第115話 ミルク、令嬢、予感
「クラウスさん、出来ました」
サリーネと会話をしているうちにマリーがサクッと食事の準備をしてくれた。
うちで温かい料理といえば、やはりこれだろう。
マリー特製、うちの看板料理でもあるシチューだ。
シチューの盛られた木製の深皿が2つに俺の焼いたパンが4つ入ったバスケット。
そして2つ用意された木製のジョッキにはふわりと僅かに湯気の上がる白い液体。
「大分寒そうでしたので、ミルクを温めてみました」
「ナイスだ。寒い日のこれは体の芯に効くよな」
体を温めるのであれば、温めた葡萄酒に少々の香草を入れたものなんかでも良いんだが、酒が飲めるかどうか分からないからな。
マリーがシチューの皿、クロンがバスケット、そして俺が温めたミルクを入れた木製ジョッキを持ってテーブルに向かうと、待ってましたと言わんばかりにマリーの持つ皿を凝視する彼女。
よっぽど寒かったらしい。
「お待たせしました。当店オススメのシチューです」
それぞれの前に並べると、興味深そうに皿をのぞき込む彼女。
「シチューというのは?」
「具の入った暖かいスープだと思ってもらえれば。それと、こちらはサービスです」
ふんわりと湯気の立つジョッキを指し示すと、皿と同じようにそちらちらりとのぞき込んで、彼女の表情が一気に明るくなった事が目に見えて分かった。
「これは嬉しいです。ありがとうございます」
こんな反応が一番ありがたい。
ミルクを用意したマリーに目配せをすると、ニコリと笑みを返してくれる。
こういった細かい気配りはマリーの方が一枚も二枚も上手なんだよなぁ。
うれしそうにジョッキを片手に持つ彼女。
そのままジョッキに口を付ける……と、思いきや。
俺も、恐らくマリーも予想していなかった行動をとった。
なんと、彼女、手に取ったジョッキを傾けた先は己の口ではなく、シチューの入った皿だったのだ。
「えっ!?」
思わず声を上げてしまうが、マリーもマリーで口に手を当てて驚きを隠せないようだし、クロンに至っては驚き過ぎてか尻尾が逆立っている。
「え?」
こちらの驚き様に逆に驚いたらしいのが彼女だ。
彼女にしてみればこの行為は全くおかしなことが無かったということなんだろうが……シュンセンではシチューにミルクを入れるのか……?
「その、何かおかしなことをしましたか?」
「いえ、その……この辺りではシチューにミルクを入れることはないので……」
あまり失礼にならないように言葉を選びながらそう答えると、彼女はわずかに残っているジョッキの中身とこちらとを3回ほど往復した後、ポン、と音がしそうな程に一瞬で顔が真っ赤になってしまう。
「これはココではなイのですカ!?」
「お嬢様、お言葉が」
一連の流れを見ていたはずの恐らく執事であろう初老の男性は慌てる事なく彼女に指摘をする。
うん、ちょっと南訛り、出てたな。
いや、そんなことよりも早く新しい料理を持ってこなければ。
驚きで固まっていたマリーへと目配せをすると、即座に理解したらしいマリーが厨房へ向かおうと振り返ったところで声が掛かる。
「待って下サ……下さい。折角用意していただいた料理です、このまま頂きます」
「いえ、こちらにも非がありますから、気になさらずに」
一瞬、南訛りが出たが流石に冷静さを取り戻したのかこちらの言葉に合わせて喋る彼女。
彼女はそのままでいいと言うのだが、そこはこちらも引く事は出来ない。
なぜなら、少なくともこの国の人では無いことは見てわかったのだから、その辺りを気遣うべきだったのは間違いないのだから。
「料理を無駄にすることは私の理念に反しますので……ではこうしましょう。これはこれで頂きますが、新しいものも用意していただけますか?」
「わかりました。こちらの分のお代はいりませんので」
譲れないのはあちらも同じ様だ。
これは互いに歩み寄らない限りは話しが平行線になってしまうだろう。
本来であればこちらから言うべきものだったかもしれないが、彼女の提案に乗ることにする。
勿論、お代の件は引くつもりは無いのだが。
話がまとまると、彼女はミルクが入った事で白の色彩が強くなったシチューへとスプーンを潜らせて、ゆっくりと引き上げる。
一瞬ためらったようにスプーンが動きを止めるのだが、それも一瞬のこと。
何事もなかったかのようにすぐさま動き出すスプーンが彼女の口の中へと滑り込んでいく。
果たしてマリーのシチューにミルクを入れたものはどんな味なのか。
元がマリーのシチューなので不味くなる可能性はそれほど高くは無いとは思っているが、なにせ試そうとすら思っていなかったものだ。
クロンとマリーも彼女の反応を固唾をのんで見守っている。
コクリと喉を鳴らしてミルク入りシチューを腹に落とす彼女が驚いたように瞳を丸くする。
やっぱりダメだったか?
