第113話 年の終わり

 クロンとアリア、リミューンの3人を送り出し、泊っている冒険者向けの昼食を用意する。

 彼らが食事を済ませると今度は俺たちの番。

 と思ったところで、一年の最後の日には出歩かないという風習のないギルがやってきて、一緒の昼食となった。

 どこに行っても店が開いてねぇ、と不満を述べながらももりもり食べるギルは相変わらずだなぁとなんだか安心できた。


 ギルが帰ったのを確認してから、折角竈に火を入れたのだからと新作料理に二人して挑戦する。

 鶏以外の肉料理も欲しいということは前々から話していたので、新作は豚か牛を使った肉料理ということになった。


 なんだかんだと二人で試しているうちに気づけば外は真っ暗。


 試作料理のにおいに呼び寄せられたのか、まだ日が落ちて間もないというのに2階に泊まっている冒険者がふらふらと下りてくる。

 そのまま夕食という流れになったのだが、マリーがシチューの用意をしていなかったのは予想外だった。

 どうやらシチューを楽しみにしていた様子の冒険者に、お詫び代わりと試作品の牛肉のサンガを提供してみたところ思いのほか好評だったのは助かった。

 マリーにしては珍しいこともあったものだ。

 

 と、なんだか思ったよりもいつも通りに近い一日を過ごし、あっという間に一年の最後の日も終わろうとしている。


 俺が冒険者たちの使った食器や椅子などを片づけている間に、マリーは俺たちの夕食の準備をしてくれている。

 そういえば、一年の終わり、という印象が強すぎたので忘れていたが、一年の終わりは月の終わりでもある。

 商業ギルドに提出するための今月の売上額もまとめないとならない。

 ……まぁ、明日でもいいか。

 商業ギルドも年明けくらいはゆっくりするだろうし。


 と、ふわりと漂う香りに俺が思わず首を傾げた。

 この香り……忘れるはずもない、あの香りだからだ。


「クラウスさん、食事の準備できましたよ」

「ありがとうマリー。で、その前に聞きたいんだが……この匂いって、アレだよな?」

「あ、やっぱりわかります?」


 と、少し照れくさそうに笑って見せるマリー。

 マリーがこういう顔をする時というのは、大抵何かしら画策している時だ。

 ぶどう踏みの時にしてやられた事は今でも鮮明に覚えているぞ。


「冒険者さん達には内緒ですよ」


 そういってコトリとテーブルに置かれた木製の深皿には、やはりアレがよそられていた。


「シチュー、あるじゃないか」


 深く濃い茶色のトロリとしたそれは、間違いなくこの店の看板商品であり、俺が惚れたそれ。

 マリーの母親であるターニャさん直伝、マリーのシチューだ。

 そのほかテーブルには、牛肉のサンガの試作品をいくつかにつぶした赤長芋とチーズを混ぜたサラダ、茹でた腸詰、そして俺の焼いたパンが並ぶ。

 普段の夕食からすれば少々豪華に見えるが……牛肉のサンガの試作品がその大部分を担っているんだけどな。

 そしてもう一つ。

 葡萄酒の醸造所を営んでいるウィルソンから買った、彼が去年仕込んだ葡萄酒がジョッキになみなみと注がれてやってきた。

 1年樽で寝かせた葡萄酒は新酒よりも深い味わい……そうだ。

 

