第2話

病室から出た僕らは、長い長い廊下を無言で歩いていた。壁は全面ガラス張りで、それがずっと奥まで続いており、まるで外を歩いているかのように錯覚されられる。


「あの、どこに向かってるんですか?」


僕は彼女に尋ねた。


「あなたはどこに辿り着きたいの?」

「え?」


初めて会った時もだったが、彼女は不思議な女性だ。しかし、どこに辿り着きたいとは、どういう意味だ?

とりあえず僕は、彼女とは違う人がいる場所に行きたいと尋ねてみた。


「ここには他に人はいるんですか?」

「いるよ・・・けど、あんまり面白くないよ?」


面白くなくても、君よりは話が通じるだろう。


「それでも、行ってみたいです。」

「ん―、分かった。それじゃあ行こうか。」


突然、彼女が僕の手を掴み、僕を引っ張って前に一歩跳び出した。その瞬間、目の前の光景が変わり、いつの間にか僕らは待合室へと移動していた。

一瞬で切り替わった世界に体が追い付かず、ガクッと姿勢を崩してしまい、そのまま前方に倒れてしまい、倒れた方には人がいたらしく、そのまま押し倒してしまった。

慌ててその人の上から離れると、そこには人がいた。押し倒されたというのに、表情一つピクリとも動かさない人が。


「あ、あの・・・大丈夫ですか?」


倒れたままの人を起こそうと体に手を当てた。その時、僕は気付いてしまう。人だと思っていたが、表情一つ動かさずに僕を見つめてくるソレがマネキンだという事に。


「うわ!?」


驚いて尻餅をついてしまい、後ろに立っていた人の足に頭をぶつけてしまった。慌てて後ろに立っていた人を見上げると、ソレもマネキンであった。

混乱しながらも立ち上がって辺りを見渡すと、この空間には沢山のマネキンがそれぞれのポーズで存在している。


「マネキン・・・どこもかしこも・・・!」


マネキン達の作られた表情に見つめられ、狂いそうになる。僕は顔に手を当て、マネキンの顔を見ないようにした。


「澪!どこにいる!?た、助けて!!!」


恐怖で錯乱しながら彼女の名を呼ぶが、彼女は一向に返事を返してこない。怯えている僕の姿を楽しんでいるのか?


「だいじょうぶ?」


僕の肩に後ろから手が乗る。その手には人が持つ体温は無く、服越しでも分かる程、その手の皮膚は硬かった。

荒れる呼吸をそのままに、僕が後ろを振り向くと、そこには笑顔を浮かべる人、マネキンが立っていた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


人が本当に恐怖した時、体が硬直するらしいが、僕の体は恐怖で逃げ出したい意志とは裏腹に、目の前に立つマネキンを蹴り倒し、馬乗りになって顔面を殴りかかっていた。

何度も・・・何度も・・・。


「落ち着いて。」


背中から人の温もりを感じた。顔を少し右に向けると、すぐ近くに澪の顔があった。


「よく見て。あなたは誰を殴っていたの?」

「だ、誰って・・・僕はこのマネキンを!」


改めてマネキンに顔を向けると、そこには何も無い。


「・・・あれ?」


僕はますます混乱した。さっきまで殴っていたマネキンだけでなく、あれだけいたマネキンが、まるで初めからいなかったように消えていた。


「どうして・・・だってさっきまで沢山―――」

「人がいた?」

「違う!マネキンがいたんだ!確かにさっきまで・・・触られた感覚や殴った痛みだってある!」

「落ち着いて、冷静に。」

「落ち着けだって!?」


僕は彼女から強引に離れ、窓から外に出ようとした。だが、窓はビクとも動かず、力一杯殴ってみたが、割れる事は無い。

さっきから訳の分からない事続きで頭が痛む。おまけに悲しくもないのに涙まで流れてくる始末だ。

次第に僕の体から力が抜けていき、壁に背を預けたままゆっくりとその場に崩れていく。


「なんなんだよ・・・僕は気が狂ってるのか・・・!」


もう何がなんだか分からずにうなだれていると、彼女が僕の頬に触れてきた。その手を払う前に、彼女は強引に自身の胸に僕の顔を押し当て、強く抱きしめてくれた。

彼女の鼓動が全身に響いてくる。何だか落ち着く。まるで赤子に戻ったようだ。


「これで落ち着いた?」

「・・・ああ、ありがとう。」

「いいのよ。ねぇ、次はどこに行きたい?」

「・・・落ち着く場所に行きたい。」

「分かったわ。それじゃあ行きましょう。」


彼女が僕を立たせ、手を握ってくる。すると、また前に一歩踏み出し、別の場所へと僕を連れて行ってくれた。

今度は外に出ていた。白い砂浜、目の前には夕陽に照らされて輝く美しい海が広がっている。

その光景に、さっきまでの恐怖が嘘の様に消え、目の前に広がる海に目を奪われていた。


「綺麗だ・・・。」


僕が一歩前に歩くと、隣にいる彼女も一緒に前に出た。気付けば、海の水が足首に浸かるまで僕達は進んでいた。

すると、僕の隣から顔に水がかかる。目を擦りながら隣を見ると、彼女が悪戯な笑顔を浮かべながら、両手に海の水をすくい上げていた。


「えい!」


今度は真正面から水を受けてしまった。僅かに口に入った水のしょっぱさが広がる。


「このぉ!」


お返しと言わんばかりに、勢いよく水をすくい上げ、彼女の全身に水を浴びせてやった。

彼女は楽し気な悲鳴を上げながら水を浴び、また僕に水をかけてくる。僕らは夢中になって、疲れ果てるまで水をかけあった。

何分、何時間も遊び続け、疲れ果てた僕達は砂浜に座り、依然として海を照らし続けている夕陽を眺めていた。


「綺麗だね。」

「そうですね・・・。」


本当に綺麗だ。この海も、この夕陽も、それに・・・隣にいる彼女も。


「ここなら、あなたが知りたがっている事が分かるはずだよ。」

「え?」

「海は人の心を映す。その人が閉じ込めている想いまでも。」


そう言って、彼女は僕をじっと見つめてくる。彼女の吸い込まれそうな瞳に、また僕は目を逸らしてしまい、下に俯いてしまう。

すると、僕と彼女の間に、頭蓋骨が海から流れ着いてきた。一瞬驚いたが、どうしてか、僕はその頭蓋骨を手に取り、じっと見つめた。

頭蓋骨の底の無い暗闇が広がる目を見つめていると、僕の頭の中で物凄い速さで記憶が流れ込んでくる。

そして、ある場面で記憶の流れは止まり、そこにはベッドで眠っている自分の姿があった。


「・・・そうか。」


思い出した、全て。隣で僕を見つめている彼女、澪の事。そして、僕がどうしてここへ来たのかを。


「思い出したよ、澪。そうだ、そうだよ・・・僕は、また忘れていたんだ。」







僕は、死にたかったんだ。

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