第八章 嵐の前に
ミハエルが持ってきた、総会が行われるとされる日の前日。
ショウは付近のホテルの一室で、備え付けの机に向かい、銃のメンテをしながら明日に備えていた。
弾の先にナイフで傷をつけ、貫通力を弱めることも忘れない。
あれからすぐにここ、イギリスはロンドンに飛んだ。
コルトさんと夏樹さんに、二年と少しぶりに無茶を言い、倒れた後にもかかわらずさらにスケジュール調整をしてもらい……呆れられつつもどこか安心した表情で、行ってこい、と送り出され。
ついてくるときかなかったレツとブレットを振り切り、もっとしつこく食い下がってきた望には、ブラックモードのアキにしっかりと諦めるように言い含めてもらって。……しかしアキ本人は、何を言っても意に介さずについてきた。ミハエルとシュミット、エーリッヒも一緒だ。
ロンドンに到着し……そのままミハエルの息がかかったホテルに滞在させてもらい、久々に銃のリハビリなんかもして。
……正直、銃の衝撃に体が少し、覚束なくもなったが……すぐにカンは取り戻せた。
使わないで済むなら、その方がいい。だが、備えないよりは備えた方がいいのだ。
五人になったところで……隠していてもどうせばれる、と腹をくくり、長いこと固形物があまり喉を通らないことを伝えた。
多少は驚かれもしたが、倒れたこともあり、得心がいったらしい……アキには少し渋い顔をされたが。仕事量的にも少し心配されていたらしい。全く食べられないわけではないが……調子がいい時に少々、程度の域を出ないので、体のせいというよりはメンタル的なところなのだろうとは、自分でも理解している。そもそも、味もいまいちわからないから美味いとも不味いとも思わないし、腹が減る、という感じがしないので、どこか感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。
ミハエルはそれを踏まえ、食べれるなら食べたらいいけど無理なら部屋に欲しいものを届けさせるから、と言って、有難いことにホテル側へ融通をきかせてくれた。
そうして明日には、件のホテルへと侵入する手はずを整えつつ……スコットランドヤードへも協力を願い出て、こちらも了承してもらった。無論、下手に手を出して大事にされるわけにもいかないし、そもそも……申し訳ないが、警察が例のマフィア規模とどうこうできるとは思っていない。あくまで、一般人を巻き込まないための対策だ。
なんだかんだといつも、周りに助けられているな、と苦笑する。
昔は、そんなことにすら気づかなかった。
驕っていたなあ、と。
……若かったのだろう。
何でも一人でできるつもりでいた。……頼り方もわからなかった。
今でもそれは、よくわからない。
けれど確かに、周りに助けられ……あるいは、気を使われ、何とかなっているところもある。
申し訳ないな、と思う。どれだけ返せているのだろうか。少しは返せていればいいのだけれど。
………もしも、聖が。
…………本当に、死ぬ気なのだとしたら。
「――……」
手を止め。深く息を吐く。
……一緒に連れていってほしい、だなんて。
俺がそんなことを思っているなんて、知らないんだろうな、なんて考えて、自嘲的な笑みが浮かんだ。
自分でもこんなことを考えるようになるとは思わなかったなあ、なんて人ごとのように思う。けれど、彼女がいない世界で生きていくには……少しばかり長いこの先の人生を考えると……それはとても、耐えられそうにない。
我ながらつくづく、未練がましいというか。……強情というか。
知らないままでいられたら。
君の笑顔を。温もりを。……愛を。
知らないままだったのなら。
あるいは……君の存在を、知らなかったのならば。
一人で生きていくことに、何の疑問も持たなかったのかもしれない。
けれどそれは、とても辛いことで。悲しい人生だったとも思う。
幸い、俺は君を知ることができて。
君の存在を……腕いっぱいに抱きしめられるところに居られたから。
反動は大きかった。けれど、その痛みはなかった方がいいとは決して思わないものだった。
だから……だから、俺は。
たとえ周りにどれだけ、馬鹿だと言われたとしたって。
仮に君が……どれだけそれで、傷ついてしまったとしても。
何を捨てても……俺は、君と共に在る未来を選ぶ。
「タイクーンの皆様におかれましては、ご健勝のこととお慶び申し上げますわ」
ホテルの地下のパーティー会場。オークション会場となる予定のそこで、豪奢な椅子に座り鷹揚に頷く三人の初老の男たちに、聖は、綺麗で優雅な、それは洗練された動作でひとつ、カーテシーをとりそういった。
