第三章 止められた時間
月日は緩やかに……しかし確実に流れていった。
聖がいないまま、毎年祝っていた誕生日も、クリスマスも、全て曖昧なまま終わり……
二年。
俺は、ずいぶんと髪が伸びた。レツの身長も170センチを超えたし、ブレットの初めてのフライトも、無事に終わった。ゴーも高校へ入学したし、アキもはじめてCDを出した。望もなんとか短大へ入学して落ち着いてきた。
俺の周りの世界は、まるでそんなことはなかったかのように日常を取り戻して。
聖だけが。
聖だけが、記憶のままの姿のままで……変わらないでいる。
声も。
顔も。
全て。
記憶の中では、かわらないで。
聖は、二年前の姿しか俺の中に存在しなくて。
思い出はだんだん色あせていく。鮮やかに微笑む聖の顔も、時が経つほどに褪せていって。
言いようのない、寂しさ。
こんなに……こんなに痛いのに。
歌とか。本とか。人は、時間がたてば忘れるとか。癒してくれるというけれど。
なぁ? じゃあ、俺の時は止まったままなのか。癒えないのはそのせいなのか。
でも。
たとえ痛みが消えて、そして聖を忘れるのなら。
たぶん俺は、このまま。
癒える事の無い痛みを抱えて、聖を想って生きてくだろう……
幻でもいい。
そう、願って。聖に会いたいと。
もう一度、声を聞かせて。
その手で触れて欲しい。
ただ、ここにいて欲しかった。
もう一度。
「ここに在る」ということを、俺に実感させてくれ。
なぁ。
周りってのは、どんどん、みんな自分の生活に夢中になって。
だんだんさ、お前の事、忘れてっちゃうんだよ。
俺のことは知ってても。
お前の事を、だんだん思い出さなくなるんだ…………
もう一度……
もう一度だけ、抱き締めさせて。
触れさせて。
その声でさ…………俺のこと。
愛してる、って聞かせて…………
テレビの番組では、もう夏ですねーなんてセリフも聞き飽きて。
日が照り付ければ、もう蒸し暑い。タンスの中身を入れ替えよう……そんな時期だ。
いわゆる、夏の予定を立て始める時期、というやつで、今年の予定がどうなっているか、仕事の控室にて俺はいま、マネージャーをしてくれている、コルトさんより延々と聞かされていた。
「ツアーにドームと武道館の夏ライブがあるだろ。今年も27時間テレビがあって……ああ、今年は走んねーぞ、司会だ。それに、もうすぐ上映始まる映画の舞台挨拶に、後半からは来期のドラマの撮影が始まって……そうそう、そのドラマの曲も歌ってもらうからってんで、曲が一本来てるから歌詞つけとけよ。レコまで時間ねーからな。それと……おい、聞いてるのか?」
「あー、聞いてます、聞いてますって」
苦笑を漏らして返答を返す。最近じゃあ、こんなやり取りもいつもの事になった。
マネージャーであるコルトさんも、俺と同様日本人とは少し離れた容姿をしている。ダークブロンドに少し濃いめのヘーゼルカラーの瞳。俺たち二人で並んでいると比較的目立ってしまうため、打ち合わせはもっぱらこうして、控室や車の中でやることが多い。
コルトさんは小さく息をつくと、じっと見つめ、
「ところでよ、お前ちゃんとメシ食ってるか? 出された弁当とか、結局手ぇつけないで残ってるし……いや、そもそも、寝てるか? 顔色少し悪いぞ?」
少し眉間にしわを寄せるようにして、心配げに聞かれる。
思わずもれそうになった動揺を押さえつけ、何事もないようにして、
「それだけ仕事入れといて、今更それは無いんじゃないですかぁ?」
苦笑したまま軽い口調で返しながら、平気ですよ、と続ける。
案外、鋭い。いや、まぁ知ってはいたけど。
「一応寝てますし……」
「そうか……っと、そろそろやばいな。これからインタビューあるから、支度しとけよ。俺は車戻って、事務所に連絡してくるから」
「解りました」
ばたんとドアが閉まったのを確認して、ふー……と長いため息を吐き出した。鏡の前の椅子にどさりとかければ、正直、もうすでに指先一つ動かすのが億劫だ。
鏡のところの机には、弁当が一つ置かれている。食事用にと出されたものだ。