 二人がテーブルに着くと、どちらともなく何気なくジョッキを掲げ、こつんと、二つの輪郭を重ねる。


「今年はいろいろあったなぁ」

「えぇ、本当に」


 ちびりと、揺れる赤を口に含みながら、思わず出た言葉に改めて本当に色々あったんだなぁと思い起こす。


「というか、俺がカーネリアに来たのは今年なんだよな」

「それが本当に驚きですね。もうずっと、クラウスさんとやってきたような感じがします」


 俺がカーネリアにやってきたのはまだ冬の気配が強い頃。

 そこで道に迷った俺がこの走る子馬亭を見つけたのが最初だった。


「そういえば、最初は俺の事マッケンリーの部下かなんかだと思ってたな?」

「うっ……今思えば本当にいっぱいいっぱいだったんだと思います。マッケンリーさんの部下の方は顔だって知っていたのに」


 経営が全くうまくいっておらず、店を手放すか否かの瀬戸際に立たされていたのがあの時のマリーだった。


「まさか酒場で何も飲食できないとは思わなかったけどな」

「もう、忘れてくださいっ」


 俺の軽口にマリーはわざとらしく怒って見せる。 

 食事はおろか、酒すらも出せなかったのだから、よくもっていたものだと今更ながら感心するやら呆れるやらだなぁ。

 そういえば、酒のない酒場はただの場だぞ!なんて事も言ったっけか。


「で、出てきたのがこのシチューだったんだったな」


 あの時の衝撃は今でも忘れられない。

 冒険者の中でも料理については中々の腕前があると自負していた俺の鼻っ柱が完全にへし折れた時でもあった。

 今思えば、銀翼の隼の連中が誰一人料理できなかったので少々増長していたのかもしれない。

 ……あの後眠る穴熊亭で食べた牛肉の煮込みスープも信じられんほど旨かったしな。


「あんまりにも熱心にいうんですから、最初は騙されるんじゃないかと思ってましたよ?」

「む……そうだったか」


 確かに、あの時は感動のあまりかなり強引に話を進めようとした気がする。

 初対面の男にいきなり迫られたら怖いよなぁそりゃ。

 少々の気まずさが顔に出ていたのか、俺を見てマリーがクスクスと笑いを零す。


「でも、そのおかげで今があります」

「そうだな。このシチューが俺たちを引き合わせてくれたと言っても過言じゃない」


 一見すれば何の変哲もないように思えるよくあるシチュー。

 それが俺たちを引き合わせてくれたというのだから、こうしてくるくると皿の中の茶色を揺らしている事にすら感慨深いものがある。

 スプーンでそれを掬って一口すれば、それは普段店で出しているものよりも更に旨い気がした。


「そういえば、冒険者連中の夕食の時には仕込んでないって言ってたよな?一体いつ仕込んだんだ?」


 ふと、夕食の時の事を思い出す。

 冒険者一行には今日はシチューを仕込んでいないという話であきらめて貰ったんだが、考えてみれば昼食の時も、その後の牛肉のサンガを試作していた時もシチューは仕込んでいなかったと思うのだが、一体いつ仕込んだというのだ?


「えっと……実は朝から仕込んであったんです」

「朝から?」


 あー……そういえば、ずっと蓋のしてあった鍋があったっけ……?

 まったく気にしていなかったが、あの中にはすでにシチューが存在していたということか。


「しかし、なんでそんなこと?」

「えっと……笑わないでくださいね?」


 マリーがそこまで言うのだから、これは真剣に聞くべき事だろうと、コクリとうなづいて見せると、コホンと小さく咳払いをしてからマリーが口を開く。


「クラウスさんが初めて食べたシチュー。あれ、実は朝作った残り……なんです」

「……え?」


 マリーの言葉に思わずぽかんと口を開けてしまう。

 朝の……残り?


「竈の火も節約したかったので、一日分をまとめて作っておいていたんです。あの頃は」

「あぁ……なるほどな。でもそれがどうしたんだ?」


 朝作った残り……だから、なんなんだろうか。

 今日もあまり火を使いたくなかった……というわけではないのだろうが、よくわからん。

 と、そんな俺の表情をくみ取ったのか、少しむっとした表情をするマリー。

 ……いかん、何か間違ったらしい。

 しかし何を間違ったのかがよくわからんぞ。


「あの時クラウスさんに食べてもらったシチューは、半日くらい寝かせたシチューなんです」

「まぁ、そうなるな」

「もう、だから!今日のシチュー、どうでしたか!」


 まずい、ついに怒り始めてしまった。

 なんだ、どうすればいい。

 正解はなんだ。

 おいしいというべきか、そうでもないというべきか。

 いや、しかし実際旨かった。

 マリーのシチュー自体は毎日のように食べているが、それよりも旨いと感じられた。

 ……正直に言うべきか、ここは。


「普段よりも旨かったと思うぞ。なんというか……懐かしい、気がした」

「そうです!それです!」

「お、おう……」


 マリーらしからぬ大声に思わずのけぞってしまう。

 が、どうやら正解だったようだ。

 万死に一生を得た気分だ。


「その……二人っきりで夕食を取るなんて久しぶりじゃないですか。だから、あの時のシチューをまた食べてもらいたくて……」


 少々口ごもりながら照れくさそうに笑うマリーに、俺も知らず口角が上がっている事に気づいた。


「もー!笑わないって約束したじゃないですか!」

「フフッ。いやすまんすまん。なんか、しおらしいマリーを見てると出会った頃みたいだなと思ってな」

「それじゃ今は騒がしいみたいじゃないですか」

「元気なのは良いことだぞ?」

「もう、子供じゃないんですから。それとも、こんな私は嫌いですか?」

「まさか」


 明るく元気で、少しお茶目で、しっかり者で。

 ロマンチストなところがあって、その割に案外恥ずかしがり屋で。


 そんなマリーが


「そんなマリーが好きなんだよ。俺は」

「えっと……まっすぐにいわれると、ちょっと恥ずかしいですね……」

「マリーが言わせたんだろうが」


 と、俺が流れでツッコんだところで、どちらともなく小さく吹き出して、そこからしばらく、二人だけの酒場に小さな笑い声の輪唱だけが響いた。

 一頻り笑いあったところで小さく咳払い。

 一年の最後の日、言うべき事は多くはない。


「マリー、これからも色々とあるとは思うが……ずっと俺の隣に居てくれるか?」

「勿論です。むしろ、逃げても追いかけますからね?」

「そりゃぁ下手な事は出来ないな」

「当然です。クラウスさんは、私の旦那様なんですから」


 お互いに少しだけ腰を浮かせるようにして、ゆっくりと縮まっていく二人の距離。

 テーブル越しに交わした口づけは、あの日のシチューの味がした。

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