第二章 彼女が残したもの


 テレビのニュースも雑誌の見出しも、決まって傷をえぐっていった。

 そういうものだと理解はしていても、いい気分がしないのは事実で。



 聖が失踪してから、その話題がずいぶんと世間をにぎわせていた。




「ショウさん、頼みますよ」

 弱ったように、ショウと呼ばれた彼よりも、はるかに歳のいった男性が頼み込む。頭にやや白いものが目立ち始めた男性の方は、ショウに仕事を依頼しにきた、人のよさそうなおじさんぜんとした外見を持つ、これでいて立派な(?)裏社会の住人である。

「んー……いや、悪いですけど……」

 苦笑して、ショウは返した。それでも瞳の色は強く、請け負えませんと言い切っている。

「ですが……」

 なおも食い下がる男性に、ショウは困ったような笑顔を浮かべた。

 とても、十八歳になったばかりとは思えない表情を浮かべて、ショウはいった。

「もう……裏からは、手を引こうと思っています。そうそう上手くはいかないでしょうが……俺のほうからは一切、動かないことに決めました。ですから、このお話は、お断りいたします」

 きっぱりと、再び断りの言葉を継げる。

 なおも男性は口を開きかけ……諦めたように軽く首を振りながら、閉じて。

「そうですか……。」

 小さく呟く。長らく付き合いのある男性としては、少し寂しいのであろう。

 ……いや、寂しさといえば、もう一つ。

 いつもだったらここにいるべき少女が……今、いない。

「差し出がましいようですが……やはり、聖さんの行方は…………」

 彼も、気にしている人間の一人なのだ。

「ええ……つかめて、ません」

 落ち着いた微笑を浮かべようとして……上手くいかない。少し寂しい表情になってしまった。

 無理をしているのが、わかる。

「何事もない……それならば、いいのですが……」

 男性の方も、寂しい表情を浮かべて呟いた。ショウが組んだ手で口元を隠すようにして、表情を遮断する。

「すいません、ご心配をおかけして……」

 聖のことか。それとも、ショウ自身のことか。

 どちらとも取れないその言葉に、男性はただ、いいえ、とだけ答えた。

「私どもも、探しております。もしなにか手がかりの一つでも、見つかり次第ご連絡いたしますよ。今まで協力いただいたお礼に」

 少し軽い口調で言って、ショウの寂しさを振り払うように、男性は言った。

「ありがとうございます……よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げて、ショウは、微笑を一度浮かべたのだった。




 寂しい笑みしか浮かべなくなった、といったのはジョーだった。

 サボらなくなった……張り合いがない! といったのは望だった。

 優しくなってきみわりぃ……といったのはブレットだった。

 一言でいえば、彼は「変わった」のかもしれない。

 そして。

「やっぱさ、変だよ」

 レツの部屋にやってきたそうそう、ミハエルは開口一番、そう言った。

「えっ?」

 いきなりのことで、なんのことだかつかめないレツが、赤い瞳を瞬かせ首をひねる。イスに座るレツと目が合う位置あたりのカーペットの上にミハエルは座り込み、新緑色の瞳を不満げに染め、長い金髪を邪魔そうに背中へと流しながら、クッションを抱えながらじれったそうに言った。

「だから、ショウのこと! 絶対、無理してるってあれ……精神的にかなりね」

 最近、心理学に片足半分どころか、一本くらいは突っ込んでいる、この鋭いミハエルが言うんだから、確かにそうなのだろう。ああ、とレツも納得し、頷く。

「だろうね……裏の仕事しなくなったうえに、スケジュール帳は真っ黒。まぁ、売れっ子のスターだからそりゃそうでもおかしくないかもしれないけど…文句一ついわないで受け入れる、どころか、さらに仕事増やしてもOKみたいなこというなんて、確かに、ショウ君じゃない」

「……なにげにやたら説明口調だね、レツ……」

 呼び捨てるようになってもう長い友人を、ミハエルは笑って見つめていった。

「とにかく。何が変って……ぼくね、こないだショウんちいったんだよ。ほら、少し暖かかった日あるじゃん?」

「ああ……」

 レツが頷いて思い返す。数日前、気温がやたらと上がってあがって、夏服を引っ張り出した日が、確かにあった。

「でさ、あの日……どう考えても暑かったわけ。ってか、ぼくは、なんだけど……ショウってばさ、暑いねーっていったら、長袖でも汗一つかかないで「そうか?」だって! どーいう神経してんだって思っちゃったよ」