足元の深い青から上へと徐々に空色へ変わる、グラデーションも美しい広く肩のあいたスレンダーラインのロングドレスを纏い、ブルーも鮮やかな、少し珍しい美しく輝くパライバ・トルマリンの大きなネックレスとイヤリングを身に着け、長くなった淡い茶色の艶めく髪を、アウイナイトをあしらった薄い黄金に輝く簪、それ一本で器用にまとめ上げた姿で優雅に微笑む。普段はほぼ共に行動しているウォルフは、どうやら今日は別行動をしているらしい。
「うむ。」
真ん中の一人が軽く手を挙げる。心得た者たちがやや距離を取り、反して一人の若い男が進み出てきた。180センチほどの高い身長、鈍色の髪を遊ばせて、穏やかな表情を浮かべる男だった。洒落たスーツを着こなして、髪色によく似たグレーの瞳は、抜け目のない色を放っている。そのまま声を上げたタイクーンの横に待機して、聖を見つめた。
「珍しいものをつけておるな」
タイクーンがそう、聖の胸元を見て声を上げた。それはおそらく、宝飾品のことだろう。
「ええ、気に入っていますの」
優雅に笑みを浮かべ、そっと胸元のネックレスに触れる。黄金に輝く装飾と、青く澄んだ、輝く美しい宝石。
パライバ・トルマリン。この宝石はまだ歴史は浅いが……青く美しく、純度の高いものになるほど、彼女の愛する、彼の瞳の色に……とても、よく似ていた。
人には言えない。
こんなもので……彼に、守られている気になる、だなんて。
「贈り物かい」
「いいえ。自分で求めたものですわ」
答えに満足したように頷くと、タイクーンはちらり、と横に侍る男を見、言った。
「こ奴は、私の孫でな。22になるところだ。……お前の相手に、ちょうどよかろう」
ふっと笑い、男はさりげない動作で手を差し出す。
「イーサンです。お初にお目にかかります、聖」
「……ご挨拶するまえですのに、私のことを知っていらっしゃるのね」
その手を取らずに、聖です、と短い挨拶を述べる。
「申し訳ないですが、まだそのお誘いに乗るかは決められませんの。まずはお互いを知るところからはじめさせていただきたいですわ」
優雅な笑みを浮かべ、右手で胸元の宝石をなぞる。そんな動作一つが、いやに艶っぽく見えてしまうのは、彼女の表情のせいか、それとも。
「ずいぶんと用心深いのですね」
イーサンと名乗った男は、苦笑をもらしつつ手を下げ言うが、タイクーンはむしろ満足げに頷き、そうだな、と呟く。
「用心深いぐらいで良い。何事も順序がある。時間をかけなさい」
下がっていい、と手をふる。
聖はもう一度優雅にカーテシーをとり、ゆっくりとその場を辞した。
手を取るつもりはない。
心の奥で強く嫌悪した。
心は。
体は。
たとえそれが必要だったとしても。
ぎゅ、と胸元の宝石を握る。
あたしの大切なものは、全部ぜんぶ、彼のものだから。
深く澄んだ空色の瞳の、優しく愛しい、あの人のものなのだから。
準備時間が短すぎたため、全員分の招待状を手に入れるのが間に合わなかった、とミハエルが言った。
何とか一通、二人分のみ、入手できたらしい。
一度、俺が使わせてもらっている一室に全員で集まり、顔を突き合わせミハエルが持ってきたそれを確認する。
オークションの招待状。
資料と写真と手紙を確認し、誰が行くかとなったときに……俺は、小さく首を振った。
手紙の表記を見ると、とあるマフィアの名前と招待客一人分の名前。内容は、同伴者一名可ということを含めた、オークションの注意事項に、挨拶口上や諸々が、計三枚の便せんに優雅な英語で書かれていた。
「俺は無理だな……隠れて潜入するしかなさそうだ」
ひょい、と招待状を放り、アキに渡す。
「あー……そう、だね……僕も無理かな。面、割れてる可能性あるし。ショウはそもそも、知られてるだろうし」
肩をすくめてミハエルが言う。招待状の相手だろう、ミハエルが一緒に持ってきた写真に写る人物は、茶髪の30前ほどの青年。資料によると、アキが一番、身長も体格も近い感じだ。
「仮面付けることになるみたいだけど……変装はした方がいいだろうね。一応腕利きをここに待機させてるけど」
ミハエルがそう言ってアキを見た。しかしアキは、いや……と首を軽く横に振り、写真を眺めて、問題ない、と漏らす。
「元の体格も近いし、顔だちもまあ……このくらいだったら、俺一人でいける」
久々だから少し時間は欲しいけど、と続け、道具は借りてもいいか? とミハエルに聞いた。
「いけるの?」
少し驚いたようにミハエルが言う。ああ、と俺はミハエルに向かって、こいつの特技変装だからな、と告げる。
