第116話 味覚、エール、新作?

 段々と日の出が早くなってきた今日このごろ。

 日の出は早くなり、日の当たる時間は徐々に長くなってきているというのに、寒さは厳しくなっているように感じるのはなぜだろうか。

 今日も今日とて、相変わらずの寒さが続いている。

 マリー曰く、例年にも増して寒さが厳しいらしい。


 暖炉の薪の消費も多いし、早いとこ春にならないかなぁ……。


 時刻は大体朝と昼の中間くらいと言ったところ。

 朝食を取るには遅すぎるし、昼食には早すぎる、そんな時間。

 宿泊している冒険者も大半はこの時間までには出るし、街で働いている人達としてもまだまだ休憩には早いわけで、店は開けているが客はいない、という事がほとんど。

 ところが今日に限ってはそうでもないわけで、カウンターに座った一人の女性がゆっくりとスプーンを口に運んで、ふぅん、と一言発する。


「これがミルクシチューね」

「どうだ?悪くないだろ」


 カウンターに座っているのはカーネリアいちの食堂と自他ともに認める眠る穴熊亭の店長、エリー。

 少し前に来たイルミラ12候令嬢の件で発見した、シチューにミルクを入れるという料理。

 その改良が概ね済んだであろうという丁度いいタイミングで店に現れたエリーに早速味見をしてもらっているというわけだ。


「ミルクの風味で味がまろやかになっていますけど、少々肉の味が薄れましたわね」

「マリーのシチューは絶品だが、逆にその肉の強い旨味が苦手な人もいるようだからな。そういう人向けのスープメニューがあるのも悪くないだろう、ってな」

「確かに、癖は無くなりましたわね」


 ほんのりと甘みのある白いスープには根菜類と鶏肉。

 いつものマリーのシチューには牛肉を使っているのだが、色々と試してみた結果、牛肉よりもあっさりとした鶏肉の方が合うという結論に。

 結果、いつものシチューとはかなり違う物になってしまったのだが、これはこれで悪くない。


「それに、これはパンとよく合う」

「ふぅん……なるほど、バターの香りがパンとよく会いますわね」


 俺の焼くいつものパンを白いシチューにちょんちょんとつけて口に放り込むと、そんな感想が出てきた。

 よしよし、いい反応だ。

 一口二口を食べ進めるエリーを見て、これは成功だなと確信を得る。

 俺もマリーも味音痴というわけではないという自負はあるが、正直エリーには敵わない。

 彼女の味に対するセンスは抜群だと思うからなぁ。

 そのエリーから悪くない反応を得たのだから、自信をもって店に出せるというわけだ。

 ……もちろん、エリーに味見をしてもらわなくても出すつもりではあったが。


「いつから出すつもりなんですの?」

「明日か明後日だな。材料があれば明日から出してもいい。寒い時期こそ売れる料理だと思うからな」

「まぁ、その通りですわね。価格は?」

「ひとまずはマリーのシチューと同じだな」

「小銅貨6枚……相変わらず味と値段が釣り合ってませんわね。うちなら最低大銅貨1枚半にしますわよ?」

「こっちとそっちじゃ客層が違うじゃないか」

「それだけの価値があるということよ」


 冒険者や職人などの一般人が主な客層の走る子馬亭に比べ、眠る穴熊亭の客層は主に貴族や大商人といった金持ち連中だ。

 あぁいう輩は金を払うことを一種のステータスだと勘違いしているところがある。

 故に眠る穴熊亭の料理はうちに比べるとコインの大きさが一つ大きく……とまではいかないが、大分差がある。

 もちろん、ただ値段が高いだけではなくそれに見合うだけの品質があるからこそ、カーネリアいちの食堂なんだがな。


 こっちも昼の仕込みを始めないとだな、とカウンターから離れようとしたとき、バタンと盛大な音を立てて入口の扉が開かれた。


「マリアベールはいるか?」


 少々乱暴に扉を開けたのは、カーネリアでエールの醸造を行っているダニエル爺さんだった。

 今まであまり店には顔を出す事はなかったのだが、珍しい事もあったものだ。

 珍しいと言えばその肩に担いでいるものもだ。

 それは小さな樽。

 店に置いてある樽よりも二回りほど小さく、ジョッキ換算すれば大体2,30杯分くらいだろうか。

 小さいとはいえそれなりの重量があるそれをこともなげに担いでいる。

 さすが芋掘り大会優勝常連、筋力はとんでもないな。


「ダニエルさん。どうしたんですか?」


 名前を呼ばれたマリーが厨房から顔を覗かせると、のっしのっしという音が聞こえてきそうな歩みでカウンターへと歩いてくるダニエル。

 カウンターに到着してようやく、そこに座っている人物が誰なのか気づいたようで、ちらりを一瞥。


「ごきげんよう」

「エリザベートも来ていたのか。丁度よいわ」


 エリーがいることが丁度良い……?

