第五章 消えない不安


「どうするよ……?」

 長い。

 長い沈黙のあと、ブレットは言った。

 病院に集まった、ブレットを含む一同は、いまだ目覚める様子を見せぬショウを病室へと残し、ひとまず病室の外へと移動したのだ。何とか混乱は落ち着いてきたが……皆、顔色のほうはあまり回復していない。

「どう……って、何がよ?」

 望がブレットを見、かすかに眉を寄せた。

「これから。しばらくは入院するとしても……そのあと。また倒れないとは限らないだろ……かといって……」

 止めて聞く奴じゃないし。

 後半の台詞はつむがれないまま終わったが、誰の耳にも聞こえた気がした。

「仕事のほうは……とりあえず、俺が少し量を抑える」

 ショウのマネージャーをしている、コルトがいった。頭を振って……うつむく。

 彼の後悔は、おそらく、この場に集まった誰よりも酷いであろう。

「まぁ……少し注意して見てた方がいいかも知れねーよな」

 アキがつぶやく。しかし……

 果たして、あのポーカーフェイスの男を、注意してみたからといって変化を悟ることができるだろうか。

「…………」

 再び、沈黙が落ちた。

 長い、長い沈黙。

 やがて……それを破るように口を開いたのは……レツ。

「聖が……いればね………」

 搾り出すような。

 泣きそうな声色だった。

 この場にいる誰にも。

 代わりにはなれないことを思い知る。

 助けて、と。

 その言葉ひとつ、今のショウには難しい言葉だったのだろう。

 プライド?

 見栄?

 アイデンティティ?

 ……そういうものじゃなくて。

 ただ……多分。

 ショウにとって、それを言える存在が、この場にいないという、ただそれだけのことなのだ。

 そう、それだけのこと。

 それだけで……一番大切なこと。


 外はもう、夕闇が支配する時間帯へと入っていた…………




 ゆっくりと……目が覚めて。

 ああ、そうか、倒れたんだっけと自覚すると、次第に体の感覚も戻ってきたが、はっきりいえば体を動かすことが……指先ひとつですらも……しんどくて仕方ない。

 外も部屋も暗くて、部屋の中にはたいしたものは見えなかった。それほど、広くもない。

 ただ、俺の寝ているベッドと点滴。流しと棚と小さな机。枕の近くにナースコール。ってことは、ここは病院か。

 まずいなぁ、仕事入ってんのに……

 昔の俺だったら、そんなこと考えなかっただろうなんて思い当たって、苦笑が漏れる。

 仕事を続けている理由は……単純なものなのだけど。

 人には、もしかしたら、馬鹿だといわれるかもしれないが。

 だるい体を励まして、ベッドの上に起き上がる。そのままベッドを降りて……そっとカーテンと窓を開けてみる。

 外は暗くて、ろくなものは見えなかった。ただ、木が近い。点滴をうってないほうの手を伸ばしてみれば、葉が取れた。わりと、感覚はしっかりしているようだ。

 もっとも、立ち上がったときにきた立ちくらみはどうにもならなそうだったが。

 下を見ると、どうやらここは3Fらしいということもわかった。電気は少ない……面会時間は過ぎているらしい。もしかしたら、就寝時間も近いか?

 ポケットの電話を探して……無い。あ、あたりまえか……。ここは病院ってことは……誰かが電源切るために出したかもしれない。

 点滴を持ったまま、窓と反対側のドアのほうへと進み、スイッチを探した。

 パチリ、と音をさせて電気をつけると、先ほど暗い中で見た小さな机のうえに、財布と電話とキーケースが乗っているのに気が付く。どうやら、ポケットの中身はみんな、ここに誰かが出したらしい。