そう思った瞬間、彼女の口からは予想外の言葉が発せられた。
「……美味しいですよ、これ」
まさか、と思う気持ちがまっさきに出てくる。
こちらの不手際をなかったことにするべく、そういった演技をするのではないかと、そういう懸念があったからだ。
「アンドリューも試してみなさい」
そう言うと、ミルク入りのシチュー皿をアンドリューと呼ばれた初老の男性へと差し出す。
その所作に少々顔をしかめるアンドリュー。
諫めるべきかと迷っているようではあるが、彼女の有無を言わせぬ様子に諦めたのか、小さく息を吐いてからこちらに向けて軽く頭を下げた。
「無作法失礼致します」
差し出された皿に自分のスプーンを入れる彼。
正直冒険者の酒場である走る子馬亭ではその辺全く気にしないのだが、貴族社会であれば他人の皿に手を出すというのは無作法に当たるらしい。
気にしないでくれ、とばかりに軽く手を降るとそのまま掬ったシチューを口に運んだ。
「……これは、十分美味しいと思います」
二人共同じ感想を述べるのだから、俺とマリーは思わず顔を見合わせてしまう。
お互いにこう思っている事だろう。
本当なのか?と。
言わんとした事を察してくれたのか、マリーが厨房に戻りそしてすぐに戻ってくる。
手には当然、ミルクを入れたシチューだ。
マリーから渡されたスプーンでそれを掬って口に運ぶ。
おぉ、こいつは……。
「驚きました」
「悪くないな」
「美味しいっすよ!」
温めたミルクはそれだけで美味しいということは分っていたし、ミルクを使った料理も当然ある。
だと言うのに、シチューにミルクを入れるという発想は全く思いつかなかった。
シチューにミルクは入れないものだ、という思い込みだけでここに至らなかったという事なのだろう。
思い込みは損だなぁ。
まだまだ洗練する必要はあるだろうが、しっかりと調整すれば店のメニューとして出すに足る味をしている。
まさに怪我の功名だなぁ。
マリーとクロンがサリーネのところに皿を持って行き味見をお願いしている間、来客の彼女は上品な所作で白いシチューを口にしていた。
流石12候の意匠を身に纏うだけあって所作が洗練されている。
それだけに、出したミルクをシチューに注ぐという行為が今ひとつチグハグに感じてしまう。
……気になる、よなぁ。
「差し支えなければで構わないのですが、何故スープにミルクを?」
そう問いかけると、少し恥ずかしそうにしながら彼女が口を開く。
「我が国ではスープにココを入れる事がありますので」
「ココ……あぁ」
そういえば、南に赴いた際に、見た目はミルクにも似た少し甘みのあるものを飲んだことがある。
何かの果実の絞り汁のようなものだと教えてもらったそれが、確かココというものだった気がする。
なるほど、それと勘違いしたのか。
「てっきり、私がスープにココを入れるのが好きな事をクラウス様が覚えてくださっていたのかと思ったのですが……」
む、その口ぶり、彼女が俺の事を知っているにとどまらず、俺の方も彼女と面識があるはず、らしい。
しかし俺は12候に連なる人物との面識なんて……いや、ある、あるな。
……え?
いや、確かにそう言われると面影がある気がするが……いやいや、俺の知ってる彼女はもっとこう、幼かったような……。
しかし、彼女しか思い当たる人物が無い。
「もしや、イルミラ12候令嬢ですか?」
「お久しぶりです、クラウス様」
まさかとは思っていたが、本当にイルミラ嬢とは……。
イルミラ・カルダ。
シュンセン12候の一人、ダラーマ・カルダ候の次女。
ダラーマ候の領地はシュンセンでも最北端、つまりカーネリアのあるリンドベルグ辺境伯領と接しており、冒険者時代に南方に赴いた際、暫くお世話になった領地でもある。
もう4年程前になるか。
海風のジンとか呼ばれてた精霊?の討伐依頼は大変だったなぁ……。
「失礼しました。いやしかし……随分とお美しくなられました」
思わず口にしてしまったのだが、流石に言い訳がましかったか?