 マリーを含めた3人で顔を見合わせるが、そんな3人の反応などどうでもいいとばかりに言葉を続けるダニエル。


「実は飲んでもらいたい物があってな」


 そういうと担いでいた樽をカウンターの上にドスンと降ろす。

 なるほど、その飲んでもらいたい物というのがこれということか。

 どういうことなのかと疑問ではあるのだが、まぁ飲んでみてくれというのであれば飲んでみようじゃないか、というのは3人の共通した答えだったようで、3人の視線はカウンターの後ろに置いてある食器棚へと向かっていた。

 いわれるがままに4つのジョッキを持ってくると、それを受け取ったダニエルが徐に樽の栓を抜く。

 こぽこぽと音を立てて液体が注がれると同時に泡が立ち上がってくる。

 エールか。

 何せダニエルが持ってくるものなのだから、やはりエールだろう。

 その予想はおそらくエリーとマリーもしていただろうから特段変わった反応はしないだろうと思っていたのだが、俺の予想に反してマリーとエリー、二人ともピクリと眉を動かしていた。

 いつも通りのエールに見えるそれが注がれたジョッキが各人の手に渡されると、真っ先に疑問を投げかけたのはエリーだ。


「ダニエルさん、これは……?」

「儂のところで出来たものだ。儂も一度飲んでいる」


 ダニエルさんのところで出来たということはやっぱりエールじゃないか。

 まるでこれはエールではないと言わんばかりに怪訝な顔をしているエリーが逆に不思議に思えるんだが、一方でマリーも不思議そうな顔をしているんだよなぁ。


「細かい事はあとだ。とにかく飲んでみてくれ」


 これの説明をする前にまずは感想が欲しいのだろう。

 となると、やはりダニエルさんのところで作った新しいエールと考えるべきか。

 単純に考えればその新しいエールを売り込みに来たといったところか。

 ただ、これを持ってきたダニエルさんの様子が少し気になる。

 なんというか、自分でも驚いているような、そんな印象があった。


 まぁ、とにかく飲んでみるか。

 3人が互いに顔を見合わせた後、タイミングを図っていたいたかのように同時に口をつけた。


「ん?」

「えっ」

「あら」


 ダニエルの持ってきた、おそらく新作のエールと思われるそれを口にした3人が、それぞれ三者三様の反応を口にした。


「どうだ?」


 こちらの反応を確かめるように覗き込むダニエルさん。


 うーん、なんというべきか。


 ダニエルさんの作るエールだ、決してまずいというわけではないが、特段美味いかといわれるとそうでもない。

 なんとなくスッキリしているような気がするな、という味の違いは確かにあるが、それが例えばエールと葡萄酒の様な大きな違いがあるわけではない。

 あくまでエールという枠組みの中での変化、といった感じか。

 酒に拘るような店であれば少し変わった味のエールとして置いておくのは悪くないだろうが、うちではそこまで味の変化を気にするような人もいない気がするんだよなぁ。


 どう返事をしようかと悩んでいると、ふと視界の隅のマリーが目に入る。

 彼女は眉を顰めた難しそうな顔をしながら、二口目を口に含んでいる。

 そしてもう一人、エリーもマリーと同じように二口目を口にして、ぶつぶつと何やら呟いている。


「この苦みはまさしくエール。ですが、一口目の強烈な印象とは裏腹に後味は普段のそれよりもさらにすっきりしていますわね。後味はまるで薄めたエールの様にあっという間に消えていくというのに、エールらしさはより濃い。これは……葡萄酒や普段のエールとは方向性がまるで違う。主張の強い苦みと後味の良さを同時に味わうには……こう」


