれた声で、顔色を変えた。

「それは……え、でもまって、まさか……まずいんじゃない、それ!?」

 ミハエルにしては珍しいほどうろたえ、顔面を蒼白にして口元を抑える。

 俺は小さく頷くと、たぶんそうだ、と肯定を返した。

「ちょっ……どういう事?」

「おい、二人で完結するな、説明しろ!」

 レツとブレットがしびれをきらし、やや険しい声で言ってくる。

 なんと説明したらいいか……と逡巡し、順を追って話し始めた。

「……まず、聖が消えたこと。これはたぶん……俺のせいだ」

 あの少し前から、確かに。

 裏からのアプローチは激しくなってきていた。

 おそらく件のマフィアが大型だったのもあり、人材も豊富だったのだろう。そこで明らかな敵対と対立。邪魔に思われてもまあ、仕方がない。

 正直、驕っていたとは思う。

 なんとかできるつもりでいた。

 けど、おそらく。

 聖には、その先まで見えていたのだろう。

 実際として、そのまま対立が激化したら……周りに対する被害もあった可能性もある。

 あるいは。

 ……聖に手を出されていたら。

 俺はきっと、奴らの誘いを断ることができなかっただろう。

 そして聖は……自分が、俺の弱点であることを知っていた。

 それは……聖にとって、しんどいことだったかもしれない。

 仮に俺が聖の弱点だったとして、聖が俺のせいで……意に沿わないことを強制されることが続いたとしたら。

 俺だってたぶん、耐えられない。……今の状況が、もしかしたら、そうである可能性もあるのだが。

「少し裏に踏み入りすぎてたから……あいつは、それをわかってて………

 今は……護られているんだと、思う」

 ぎゅっと、知らずにこぶしを握っていて。ツメが刺さる痛みで気づいた。

 レツとブレットが息をのむ。望が目を丸くして、小さく首を振る。

 シュミットが、エーリッヒが、ミハエルが。ゴーが、夏樹さんやコルトさんが。

 思考の外に押しやっていた事実に、息を詰める。

 ……そんな中。

「……やっぱり、そういうこと、だよな……」

 アキだけが。

 ぽつり、とつぶやくと、苦笑を浮かべた。

「……アキ?」

 探るような視線を向ければ、眉を寄せ困ったような笑みを浮かべ、薄々そうじゃないかとは思ってた、と告げてくる。

「俺もな……のんちゃん巻き込むのが怖くて……危ない橋渡らなくなってさ。……気づいたんだよ。

 そういえば俺たち、狙われなくなったな、って」

 ふっ、と息をつくと、自嘲的な笑みを浮かべてアキは続けた。

「お前が倒れてから……色々考えて……本当に、色々、考えて。

 ……行きついたのは、あの時だった。でも……今のお前にそれは、言えなかった。」

 ごめん、とアキが視線を外し俯く。

「たぶんさ、俺とか、周りが狙われなくなったとかは……あくまでおまけでさ。

 聖が本当に狙ってたことは……ショウ、お前が……誰からも狙われなくなること、だったんじゃねえかなって……」

 つい、とそのまま望に視線を移し、アキは一瞬だけ泣きそうな顔をして、こぶしを握る。

「多分俺でも……のんちゃんが狙われたりしたら……似たようなことをするかもしれない。でも、それがそうだってばれちまったら、絶対気にするだろ? だったら……ばれないように、って……」

 消える選択を、したんじゃないか。

 言葉にはならなかったその声が、聞こえた気がした。

 視線を向けられた望が、いやいやをするように首を振り、やだよ!? と声を上げる。

「あたしは……あたしはアキがいなくなったりしたらやだよ!? そんなの絶対嫌!」

「わかってるって。そもそも……俺にはそんな、全部捨てるほどの度胸はねえよ」

「一人で消えたら地獄の底まで追いかけてやるから。絶対に! そんなことになったら、あたしも連れて行きなさいよ!?」

「わかったって」

 苦笑して望に向かって言うと、またこちらを見て、伺うように聞いてくる。

「……大丈夫か?」

「……大丈夫だと思うか?」

 逆に聞き返した。

 護られている、と。自分がいない世界で幸せになれと。

 そんなことを突きつけられて、大丈夫だなんて言えるほど、俺は人間ができていない。

「で、でもさ……まってよ、まって。それ、どういう事?

 だってさ……ショウ君狙われてたのって、一つのところじゃない、よね?」

 レツが考えながらそういうが。

「たぶんそれは……これは予測だが、聖がついたところが、影響力の強いマフィアだった、ってことだと思う。マフィア同士の抗争にするには相手が悪いんじゃねえか? だからあいつが……この、マフィアが。俺に手を出さないどころか……護ることを決めたとしたら……それは、他から見たら手を出せない、という状況になったんだろう」

 臍をかむ思いで、一つ一つ、自分の置かれている状況を認識していく。

「え……まって、それじゃあ……」

レツが、飲み込みたくないものを飲み込んだような顔をして、口をつぐんだ。

「あいつは、自分の意志で……俺にもう、余計なことが起こらないように……裏の世界に、行ったんだろう」

 もちろん、憶測でしかない。

 でも、なぜか……間違いない、と思えた。

「え、けど……いや確かに、能力的には高いと思うぜ? ショウ兄貴と比べたって、並べるくらいすげーとは思うけど……そんなの、いつまでもつかわかんねーじゃんか!」

 ゴーがまっすぐな瞳でそう言ってくる。

 しかしそれは、俺の想像が確かなら……俺の、考えたくないが可能性として考えた、最悪の想像いくつかのどれかに当てはまるなら……解決してしまう。

「たぶん……いつまでも、持たせる必要はないんじゃないかな……」

 ミハエルがかすれた声で、うめくように言った。

 おそらく、最も最悪な想像をして、それを確信しているのだろう。

 聖の性格からして、俺もそれが一番、近いと思ってはいる。

「もたせる必要はない……って、どういうことだよ?」

 怪訝な瞳でゴーがミハエルを見るが、ミハエルはそれを意に介さずに、一つゆっくり息を吸い、少しだけ息を止めて、言葉とともに吐き出した。

「全部まとめてつぶす気なんじゃないかな」

 それは。

 ……命を懸ける、ということだ。



「マフィアはトカゲのしっぽ切りが上手い。僕たちもなかなか情報を手に入れられないくらい、上の方のガードは硬くなるし、大きくなるほど表での影響力も強くなる。普通にやったら、大きなマフィアはそう簡単には潰せない」

