第5話

今日はトレーニング、もといリハビリは休み。あの医者の言葉通り続けていると、確かに体力が戻ってきていた。むしろ、前よりも動けるようになったくらいだ。

だが、体力がついても、リハビリが楽になった訳じゃない。体の疲労は等しく毎日積み重なるばかり。

流石にこのまま無理をしながら続けても、また倒れでもしたら本末転倒、まさにくたびれ損と言うやつになる。

そういえば、朝に看護婦が言っていたな。午後に僕に面会したい人がいるって。僕の事を面会に来る程親しい人間なんていないはず、両親はすでに亡くなっているし。


「誰が来るんだ?」


正体不明の来客。こんな時、ワクワク出来る気楽な性格だったらどれほど楽だったか。


「・・・何だか、怖いな。」


もし仮に、僕に恨みがある人間が来たら・・・そいつが僕を見るや否や、襲い掛かって、僕の意識をまたあの暗い世界に戻そうとしてきたら。そう考えるだけで、恐ろしかった。

だけど、そんな感情を抱く自分に喜んでいる自分もいた。その恐ろしいという感情の裏を返せば、今の僕は生きる事にしがみついているという事になる。

澪の言う通りに。


「ちゃんと出来てるよな・・・澪。」


前日までのリハビリの疲れからか、頭がボーっと遠くなっていき、楽な姿勢で横になり、そのまま眠りについた。





今日も夢を見る事無く、目を瞑ったまま目覚めると、女性の歌声が聴こえた。ゆっくりと目を開け、歌声が聴こえる方に顔を動かす。


「———あら、目を覚ましたのね?」


そこには、イヤホンで音楽を聴いている長い黒髪の女性が椅子に座って僕をじっと見つめていた。


「はっ!?」


驚きのあまり、女性がいる方とは逆側の方に体を動かした。が、動かしすぎた僕の体はそのままベッドから落下し、顔が床に激突する。


「だ、大丈夫!?」


慌てた様子で近づいてきた女性に対し、僕は棚の上に置いていた果物ナイフを手に取り、その刃の先を女性に向けた。


「・・・あっ。」


冷静を取り戻した所で、自分が今している事について気がついた。

見知らぬ人間とはいえ、僕は無意識的に武器を手に取り、その武器を何の躊躇いも無く向けている事に。

僕は心底自分に落胆した。さっきまで生きる事にしがみついている自分の成長ぶりを喜んでいたが、実際は何も成長出来てはいない。

その証拠に、僕は自分を守るために相手の気持ちを知りもせずに、拒絶している。

結局僕は、自殺する前の自分に戻っていたに過ぎなかった。

そうか・・・だから僕は夢を見る事が出来ないんだ。何も成長出来ていないから、僕は夢の世界に行けず、澪に逢えないんだ。


「・・・全然、前に何か進んでいない・・・。」


握り締めていたナイフを床に落とし、壁にもたれかかりながら座り込む。

今日はずっと自分を責めよう。きっと刃物を向けられた彼女も、僕を恐れてどこかへと行くだろう。

そう思っていた。けど、僕の考えとは裏腹に、彼女は僕に近づき、僕の体を優しく抱きしめてきた。


「ごめん・・・いきなり会いに来て・・・怖かったよね。」

「・・・え?」


女性は優しい声のトーンで僕の耳元で囁き、震える手で頭を撫でてくる。どうして逃げない・・・どうして僕を抱きしめる・・・どうして、僕は一瞬でも彼女を澪と重ねてしまったんだ。


「明人、憶えてる?私の事?昔、隣の家にいた私の事を。」


昔・・・駄目だ、思い出せそうにない。


「憶えてません。」


僕がそう言うと、彼女は僕から離れた。一瞬見えた彼女の表情は驚きと、悲しさが詰め込まれていたように見えたが、すぐに彼女は笑顔を作り、一度呼吸を整えてから話し始めた。


「そうだよね・・・私は、月山薫。」

「月山薫・・・その名前って、小説家の。」

「ふふ、そうだよ。」


驚いた。てっきり僕は、男の人だと思っていたが、まさか女性で、見た所まだ20代前半くらいの年齢だ。


「ねぇ、明人。少し、お話でもしない?」


正直、僕はまだ彼女について何も思い出せず、若干の敵意を感じてはいるが、さっきの自分の態度が頭をよぎり、断りずらい。

悩んだ結果、僕は自分のベッドに戻った。かなり分かりずらいと思うが、僕は彼女の願いを了承したつもりでいる。

言葉で伝えるのがベストだが、今の僕では、信頼出来ない他人にそんな事は出来ない。

じっとベッドで待っていると、僕の考えを分かってくれたのか、彼女は僕の隣の椅子に座った。


「それじゃあ、何から話そうかな・・・あなたと、こうして二人っきりでずっと話したかったから。」

「・・・何でもいい、どうせ退屈だよ。僕にとっても、君にとっても。」

「・・・それでもいいの。あなたと話せる事が、大事だから。」


そうして、彼女との会話が始まった。会話の内容は他愛もない内容だ。彼女が僕に会話のネタを出し、僕が淡々と答える。

とても静かな、壁に掛けている時計の針の音が部屋に響く程、静かな会話だった。


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