「あー……あれ? でもへんだなぁ? ショウ君、別に寒がりでも暑がりでもないはずなんだけど……」

 レツが首をひねる。ミハエルがそうそう! と興奮したように続けた。

「前のショウだったら絶対半袖で髪なんかくくっちゃって、こんな天気のいい日に仕事なんかしてられっかー! とかなんとかいって表に遊びに出ちゃってたって! でもさ、こないだときたら、長袖のシャツ着て上にGジャンはおって! なんと仕事に行ったんだよ!?」

 いや、仕事に行くのは別に良いことなんじゃなかろうか……とレツはあえて口には出さなかったが、確かに、ショウの行動としては、おかしいところが目白押しだ。

「その前もさ、ブレットが訓練結果がいまいちだったことがあったんだけど。まーあれは自分のミスだったって本人も認めてんだけどさ……ショウってば、「まぁまた次がんばれ」で終わりっ!! ぼく、話聞いて背筋が凍るかと思ったよ!?」

「そ、それは確かにおかしい……」

 レツは軽い眩暈を覚えた。本当に、今のショウはどうしてしまったのだろう?

 そりゃあ………いなく、なってはいるけれど…………

「それにさ」

 ふ、とミハエルが声の調子を変えて、落ち着いた様子で言った。

「無理して、笑うんだよ…見てられない……」

 抱えたクッションに視線を落として、ミハエルは黙り込んでしまった。

 穏やかに……優しげに。笑顔を浮かべるショウ。TVや雑誌で見るのと変わらない、「作られた」顔。あくまで営業用と割り切っていた彼が、全てをそうした。

 いや……そうせざるをえなかったのかもしれない。

「たぶん、役割があったんじゃないかな……」

 レツが、独り言でも言うような調子で、遠くを見るように目を細めた。

「聖がいたから……ショウ君は、ああしていられたんじゃないかな……。横に並んでる人が、いたから」

 並べる人がいたから。

「自分勝手で、好き勝手やって、わがままで、自信家で、破天荒でさ。色々やれたのは、聖がいたからじゃないのかな……」

 事実、レツ自身ずいぶんと聖に頼っていたのだと気がついたのは、いなくなった後だったのだ。

「……たしかにね」

 ミハエルも同じように呟く。

「ぼくも、聖にはすごく助けてもらった。相談も乗ってくれたし……自分が探してる道の背中を、ほんの一押し。聖はすごく上手くやってくれた」

 それ以上は、ミハエルは言わなかった。

 もしかして、それが彼女の重荷になっていたのかもしれないと。

 二人ともがあえて、口には出来なかった。

「たぶん、僕達が考えてる以上に、ショウ君にとって聖のポジションってのは大きかったんだよ。だから……聖が支えて、もしくは抑えてくれてたから出来てたことが、今は出来なくなってしまった……」

「……それに、ぼく達も迷惑、かけてるもんなぁ」

 ミハエルは苦笑して告げた。未だに、レツの勉強を見ているのはショウだし、ブレットのカリキュラムやNASA関係の仕事を断ち切らないでいるショウ。ミハエルの相談も仕事の話も、全てをそつなくこなしてしまう彼。

「役割、だったんだよ」

 ポツリと、レツは繰り返す。

 なんでも出来てしまう人だから。

 人に頼ることを、しないでいる人だから。

 だから……同じ実力があった聖は、横に並べたんだ…………だから、選んだ。

「くやしいよねぇ……今のぼく達じゃ、どうしようも出来ない……」

 かり、とミハエルは親指の爪をかんで言う。

さらに、眉根を寄せて、呟いた。

「ショウはまぁ、ぼく達どうすることも出来ないから……ぶっちゃけ今はほっとくしかないんだけど」

 ずいぶんな物言いではあったが。

「聖も心配だよね……どこで何してるやら……まさか、なんかやばいことに巻き込まれてなんかいないよね」

 レツが不安そうにミハエルを見つめる。

「今のとこ、そういう話は聞いてないけど……」

 聖捜索の内輪の指揮権は、今のところミハエルが握っていた。

「可能性がないわけじゃ、ないんだよね…………」




「納得がいかないな」

 濃い茶髪を短めに切りそろえた一人の長身の男が、少し癖のある英語でそう言った。イタリア製のグレーのスーツを一ミクロンの隙もなく着こなし、アンバーの瞳は思考を読ませず、表情からは冷徹な雰囲気以外のものは読み取れない。だが、眉の上がり具合から、不快である、という意思は読み取れた。