とはいえだ、実際のところ俺の記憶の中にある彼女は少女といった印象だったのだが、今の彼女は正しく女性といった印象なのだから嘘は言っていない。
言っていないが……。
訂正すべきかと口を開こうとしたところで、イルミラがクスリと笑う。
「そのお世辞はお兄様譲りですか?」
「いやっ、そんなことは……というか、兄に会ったのですか?」
「2ヶ月程前に。クラウス様と此処の事はその時に」
「そうでしたか」
2ヶ月程前ということは、俺に竜の涙の話を持ってきた頃か。
おそらくはブランチウッド商会が交易をしているのはカルダ領であると思われるので、その辺の話をしたということなのだろう。
本当に、商人というものは動きが早いなと感心する。
「では言葉の方も?」
「必要になるかと、思いましたので」
俺の覚えているイルミラ嬢はもっと南方訛りが強かった気がする。
実際焦った時にはちょっと訛り出てたしな。
言葉の訛りをこちらに合わせるというのも簡単な事ではない。
高貴な人は高貴な人で苦労があるんだなぁ。
と話が一区切りついたところでマリーが皿を持ってこちらにやってきた。
「こちらが代わりのシチューです」
そう言えば代わりのシチューを持ってくるという話だった。
ミルク入りのシチューの衝撃にすっかり忘れていたが、その辺マリーはしっかりしている。
本当に助かる。
ありがとう、と一言を付け加えて皿を受け取ると、早速一口。
驚いたように眉を上げた後、うん、と一つ頷く。
「味の方向としてはミルクを入れたほうが好みですが、こちらのほうが美味しいですね」
その一言に、俺もマリーもホッと胸をなでおろす。
流石に偶然出来たほうが美味いと言われてはマリーの立つ瀬がないからな。
よほど美味かったのか、スイスイとスプーンを走らせて、あっという間に二皿分を平らげてしまったイルミラ。
最後の一口を口にすると、満足げに、ふぅ、と一息つけた。
「美味しかったです」
「そう言っていただけると嬉しいです」
イルミラ嬢の中々の食べっぷりに終始ニコニコしていたマリーが嬉しそうに答える。
料理を作っていて一番うれしいのは、やっぱりその一言だからなぁ。
懐からひと目見ただけで作りが良いとわかるナプキンを取り出して口元を拭いながら、キョロキョロと視線を泳がせるイルミラ。
何かあったのか?と疑問に思っていると、向こうから口を開いてくれた。
「クラウス様。その……他の方はいらっしゃらないのですか?」
「あぁ、従業員は後二人いますが、今日は休みを取っています」
「そう……ですか」
俺の返事に少々残念そうな声色で返すイルミラ。
なんだ、誰かに用事があったとかなんだろうか。
「何かありましたか?」
「あ、いえ、大した事ではありません。アンドリュー、そろそろ行きましょう」
「畏まりました」
何もない、というわけでは無いのは彼女の反応を見ればわかるのだが、あちらが大したことはないというのだからそれ以上を聞くのは野暮というものだ。
というか、貴族の大したことはないは、庶民からすれば大したことだったりするんだが、下手に首を突っ込んで面倒な事になるのは避けたい。
まぁ、後でアリアとリミューンにはそれとなく聞いてみることにしようか。
アンドリューに一声掛け、席を立つイルミラ。
こちらに代金を聞くと、きっちり言われた通りの金額を払ってくれる。
下手に多く払われたりすると逆に困ってしまうものだが、その辺、あちらも気を使ってくれたのかもしれない。
「ありがとうございました。ミルク入りのシチュー、しっかりと店のメニューとして出せるように改良しますので、またお越しください」
「えぇ、楽しみにしています」
その返事は社交辞令と言うやつなのかもしれないが、何故か彼女とは今後も目にする機会が多くなりそうだな、という予感がしていた。
カランと音をたて扉が開かれると、サムイ!という呪文がまた一言だけ響いて、いつもの走る子馬亭へと戻っていった。
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