第六章 夢と現実の狭間で
薄明かりとも言えないほどの、微かな明かりしかない中。
彼女は……聖は、眠るショウの傍へと、ゆっくりと歩み寄っていった。
顔色は、判断がつかない。
だけど、顔を覗き込んでみれば、規則正しい呼吸が聞こえる。
「久しぶり……ショウ君…………」
小さく……小さく。呟いて。
声はすぐに、闇に溶け消えてしまうほどささやかで。
眠る彼には、声が届かないことを知っていても。
―――囁きかける。
「――…………」
優しく。彼の頬に手をかけて。壊れ物でも扱うように。
「無茶、してるの? 顔色悪いよ……」
顔にかかる髪をよけて、聖は微苦笑を浮かべた。
もう会わないと、思って。
あの時、最後だと……自分に言い聞かせて。
自分以外の誰かと、幸せな未来を紡ぐのであろうと。
そんな想像で、胸が張り裂けそうなほど痛んでも……それでも。
どんな思いを背負っても……未来の彼を、幸せにするためならば、と。
そうして、彼の前から去った。
その時の彼をどれだけ傷つけるか、わかっていたとしても。
それでも――身勝手にも……――それを選んで……そしてまた、自分はここにいいる。
意志が弱いな、と、自分でも思う。自嘲的な笑みを浮かべ、聖はショウの額へ一度、口付けた。
「気をつけてね……また、みんなが君を、狙ってる……なるべく近づけないように、するからさ……?」
俯いて……言ったとき。
「……ん…………?」
ショウが、小さく身じろいで…ゆっくりと目を開いた。
薄闇の中で……彼の瞳が、聖を捕らえる。
聖………?
「ひじり……?」
小さく、声に出してみて。
彼女が……聖が、ゆっくりと顔を上げた。
「まだ……夢、見てんのかな…………」
いるわけない。
わかってる。
彼女はあの時、俺の前から去ったんだ。
知ってる。
わかってる。
でも………
「夢でも、いいや………」
知らず笑みがこぼれた。
記憶の聖より、なんだか、余計に綺麗になっている気がする。
俺の願望が反映されたのかな、なんて。
「やっと……聖に会えた……」
手を、のばす。
泣きそうな顔してる。どうして?
誰がお前を泣かせるんだ?
「聖?」
身体を半分だけ起こしたところで、聖が俺の首元に手を伸ばして……抱きついて。
泣き出してしまった。
ショウ君。
ショウ君?
大好き。
大好きだよ?
ほんとは、ずっとあいたかった。
会いたかったんだ。
勝手だよね。
君の前から勝手にいなくなったってのに、「あいたかった」なんて。
ねぇ、ショウ君。
「ごめんね……ごめん、」
「……なんで、あやまるんだよ?」
穏やかに、彼が言う。
顔を覗き込まれて。
涙を拭ってくれる。
「笑ってよ……夢でも、なんでもいいからさ……せっかく会えた」
ふわり、と。とても……とても、優しい笑顔。
あたしの、大好きな人。
愛した…愛してる、唯一、愛しい人。
「愛してる、聖……笑って……?」
頬に。目元に。唇に。
懐かしい、口付け。
溺れてしまいそうなほど、優しい懐かしさ。
「―――大好き。ショウ君、大好きだよ……」
ずっと、こうしていたいよ。
ほんとは。
ほんとはね。
あたしは、そんなに強い人間じゃない。
いっつも、いっつも心の中では、揺れてる。帰りたいって。
本当にこれでよかったのか、って。思わない時なんてないんだ。
全部なかったことに出来たら、どれだけ楽だろう?
途中で投げ出したくなる事だって、良くあるんだ。
「特別」なんて、ないって。
思い知る。
周りがなんて言ってたって。
わかってるよ。あたしは、そんなに強くない。
ただ。
こうして泣ける場所が、君のところしかなかっただけなんだ……
好きだといわれて。
もう一度、愛していると囁いた。
―――抱きしめて。
聖。
聖?
知ってる、わかってる。
君に、やることがあることも。
君が決めた俺の知らぬその道も、決して、途中で投げはしないだろうということを。
でも。
それでも。
夢の中だけでもいいから、傍にいて欲しいと。
思う俺は、傲慢なのか。
愛してる。
愛してるから。
それを言い訳にする気はないけれど。
君を離したくないと思う、この気持ちも、想いも本当で。
なぁ。
夢なら覚めないで。
このままで。
もう少しだけでも、このままで。
今ならわかる。
どんな歌も、物語りも。
リアルじゃないから、聞けるんだ。
本物を「知る」事がないから。
だって、そうだろう……?
本当に離れないとならないと、本当にここだけだと。
わかっていると、辛すぎる。
こんなに……
こんなに。
離したくないって、思うんだ………
「ショウ君………」
「ひじ……り………?」
何かの香り。
聖の、笑顔が揺らぐ。
呼ばれた声は、遠く聞こえた気がした………
ショウ君の瞳に翳が差し――もう一度、ゆっくりと閉じた。
途端に、彼の体が重さを増す。そのままベッドへ寝かせると、一度、彼の唇にそっと口付けた。
念のためにと、持ってきた麻酔薬。ふわりと、かすかにそれが香る。
「ごめんね………?」
離れたくないよ。
でも、いつまでもいられない。
このまま留まっていたいけど。
そうしていたら、あたしはきっと、全て投げ出してしまうから。
「大好き……愛してる、ショウ君……」
最後の涙を拭って、もう一度、微笑んだ。
泣くのも。
笑うのも。
本当のあたしを見せるのは。
君の前でだけだから。
「じゃあね……?」
小さく呟く。
足早に、病室を去った。
さあ……
暗闇の中を、かすかな光が閃いた。
「悪いけど、ここから先は通せない」
彼を狙う存在は、漏れなくあたしの敵になる。
―――ん………?
ぼーっとする頭で、ゆっくりと瞳を開いた。
カーテンの隙間から、朝日が差し込み、病室を照らす。
………夢………か…………
ベッドに横たわったままで。
そのままで、そんなことを考えた。
聖の感覚。
触れた肌の温もりや、柔らかさ。
そんな感触が、あるような気がして。
彼女の香りに包まれたような気がして。
自分の掌を見やった。残念ながら、自らのたなごころにはそれらしい存在は何一つ残っちゃいなかったけれど。
そりゃそうだよな、と苦笑して。
なぁ、聖。
今、お前はどうしてる?
「――どういうつもりだ、ヒジリ!」
ウォルフは、過去に独り言として呟いたセリフを、そのまま聖へとぶつけた。
「時間には、間に合ったはずだけれど」
それには答えず、聖は凍てついた瞳でウォルフを見やる。
この女がわからない、とウォルフが思う瞬間は、こういうときである。そして、それはまた、我々にとって危険なものなのではなかろうかと……そう、実は自分達は猛獣とも知らずに同じ檻で暮らしているのではないだろうかと……そう錯覚するのだ。
錯覚。
それですむならばいい。
だが、もしすまなかったとしたら…………
ウォルフは一度、頭を振った。まぁいい、と呟く。
とにかく、時間には確かに、間に合っている。この世界、余計な詮索は、死を招く。
少なくてもウォルフは、そんな三流のへまをやらかし命を落とすほど、低レベルではないつもりでいた。
「不審な行動は控えろ……総会が決まった」
ウォルフの一言に。
「……へぇ…………」
聖が瞳を一瞬だけ光らせたのを、ウォルフは確かに見たのだった……
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