俺も必要な時に、手伝ってもらうこともある程度には、アキの腕は悪くない。
「多少ブランクはあるだろうけど。こいつの歌よりは全然信用できる」
そんな軽口をたたき……レコーディングを思い出し、ちょっとげんなりしてしまう。
「え、去年二人でCD出してたのに……まあ、それより信用できるってんなら相当、なのかな?」
「いやこいつクソ音痴なんだけどな。俺は二度とこいつとは歌わん」
「……それ信用していいラインなの?」
「変装の腕に関しては、俺も信用してる」
「そ。……ならまあ、いいんだけど」
いいだろ俺の歌のことはどうでも! とアキがわめくがそれは無視し、ミハエルがエーリッヒに、アキを案内するように言う。どうやら別室に即席のメイクルームを作ったらしい。
「15時には出るからあと5時間だけど……まあ、大丈夫だよね?」
「問題ない」
アキがそう言いながら、エーリッヒと共に部屋を出ていった。一人は確定。
「あと一人は、俺かな」
二人が出て行った扉を見やり、シュミットが言う。ミハエルが、そうだね、と頷いてシュミットに招待状を手渡す。
「資料見た通り、このマフィアの構成員の容姿だとシュミットが適任だと思う。エーリッヒじゃたぶん、髪色で疑われるかも」
グレーに近いブロンドのエーリッヒより、濃いめの茶髪のシュミットの方がいい、という事だ。どうやら、黒髪や茶髪の、東洋人が多そうな組らしい。シュミットの場合は瞳の色が東洋人らしくない菫色だが、仮面をつけるしまあ、のぞき込まれなければ大丈夫だろう。
全体的に、今日の参加者は……比率的に、色素の濃い髪色のメンツが多くなりそうだった。
ということは、たぶん、俺の髪色もそのままだと、とても目立つ。
「潜入するにしても……俺も変装した方がいいかなあ」
「あー……ウィッグくらいはつけた方がいいかもね。適当なの見繕うように言おうか」
「頼む」
おっけー、と軽くミハエルが言うが、シュミットが、俺が行こう、と招待状を持ったまま席を立った。
「こいつの資料を見る限り、俺よりアキが持ってた方がいいだろう。ついでに届けてこよう」
「ああ、そうだねお願い」
そのままシュミットも部屋を出る。ミハエルと二人になり……少しの沈黙の後、ちらり、と視線を向けられて。
「……体調はどう?」
少し遠慮がちに聞かれた。
「悪くはない」
「本当に?」
「ああ。」
不思議と。
本当に悪くない体調だった。
そもそもの体調不良の原因がメンタル由来のものだから、気分が高揚しているせいかもしれない。我ながら、情けない話だな、と思うが。
……会えるかもしれないという、期待のせいかもしれない。
ミハエルは小さくため息をつくと、わかった、と言い、件のホテル全体の見取り図を広げた。
「後方組も必要だろうから、僕は行かない。ショウは単独の方が動きやすいと思うし。
エーリッヒは、僕の補佐とスコットランドヤードとのやり取りに動いてもらうことにする」
一つ頷いて、見取り図を見た。そこまで複雑なマップではないので、一見で記憶する。
この構造だと、おそらくオークション会場は地下だろう。資料の人数と可能性を踏まえると……地下2階のパーティーホールあたりか。
問題はオークション後の総会とやらを、そのままそこで行うかどうかがわからないという事。
オークションの参加者がそのまま全員、総会に出るとは考えにくい。カモフラージュも存在するだろう。
ざっとマップと可能性を考慮して……このホテルは連中の息がかかったホテルのようだ……とすると……
「おそらく最上階には、連中の要人たちが泊っているだろう。その下に側近あたりか。オークションは地下で……警護の都合も考えると、総会も地下の一角にはなりそうだな」
言いながら、それなら最悪、聖は上階の部屋のどこかにはいるのではないか、などと考えるが。
すぐにそれはないだろう、とかぶりを振る。あいつがそんな失敗の比率が上がる手段をとるはずがない。
おそらく、チェックを入れながら周囲を見回るか……あるいはターゲットの最も近くで、やるはずだ。
「ちなみに……ショウは、もし聖が本当にこの総会を狙ってるとしたら……
どのタイミングでどんな手段でくるか、予想つく?」
ちらり、と見取り図を見る。……おそらく。
「あいつがその手段をとるとは考えたくないが……自分の生死を問わないなら……俺なら、爆破する」
こことこことこことここ、と手早く四か所、指で示して。
「この四か所を同時爆破すれば、上と下同時に潰せる。非常口も用途をなさなくなるから、脱出もほぼ不可能になるだろう。