 ミハエルは淡々とゴーに説明するように、一つずつかみ砕いていった。

 俺に裏から手を引かせ……過去になってきたところで、俺のことを知る連中を屠る。すべてではなくても、主要なところが潰せたら、建て直すまでにも時間が必要となる。その時間が経過したころには……俺はすでに裏社会では、過去の人間となるだろう。

「裏社会ってのは、何かと横のつながりもあるし、牽制しあってるところもある。実際はどことどこがつながってるかなんて、本人たちしかわからないところもある。だから、大きなところがこうだと決めたときの影響力は、僕たちが考えてるよりも深刻だったりするんだよ」

 ふー、と息を吐いて、長い金髪をかき上げ、ミハエルは苦虫をかみつぶしたような顔で続けた。

「だからこそ、よそからの影響で潰すのは難しいし、一人二人要人を潰したって、それ以上がいるかもしれない。仮に一番トップを潰せたとしても二番手三番手や後継者、あるいは同列がいるかもわからない。本当に厄介なんだ」

 す、と目を細め、ミハエルは先ほどの資料を見やる。方法としては、つまり。

「だから潰すか、あるいは力を削ぐときの一番手っ取り早い方法はね、まず内部に入り込むこと。そこで信用を得る。そして、内部を把握したうえで、主要な要人をまとめて、潰す」

 ぐっ、と手を握り、その手を見つめてミハエルは続けた。

「その際も、最後まで信用されている状態じゃないと、逃げられてしまう。一人二人だけってわけじゃなく、上手いこと全員をほとんど同時にやるしかない。うまくいったとしても、自分が疑われたら残党に狙われ続ける可能性も強くなる。だから疑われないように根回しも必要になる……可能性と、しては……」

 言い淀んで、ちらり、と俺を見た。一度口を開き、閉じ。少しためらってから、意を決したように、。

「……――自分も死ぬ覚悟で、やるしかない」



 長い沈黙が、部屋を支配した。

 それは、言葉にならない、最悪の可能性。

 ……でも、それは。

「つまり、まだ聖は生きてるし……可能性として、この総会がその、聖が仕掛けるタイミングかもしれない、ってことだ」

 沈黙を破って、言った。

「それに、俺のことを知る連中をまとめて削ぐってのは……それはあくまで可能性の一つだ。時間をかけるなら、ほかの手段もある。いつまでも続かないかもしれない、ってのは……聖は女だからな、続かせる方法は……なくも、ない」

 それは、俺の口からは言いたくなかった。

 聖が自分以外の男に抱かれる可能性や……子を孕み、育てる可能性などは。

「マフィアは比較的、血族が後を継ぐ事が多いからな。自分がそこに入り込むのが、確実といえば確実だ。その辺は男より女の方が……入り込みやすい」

呻くように言う。ギュッと握りこんだこぶしは、感覚がなくなるほどに、強く。

「そ、れは……」

 アキが目を見開いて絶句した。俺の言わんとしてる事がわかったのだろう。多分この中では、アキが最も、俺と思考が近い。

「あくまで、可能性だ。どれもこれもな。けど……聖が、最短の、最速の手段として、要人を屠ろうとしているなら……自分も犠牲になるつもりなら……この総会は、くさい」

 ロンドンのやや外れにある、かなりの高級ホテルでの総会。しかも、件のマフィアだけではなく……傘下や、一部の協力関係にあると思われるマフィアの要人も来訪する、オークションを兼ねた総会だ。場所が場所なだけに、手段もだいたい想像がつく。

「なにもなきゃ、別にいい。……生きてさえいてくれたら」

 苦いものを飲み込んで、自分にそう言い聞かせる。

 正直、想像だけで吐きそうだった。何とか振り払い、ミハエルの持ってきた資料を今一度確認する。

 そうでなくても。何度も考えた、もっとも、最悪なのは。

 実は聖がすでに、どこぞのマフィアにとらえられていたとして。

 ……望まずに孕ませられ、生に絶望しながらも、今も誰かの慰み者になっている、とか。

 その能力だけを使いたいがために、ドラッグ等で無理やり縛り付けられている、とか。

 それ以外にもいろいろと、最悪な想像ってやつは、たえず脳裏をかすめていく。――考えただけでも気が狂いそうだった。仮にそんなことが行われていたとしたら……俺は間違いなく、手段も択ばず相手をなぶり殺すに違いない。

 そんな想像に比べたら、このミハエルが持ってきてくれた可能性は現実的で、まだ俺の希望を何とか引っ掛けてくれている。

 すがりたいだけかもしれない。……でも、かけたい。

 聖の年齢を考えるなら……利用価値と身の安全を天秤にかけて、まだそういった手荒な手段を取られていない可能性の方が高いはずだ。

 ぐるぐると、可能性を考えては打ち消し、想像を振り払い、そんなはずはないと言い聞かせ。

「コルトさん。スケジュール今どうなってましたっけ」

 すべては、彼女を捕まえたら、わかる。

 その可能性にかけることにした。

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