 と。

「ショウ君!?」

 ドアが開き、レツ……と数人が転がり込むような勢いで入室してきて、意識しないで思わず、引いてしまった。

「レツ?」

「よかった……気がついたんだ………」

 心底ほっとした顔を見せられ、複雑な心境で微笑み返す。心配をかけてしまったらしい……情けないことだ。

「悪い。心配、かけたな」

 レツと、集まっている一同に向かって、そういってもう一度微笑んでみた。

「すいません、コルトさん。仕事……」

 コルトさんに向かっては、そう言い、僅かながら苦笑を見せる。コルトさんはというと、いや、いいんだと首を振って、少し休め、といってくれる。

「でも、スケジュール入ってたはずじゃあ……?」

「いいから……医者側からも、少し入院するように言われたし……調整しとくから、ゆっくり養生しろ」

「そうだよ。ショウ君、無理しすぎだって……お医者さんも言ってたよ? ろくに、食事も睡眠も、とってないんじゃないか、って……」

 あー……と、今度こそ本当に苦笑して見せた。

 まいった……ばれたらしい。

「ショウ……おまえ、もしかして………」

 アキが眉を寄せ、質問というより、確信に近い口調で聞いてきた。

 微苦笑を漏らすと、小さくそれに頷いてみせる。

「あれから……あんまり、な」

 アキが、息を呑むのが見えた。

「え? え? 何が?」

 わけがわからない、という様子で望が俺とアキを交互に見るが。

「……っ、まさか……」

 ブレットとレツには、わかったらしい。

「まぁ、そのうち何とかなるさ」



「まぁ、そのうち何とかなるさ」

 そう言って、ショウはどこか遠くを見るような眼をした。

 唐突に……ブレットは理解する。

 そうか……。

 こいつが、何で今までみたいにサボらなくなったのか。

 何で、仕事を断らなかったのか。


 どこかで、聖が見てるかもしれないからだ……


 ズキリと、胸が痛んだ。

 自分がどうしようもできないという、無力感。

 この、役立たずなんだと自覚させられてしまう感情を、どう表現したらいいのか。

 歯がゆさ? 無力さ? 何でもいい。

 この痛み。

 どうしようもないということ。

 どうにもならないのか。

 年なんて、ひとつしか違わないのに。

 ――――不公平だ。

 世の中って奴は不公平だ。

 なんで。

 どうして。

 こいつや、聖にはできるのに。

 オレにはできないんだよ?

 ――――痛み。

 なんで。

 オレなんかより、お前の方が痛いはずなのに。


 何で笑ってられるんだよ……?




「とにかく……また明日、来るから」

 そうコルトさんが言うのを機にして、みんなぞろぞろと帰る支度をはじめた。やはり面会時間は過ぎていたらしい、無理を言って残っていたようで、出るときは時間外受付の裏口からといわれていたようだ。

「明日も来るね。……そうだ、ミハエル達もこっち向かってるって言ってたよ……ああ、着替えはそこの棚の下に入れておいたから。」

「そうか……ミハエルにも迷惑かけちまったな」

「それから、調子悪くなったらすぐ看護師さん呼ぶんだよ? それナースコール。水はそこにペットボトル入れてあるし、おなかすいたら棚の上の引き出しにクッキー入ってる。明日果物でも持ってくるから……あと……」

「おいおいレツ、俺、そんなに信用無いか?」

 軽く肩をすくめて言ってみる。

「そもそも倒れたのは誰さ?」

 じと目で返された。

「……ま、もう平気だろ。ほら、俺これでも一応医者でもあるし」

「……ショウ君。医者の不養生って知ってる?」

 それじゃあと、病室からみんな出て行き、閉じられる扉を眺めてから……なんだかやたら疲れたような気がして……ベッドに腰をおろした。

 ひとつ、長いため息をつく。

 ごろんとベッドへ寝っ転がりなおして、目を閉じた。

 いつもならそうそう落ちれない眠りの世界だが、今日ばかりは体が、脳が、そろそろ休めと告げてくる。

 うとうとと、意識が浅い眠りの世界に引っ張られながら。

 思い……見る。

 ……瞼の裏の聖は、年をとらないままで。

 いつまでこうして、君を思って生きていくのだろう。

 いつまでこうして、覚えていられるのだろう。

 ――――不安。

 ずっとすがり付いてる、俺が悪いのか。

 人に話せば、馬鹿にされるだろう。

 いいかげん、忘れろと。

 言われることはわかってる。

 でも……

 忘れたくないんだ。

 忘れたくないけど。

 でも………

 だんだん、いつか、忘れていくんじゃないだろうかという。

 ――――――不安………

 夢の中でも出てきてくれれば。

 だけど、思えば思うほど、出てきてはくれないよな。

 後ろばっかり見てちゃだめだと。そう、君に言われてる気がする。

 なぁ……聖?

 気づいて……

 おまえにとって、俺はもう。

 「過去の人間」なのかな………

 もう一度。

 俺に気づいて……

 ここにいるから。

 ここで、まだ。

 おまえの事、待ってるんだ……




 真夜中。

 多分、あの明かりのついているところが宿直室だろう。

 病院内を歩き回るのはやめたほうがよさそうだ……外から回ろう。ところで、ショウ君の病室、どこかなぁ?

 やっぱしナースステーションにももぐりこんだほうが良いか……見つからないようにしないと……。

 なんて、病院の見えるところから考えていると……。

 あまり、知りたくない気配があたりを満たした。

 なるほど……。

 やっぱり、ここにショウ君がいるのは、間違いなさそうだ。

 あなたたちがこうして、いるのだからね。



 3Fの、ショウの病室。

 夜は、まだ明けない。外は闇。

 病室ですら、非常灯の僅かな明かりと廊下側の窓から差し込む転々とともる蛍光灯の光しか無く……就寝時間が過ぎているのだからあたりまえかもしれないが……どうがんばって表現しても、明るいとはいえない。

 そんな中。

 窓が、開いていた。

 深夜の風は、昼間と打って変わり、心地いい。

 たまに吹き込んでは、カーテンを揺らした。

 そして……

 眠りに落ちているショウの、そのすぐそばに、一人の少女が佇んでいた………


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