「…………食えないんですよ」
小さく、先ほどの答えを……問いた本人がいないのは解っていたが……自嘲気味に呟いて。
弁当を開いてみる。手をつけ初めて……
いくらか、食べてはみるが。
「―――……っ!」
口を抑え、慌てて洗面台へ駆け寄る。
せき込んで、吐いて……荒い息をつく。
いつからだろう。
もう、ほとんど食事が出来ないでいる―――……
「だあああっ!」
ブレットがそう、悲鳴とも奇声ともつかない声を上げたのは、目の前に詰まれた資料の半分ほどに目を通しての事だった。
大体、無茶がありすぎる。この量の資料に基づいて、明日の昼までにレポートを上げるなんて……たしかに、宇宙開発計画の核には、移住化があるが……それにしたって、明日までってのはひどいだろっ。
ブレットは短めに切りそろえられた少し暗めの金髪をわしわしひっかきまわしつつ、エメラルドグリーンの瞳を不満げに細めた。
つい数日前も、当日に望という、ちょっと変わった女に引っかかり、あーだこーだとしているうちに、結局ショウにレポートを提出する事が出来ないで、後々お仕置きを食らったばかりである。同じミスをする気はないが、そもそもレポートが上がらなければ、お話にもならん。
「ブレット、いる?」
かちゃり、とドアの開く音がして、ひょっこりと顔を覗かせたのは、最愛の恋人、レツである。形のいい頭に沿ってほどよくカットされた赤い髪を揺らし、調子どう? と聞いてくる。
「レツ」
ふわりと微笑まれて、ブレットの顔も自然と綻んだ。とたんに、苛立ちや焦りが消化されていく。
「大変そうだね」
隣に立ち、資料の山を見、レツがそう苦笑を漏らした。一緒に暮らすようになって少し。この机に資料がなくなっているのをみたのは、現段階では、引っ越してきた当日くらいしか、覚えが無い。
「コーヒー飲むでしょ? もうすぐ出来るよ。そうしたら、少し休憩したら? あせってやってもいいものにはならないしね」
「――……そうだな。休憩するか」
少し考えてから、ポイっ、とてにしていたファイルをぞんざいに投げ出し、んーっ、と椅子の上で思いっきり伸びをする。そんなブレットを見つつ、レツは待ってて、といって部屋を出た。
沸騰した頭じゃあ、ろくなもんはかけん。少し頭に酸素入れよう、酸素。
立ち上がり、いくらか身体を動かして、ついでにあくびまで漏らしたところで、再びドアが開く。
レツが、カップを二つ持ってやってきた。もちろん、中身は薄めのコーヒー。湯気がふわふわ、のぼっては空気に解け消える。
「はい」
「Thanks」
渡されたカップを受け取って、一口、コーヒーを啜る。飲み込んだ後に自然と、深いため息がもれた。
「明日までだっけ? あとどのくらい?」
「んー……あと……そーだな、大体半分くらいか? けどまぁ、プランはいくらあってもいいからな……その方が選択肢が多くて可能性を考えられる」
「そうだねー……あっ、でもショウ君、明日は久々に学校行くって行ってたけど……捕まるかなぁ?」
「…………なにぃ――――っ!!??」
「あ、ショウ? さっきまでいたんだけどなぁ」
教室まで、ブレットとレツが連れ立ってレポートを出しに行ったのは、翌日の昼少し前の事である。ついでに、そのあとで昼でも食べようと思い、レツも同行しているのだ。
「あ、そうですか……」
やや拍子抜けした様子で、ブレットはそう告げる。お礼を告げて、教室を後にした。大学部の、確か前の時間はここの講義だったはずだといってみると、たまたま運良くショウの友人を見つけたのだが、聞けば、先ほどまではたしかにいたが、途中で大学病院から呼び出され、そちらへ向かったという。
ここ、遊学園の二つ名で知られる、聖コリア学園……正しくは、セント・コーリアル学園……は、かなり無駄な……もとい、大きな土地にさまざまな学部や施設が立ち並ぶ、エスカレーター式の学園だ。しかし、学園の校舎は別としても、他の場は一般の方々にも広く開け放たれている上、一部の講義、一部の施設は、料金を支払う、紹介状を持参するなどの方法で、学園の者以外も使用できるようになっている。そのためか、どう見ても学生には見えないもの達を目にする機会も少なくない。
