第17話

 一目見て、好きになってしまった。

 人を好きになると、こんなにも。感情が揺れ動くのか。話せなくなった。話せるようになった。感情がぐちゃぐちゃして、むずかしかった。


 彼は、とてもくるしんでいるようだった。

 そして、そのくるしみの根源は、わたしには見えなかった。


 だから、彼の近くにいることにした。


 なるべく近くで、彼のくるしみを。


 なくしてあげることはできなくても、いっしょにくるしんであげられればいいと。


 そんな、甘いことを思っていた。


 本当に、甘かった。


 彼に気に入ってもらおうとして、なぜか大阪圏出身であることを偽って、たこやきを作ってみたり。

 わざわざ胸から物を出し入れして見せたり。


 本当に。ばかだった。自らの器量のよさを、すべて、ばかなことに使っていたと思う。大きめの胸を、ストロングポイントだと思ったりして。


 彼のくるしみは、十字架だった。


 わたしも、知っている。ビルの爆発事故。現場検証の映像と共に、ニュースで何度も何度も、繰り返し、取り上げていたから。


 施設の遠足として訪れたビル内で、火災が発生。機転を利かせた施設の子のひとりが、消火用非常ボタンを押した。そしてそれが、爆発の引き金になってしまった。

 発火していたのは、消火設備の電気系統だったから。爆発で子供は骨も残らないほどに即死、他の施設の人間も全員死亡。


 その、骨も残らないほどだったと言われていた、子供が。


 生きていて。


 目の前に。いる。彼。


 彼は、記憶を閉じ込めていた。


 爆発の瞬間を別な場所から見たと言っていたけど、おそらく爆風で外に飛ばされて、何かに頭を打ち付けたのだと思う。ショック性の健忘と、殴打による健忘。精神的なショックと、身体的な殴打。その両方が、彼を崩壊から救った。


 でも、彼は。


 自分でも分からない十字架にとらわれて。


 何が苦しいのかも分からず、くるしんでいる。


 彼が見ている外の景色は、爆発事故の前のビルの景色。


 彼がいた場所は、ちょうどビルの爆破事故があった場所。


 おそらく、無意識に、記憶を取り戻そうとして。そのビルに執着している。ビルから見た景色ではなく、彼がいるそのビル自体が、爆発している。


 でも、彼はそれを思い出せない。


 その方が幸せなのだと、思う。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る