 ひとしきり呟き終わったと思った瞬間、一気にジョッキを傾けて、盛大に喉を鳴らし始めた。


「お、おい、エリー大丈夫か?」


 あまりの豪快さに恐る恐る声を掛けると、俺の声など聞こえていないのか、一気に飲み干したジョッキをダン!とカウンターに叩きつけた。


「やはりこうですわね。このエールは舌と鼻で味わうのではなく、喉で味わうものですわ」


 一応はいいとこのお嬢さんのはずのエリーの行った豪快な飲みっぷりにマリーも少々驚いている様子だったが、エリーの呟きが耳に入ったのか、はたまた聞き耳していたのかはわからないが、マリーもまた一気にジョッキを煽り始めた。


「しかし、一体どうやってこれを……いえ、それを聞くのはマナー違反ですわね。ともかく、このエール、言い値で買いますわ。いくつ用意できます?」

「あっ、エリーさんずるいです!うちも買います!」


 エリーの発言の直前にエールを飲み切ったらしいマリーが、口元に泡を残したまま慌ててエリーに割り込む。

 美味いエールだとは思うが、いくら何でも言い値でとは流石にやりすぎだろう。

 しかも驚いた事に、それにマリーまで乗っかってしまうじゃないか。

 酒が入っているから……というわけではないだろう二人の暴走気味にも思える行動に思わず間に入ってしまった。

 

「おいおい、エリーもマリーも少し落ち着け」


 慌てて二人を収めに声をかけると、二人同時にこちらに嚙みつきそうな勢いでキッと視線を向けてくる。


「落ち着いていられませんよこれは!」

「クラウスにはこのエールの凄さが分かりませんの?」

「は、あ?」


 あまりの圧力に思わずのけ反り変な声を出してしまった。

 いや、確かに美味いエールだとは思うがそこまでのことなのかこれ?

 それに、エリーがいうような凄さというものもよくわからんのだよなぁ。

 確かに変わった味だとは思うが、どこかで飲んだことある気がする味だったし……。


「落ち着け二人とも。前のめりになりすぎてるのはコイツのいう通りだぞ」


 興奮気味の二人とは正反対に落ち着いた口調でダニエルが諫めると、二人とも自分達の慌てようを再認識したのか、少し恥ずかしそうにしながら身を引いてくれた。

 俺の時は全く落ち着く様子が無かったのに……年の功ってやつかなぁ。


「それで、お前はどうなんだ、クラウス」


 まぁ、そうなるよな。

 マリーとエリーの反応を見るに多分すごい酒なんだろうというのはわかるのだが、どうにも俺としては普通というか……。

 二人に合わせた話をするのも選択肢としてはあるだろうが、ダニエルさんも職人だ。

 下手に取り繕った事を言ってもすぐに見抜かれるだろうし、何よりダニエルさんが味見をしてくれと持ってきてくれたものだ。

 まぁ本命はマリーなんだろうが、俺にも意見を聞いてくれるということはそれなりの信頼を置いてくれていると、考えたい。

 ならば、それに真っ直ぐに答えるのが礼儀というものだろう。


「普段爺さんの作ってるエールとは違った味わいのエールで美味いと思う。とはいえ、普段から爺さんの作ってるエールも十分に美味いし、これもあくまでエールだ。目新しいものでもない。二人がそれだけ騒ぐ理由が正直良くわからんなぁ」


 隠し事はなし。

 思っていた事をすべて吐き出すと、マリーとエリーがお互いに顔を見合わせてため息をついてくれる。


「酒場の店主なのですから酒の味がわからないでどうするのです」

「今度からお酒の仕入れは私がやりましょうか?」


 ぬぅ……二人ともその反応は大分酷くないか?

 一方でダニエルさんはどうなのかといえば、顎に手を当てたままフム、と一声。


「少なくとも儂はこのエールと同じものを飲んだ事は無いんだが、目新しさは無いという理由はなんだ?」


 その視線は俺に呆れや失望しているという訳ではなく、単純に俺の発言が気になっているというそれだ。

 確かに、俺の言った理由だけだと今一つピンとこないかもしれないな。

 目新しくないと思った一番の理由はこれだ。


「これと全く同じではないが、同じ様な趣のエールを飲んだことがあるからな」

「なに、それは本当か!?何処でだ!」

「ちょ、ちょっと待て!」


 全身筋肉の塊みたいな爺さんに、ズイと近寄られれば思わずのけぞってしまう。

 のけぞった分の距離を更に詰められ、胸ぐら掴まれてブンブン振り回されていると、外から聞き慣れたにぎやかな声が近づいてきた。

 

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