そんな中、ブレットとレツの二人は、大学病院までの道のりを辿っていた。
先も述べた通り、この学園は広い。
……つまり、遠いのである。学園内でもリニアモーターカーによる自動運転の定期バスが走り、現在はモノレールなどが建設中だというほどには。
途中、カフェや店などが建ち並ぶ、どう考えても学校とは言いがたい雰囲気の一角を通り抜け、建設中のモノレールの駅を横目に、広場兼公園のような緑の多いそこを通り抜け、目前まで病院が迫った、そんな時。
「あれ? たしかー……あー、そうそう、レツ君とブレット君だよね?」
なにやら聞き覚えのある、すこし間延びした声に呼び止められた。
振り返ると、茶色い髪も腰まで伸びた、ショウの友人……悪友?……ケイナというのほほんとした雰囲気の女性がにっこり笑って立っていた。160センチほどの、ブレットやレツよりも低い身長に、ふちのない眼鏡をかけて、はろ~とパタパタ手を振っている。
今日は、相方というかなんというか……という、微妙な関係の男性、ヒスイは一緒ではないらしい。
いやまぁ、それはともかく。
「あれ、ケイナさん?」
「どーしたのぉ、こんなとこでー。あ、怪我でもしたぁ?」
あは~、という効果音でも背景につきそうな様子で、問い掛けられる。
「いや、そうじゃないんですが……」
苦笑を漏らして、レツが答える。普段と仕事の時のギャップが激しい彼女の様子は、いつであっても調子が狂ってしまうのだ。
「ショウ見ませんでした?」
ブレットが聞く。ショウ? と小首をかしげ、ケイナは言った。
「見たよー。さっき……はて、どこで見たっけな……?」
仕事中の集中力はどこ吹く風である。
「ああ! そうだ、さっきアキに呼ばれてあっちに行くの見たんだっけ」
そういうと、彼女は今彼ら二人がきた道……つまり、もと来た方を指さす。
「えっ?」
「そ、それっていつですか!?」
「えぇっと……たしかー15分か20分くらい前……だったと思うけどなぁ」
「えっ!?」
ケイナにお礼をいい、急いでもと来た道を取って返す。そのまま仕事に行ってない事を祈りながら、二人が目指したのは、先ほど通り過ぎてきた店屋が建ち並ぶ一角。
途中で行き違ったとしたら、そこのどこかの店に入っていた可能性が高い。
「アキと一緒だったんだよね? って事は、たぶんカフェ辺りにいるんじゃないかなっ」
「そーだな。まだいるといいけどなぁ……」
やや間延びした様子でそういいつつも、足はしっかりと動いている。先ほど通り過ぎた一角が見えてくると、何やらカフェからぞろぞろと、何人かがまとまって出てきた。
しかし、どうやら同伴の客というわけではなさそうで……ということは、店の中で何かがあった可能性が高い。
「あそこだな」
騒ぎの中心には大抵、ショウがいたりする。
早足で二人はカフェへと近づく。出てきた客の一人を捕まえ、ショウが中に居たかどうか聞いてみれば、案の定。
「ついでに、中で僕達も食事しちゃおうか」
レツがのん気な様子でそう言った。
「本日のランチメニューは……サーモンのクリームスパゲティか。オレこれにするかな」
入り口の手前に設置された黒板のようなものに日替わりで書かれるメニューを確認しながら、ブレットも言う。
「僕は本日メニューじゃなくてもいいなー。ラザニアにでもしようかな」
言って中にはいる。どうやら奥の窓際の席に、ショウとアキ、それにどうやら、望も一緒の様子だ。
「こんなとこにいたのかよー!」
ブレットが歓声と一緒にそう言うと、アキと望が振り向いて、挨拶を交わす。
「あ、れっちゃん久しぶりーv 元気だったー?」
にぱっと笑う望に、オレには挨拶なしかい、とやや憮然とするブレットを差し置き、
「うん元気元気。望も元気そう……」
苦笑を漏らしつつ、探していた人物の方に目をやれば……
「って……ショウ君?」
なにやら、様子がおかしい。
……え?