「―――それで?」

 対するのは女。それも、絶世の美女、といっても過言ではない容貌をした女。まだ歳若いであろう事はわかるが、果たしてそれがいくつかは、残念ながら彼女から読み取ることは出来そうにない。

 返事は無感情に返された。

「ビジネスに私情をはさむほど、落ちたつもりはないがね。何故君がこの場にいる」

「―――聞いてない?」

 冷笑を浮かべて、彼女は言った。ふわりとしたつややかな光を輪を放つ、セミロングほどの淡い栗色の髪を背中へ流し、光の加減では金色にも見える同色の瞳を少しすがめ、男を見やる。美しいという単語が、これほど当てはまる人間はそういない。が、これほど冷たい印象を受ける笑顔はおそらく、その美しさ故なのだろう。

「これから、あなたのパートナーとして動くことになるわ。馴れ合うつもりはないからどうぞ、仕事上のみの付き合い方で結構よ」

「―――タイクーンがそれを認めたのか」

「たってのご要望を受けたの。まぁ、感謝はしていただきたいわね。あたしといれば、あなたは成功する」

 傲慢とも取れるほど、強気な態度。

 ここ、裏の世界では、出し抜きあいが当然だ。より強い地位へと望む、欲深いものほど上ってゆくのだ。もっとも、当然ながら実力も必要とされるが。そして当然、それを求めるもの同士、醜い争いが繰り広げられることも少なくない。

 誰につくか。

 どこにつくか。

 誰を選ぶか。

 一つ一つ、全てのことに気を抜けず、些細なミスは命取り。そんな世界。

 パートナーは、その中でも重要な要といっても言い。

「実力に不満はないがね」

 憮然と男は呟いた。

「感情論は捨て置くのが為よ」

 素っ気のない態度。しかし、立ち居振る舞い一つ一つが目を引くような、そんな態度。

 男は打算をめぐらせた。たしかに、この女といれば、上に取り入ることも可能だろう。また、この女と組んで動くとすれば、粗暴な男共の口を割らせることも容易いかもしれない。

「――――良いだろう」

 しばしの沈黙のあと、彼はそうつげ、居ずまいを正した。

 それが、この男なりの精一杯の礼儀であったのだろう。

「俺はウォルフ・ローゼンツ。よろしく頼もう、フェア・セントマリア」




 ただいま、と。

 口の中で小さく呟いた。

 明け方前の時間帯、もう夏も間近であろう……暦じゃあ、初夏だのなんだの言うくせに。

 何でこんなに、凍てついているんだろう。

 部屋に帰ってくるときの、一瞬の違和感。


『お帰り』


 そう言ってくれる声はもう、今はない。

 色あせたような視界は、どこかいつも、リアルじゃない。

 世界と自分が隔たれているような……まるで、世界に拒絶されているような。

 君が居なくなってから……君の居ない生活。

 世界は移ろいが早くて。

 一過性に騒いだ世界も、また落ち着きを取り戻してく。

 君がどこにも居ないのに、世界は同じに回ってる。

 ぽっかりかけた穴があっても、誰も気にせず過ごしてる。

 俺一人、取り残されて…………

 今、どうしてる?

 笑っているかな。

 誰のことを考えてるの?

 どこにいるの。

 返ってはこない疑問ばっかり、胸の奥にたまってく。

 ねぇ、教えてよ。

 聖?

 幻でもいい。

 ずっと、傍にいたかった。

 ずっと居て欲しかった。

 何が足りない? 何か足りない。

 そんなのわかってる、君のいない生活。


 愛してる。

 あいしてる。

 ずっと、愛しい人。

 君のことばかり考えてる。

 君のことばかり想ってる。

 痛いよ。

 胸が、痛い。

 ずっと、欲しかった。手に入れたかった。

 幸せってのを探して。

 一緒に、歩いていけると思ってたんだ。

 なぁ? 俺は傲慢だったのかな。

 自惚れてたのかな。

 手を伸ばせばいつでも、君がいるって。

 思ってたのがいけなかったのか。

 いつだって。

 どんな時だって。

 真っ先に差し伸べられた手。

 ああ……そうか…………

 もう居ない。

 居ないんだ…………

 だからこんなに。

 心が軋むのか…………

 この世界中探したって。

 君以上の人なんて居ない…………


 聖だけ。

 聖がいい。

 他のなんにもいらないから。

 ねぇ、答えてよ。

 俺じゃだめ?

 ねぇ……聖。

 答えて…………

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