威力的には…そうだな、爆弾自体がでかいとばれやすいしC4程度じゃ役にたたんだろうから、使うなら高性能爆薬系の混合爆弾かな」
言いながら、地下が潰れ上が崩壊する程度の威力をざっと計算し……一階部分は完全にぶっ飛ぶかもな、と付け足した。
「外も近いと吹っ飛ばされると思う。ヤードにも言っといたほうがいいかもしれん。タイミングは……ターゲットの動きにもよるだろうが、俺ならオークションの山場か、総会の半ば。熱が入れば一番スキができそうだ」
「わかった。……その場合の、脱出の可能性は?」
「事前に脱出口を用意しておくか、爆破前に逃げるしかないだろうなあ」
もう一つだけ、すぐに思いつく手段はあるが……それはどちらかというと、賭けに近い。
爆発のタイミングで、威力の少し弱い指向性爆弾を崩壊する瓦礫にぶち当て、吹っ飛ばしてスペースを作る手段だ。
かなりの力技になるし、威力を多少抑えるとはいえ間近で爆発させるのだ。指向性を付けうまく隠れられたとしても、元々の爆風を防げるわけでもないし、上下の崩落の計算もいる。……確率はあまり高くない。
「一応……ほかに思いつく手段がないわけじゃないが、まあ無理だろう」
言いながらも、念のために……いくつか、緊急用の装備を潜入時に持っていくことを決める。スーツの下に防弾防熱装備も必要だろう。気休めくらいにはなるかもしれない。
「おっけー。あとは……通信機どうしようか、メガネタイプが無難だけど、アキとシュミットは仮面いるんだよね」
「通信だけでいいならイヤータイプいじって仮面にくっつけちまえばいいんじゃねえか? メガネタイプは目立つしわかるやつが見たらばれる。俺は一番小型がいい、タイに仕込む。サングラスはスキャン仕様でいく」
「そしたら、こっちのPCにもスキャン送って解析できるようにもしといた方がいいかな」
そのまま装備確認をしながら、ミハエルといくつか打ち合わせているうちに、シュミットとエーリッヒが戻ってきた。
アキは変装準備に入ったようなので、それ以外の俺たちの動きを確認する。ひとまず俺は従業員通路側から潜入することにした。どのくらいの警護なのかもわからないが、元々がホテルである以上見取り図的にも、ある程度のセオリーに沿って建てられているのでやりようはある。
「通信時の会話は……暗号決めてる時間もねえし、日本語でいいか」
「いいと思う。知ってる人もいるかもしれないけどまあ、そこは諦めよう」
「極力通信は使わない方向でやるしかないな」
決めておくこともだいたい決めきり、イヤータイプの通信機をばらして二人が使う予定の仮面に仕込み、ついでに小型の通信機を自分のネクタイの襟元に仕込む。13時前には変装を終えたアキも合流し、最終確認を終えた。
「もしこれで完全に外れだったら、どうするよ?」
やり手のサラリーマンのような雰囲気の男に変装したアキが、腕時計をつけながらそう聞いてくる。
「シュミットが聖を見たってのが、本当に、あいつだったとしたら……仮にこれがはずれだったとしても、関係者ではある可能性が高い」
ちらり、とシュミットを見ると、しっかりと頷き、間違いない、といった。
「雰囲気はだいぶ変わっていたし、遠目に見ただけだが……あれは、聖だ。間違いない」
確信をもって、シュミットが繰り返す。
そんなシュミットをミハエルが一瞬だけ、憐憫の籠る瞳で見たが、小さくかぶりを振ってそれを振り払うように、まあとにかく、と。
「その辺の確認はショウがしてくれるよね。アキとシュミットは……何事もなければ、普通にオークション会場のほうで、聖と……あとは、もしかしたら聖がターゲットにしてるっていう人物がいるかどうかも確認して」
「可能ならオークションの序盤のうちには、爆弾の確認を済ませたいと思ってる。人の入りや警備との兼ね合いにはなるが……」
俺が早めに確認出来たら、アキとシュミットは途中でオークションを抜け出し逃げ出せるだろう。
「一度は通信を入れる。それは受けられるようにしといてくれ」
二人が頷き、仮面の通信機を確認しているのを横目に、エーリッヒが。
「それで……聖を見つけられたとして……
そのあとは、どうするつもりですか?」
探るような視線を向けられて。
……答えに窮した。
「それは……連れ帰ってくるんだよ、ね?」
ミハエルも、言いながらこちらを見て。
「……信じてるからね」
祈るように、言われ。
答えられなかった。
窓の外を見る。
……曇天の空から、静かに雨が降り注いでいた。
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