些細な事から発展したケンカが、ショウの目の前でピークを迎えていた。
「仕事だから言われたことはやんなきゃいけねーし、別にこの人と俺は何の関係もないし!
別に俺はお前に怒られること何一つしちゃいねーんだよ!」
少し変わった色が混じる茶色い瞳を、大きく不満の色に染め、きっぱり言いきるアキに、じれったそうに声を上げる望。
「だから別に怒ってるわけじゃないって昨日から何回言わせれば気がすむのよ!」
こちらもこちらでかなり濃い色の茶色の瞳を不満げにすがめ、ついでにショートカットにされている少しばかり緑がかった暗めの茶髪も乱して、望が全身で不満を表し、ドン! と机をたたいて立ち上がる。
アキも負けじと濃いめの茶髪をかき上げると、そのままの手で机に手をつきガッと勢いよく立ち上がり。
テーブルを叩いて立ち上がってしまった二人に、ショウがなだめようと立ち上がりかけ……
「てか少し落ち着け…………っ?」
立ち眩みとは違う……いや、似てはいるが……激しい眩暈に襲われ、耐え切れずに椅子に崩れるように今一度身体を落ち着けた。
な………なんだこれ……?
激しい動悸……息が上がる。視界がぐらつき、平衡感覚が奪われる。
そんなショウの様子に気がついた様子でもなく……それどころではないらしい……アキと望のやり取りは続く。
そんな間にも、ショウは自分の身体を支えていられずに、堪らず机にひじをついた。
冗談、だろ………?
きぃん、と、耳鳴りがする。だんだん強くなるように、耳鳴りとともに心臓の音が響く。まるで、それに呼応するように外の音が遠くなる。
足元から力が抜けていくような虚脱感。
あ、やばい……
思ったのが先か……それとも。
ショウの視界に、影が落ちる…………
ぐったりした様子で、ショウが動かない。
椅子にかけたまま、顔に生気がなく、俯かれた瞳は閉じられたままだ。
「おい、ショウ?」
硬い声色で、アキがショウに呼びかけ、体を揺する。
すると……そのまま、ショウの身体はアキの手をすり抜け……どさり、と、椅子を離れて床へと伏した。
『っ!?』
その場に居た者達が皆、凍りつく。
生気の見えぬ、土気色をした顔。ぴくりとも動かぬ……反射も起こさぬ身体。
「……しょ、お……君…………?」
恐る恐る、レツが問いかける。
近づく。
……揺する!
「ショウ君!? ねぇ、ちょっ……ショウ君!!」
「おい、ショウ!? ショウ!!」
ブレットも顔色を変え、ショウのそばに膝をついて呼びかけてみるが、一切の反応は、ない。
軽く頬を叩いてもみるが、これも無駄に終わった。
「きゅ、救急車……医者あ!!」
望はというと、まるで自分も病人のようなほど顔面を蒼白にして、慌ててそう叫んだ。
中で、一番冷静だったのはアキかも知れない。
「落ち着け、お前らっ……ブレット、すぐそこにメディカルセンターがあっただろ。そこ行ってタンカと人員とリニアモーターカー一台借りて来い、大学病院へ搬送する。レツも、とりあえず揺するな、あぶねぇ」
やや青い顔をしてはいるが、口調はきっぱりと頼もしい。三人の冷静さを取り戻させるくらいには、アキの口調は効果があった。
「わ、わかったっ」
ブレットが飛ぶような勢いでカフェを出る。
「脈が少し速いな……」
呼吸が止まっているわけではなさそうだが、息遣いも荒い。細かく……乱れたままだ。
このままだと……まずい。
アキは直感した。
と。
「……ぃ…………」
何か。
ショウが呟いた。
周りが騒がしく突然の事態に右往左往している中、必死で耳を済ませ、アキがショウの口元に耳を寄せる。
「なんだ? おい、ショウ!?」
「――……ひ、じ……り…………」
小さく、呟かれ…ショウはそれきり、言葉を発しなくなる。
「―――――っ……」
メディカルスタッフがショウを連れ出そうとする中、アキは一人、凍り付いていた………
ショウ・S・クオンタム、緊急入院。容態不明。
そのニュースは、半日もしない間に、世界中を駆け巡り。
関係者や、ファン。
そして、ある一人の美女をすら。
世界中のさまざまな人間を、凍りつかせた――――…………
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