第95話 ハーマン、果実漬け、商才


 俺と兄さんとのやり取りを聞いて、驚いたのはマッケンリーだ。

 

「クラウスお前、ゲオルグ氏とはどういう関係……いや、兄と言っていたが、もしや?」

「えぇ、目の前に居るクラウス・ブランチウッド……今はハーマンと名乗っているんだっけ、彼は間違いなく私の弟ですよ、マッケンリーさん」


 目を丸くするマッケンリーに何事もないように話す兄さん。

 あぁ、この落ち着き様は15年前とまるで変わっていない。

 兄さんは親父似で、俺と妹は母さん似だと言われてきただけあって、俺と兄さんはあまり似ていない。

 それもあってか、本当に兄弟なのかと疑念の目で俺と兄さんとを交互に見やるマッケンリー。

 ……いやそれ、あんまり気持ちの良いことじゃないからやらん方がいいぞ?

 それはともかく、マッケンリーの前で公にされてしまったのだから、諦めるしかないよな。

 

「まぁ、その、久しぶり、ゲオルグ兄さん。というか、俺の顔を見ても全然驚いて無かったけど、いつから知っていたんだ?」

「銀翼の隼のクラウスが酒場を開いた、って話は王都まで届いているからね」

「……そんなに広がってるのかよ」


 何気なく口にされたその情報にゲンナリしてしまう。

 いやぁ……良い宣伝にはなるんだが、まさか王都まで広がっているとは思わなかったなぁ。

 ……あれ、それっておかしくないか?

 

「もしかして、俺が銀翼の隼にいた事も知ってたって事、なのか?」

「勿論さ。ハーマンなんて名乗ってればすぐに分かるって。それにウチがどんな商売をしているのか、クラウスだって知らないわけじゃないだろう?」

「ぐ……確かに……」


 ブランチウッド商会は交易を重視した商会。

 冒険者とのつながりも比較的深く、そういった界隈から情報を得ていたのだろう。

  

「あの……ハーマンって姓は何か特別な理由があるんですか?」


 そこで疑問を投げたのはマリー。

 そういえば、丁度のその話をしていたところだったな。

 

「ハーマンはね、私達の母方の姓なんだよ」


 マリーの素朴な質問に、若干笑いを堪えるようにしながら兄さんが答える。

 あぁ、口にして欲しくは無かったなぁ、それ。

 

「……えっと、クラウスさんは名前を隠すつもりが無かったんですか?」

「ふぐっ…」


 そう、だよな。

 普通そう思うよな。

 俺でも思う。

 初めて冒険者ギルドに登録しようとした際、偽名なんぞ考えて居なかったが故に咄嗟にハーマン姓を名乗ってしまったのだが、そりゃ気づかれるし、マリーが不思議そうにしているのも頷ける話だ。


「いやはや……縁というものは実に面白いものだな」


 すっかり蚊帳の外になっていたマッケンリーが半ば諦めた様に呟くと、スッとテーブルに向けて手を差し出して

 

「積もる話は一度テーブルについてからにしてはいかがですかな?」


 そう続ける。

 客にずっと立ち話をさせていたということに気づくと、俺もマリーも慌ててテーブルへと案内した。

 そりゃ仕方ないだろうと自分で言い訳を心で思いつつ、気が抜けていたのは事実。

 だってな、思ったよりも、兄さんの反応が普通だったから。

 兄さんが席についたことを確認すると、マッケンリーがメニューを片手にしながら、さて、と一言。

 

「頼んでおいたものはできているか?」

「昨日の今日で無茶を言う……が、できてますよ」


 挑戦的な表情でこちらに視線を向けるマッケンリーに対して、俺もニヤリと笑みを浮かべて見せる。

 先日、丁稚から伝えられたのは3つ。

 今日、昼の営業後に来る事。

 連れ立ってくる相手がブランチウッド商会の人間である事。

 そして、なんらかの魚料理を準備しておく事、だ。

 

 マッケンリーから魚料理についての話があったのは少々前の話。

 カーネリアにも魚が並び始めた事もありどうにか完成にこぎ着けたのだが、そもそも魚の流通が活発になっていなかったら研究も何もできなかったところだ。

 そして流通し始めたとしても、そもそも魚を食べる文化の薄いカーネリアで魚料理を新しく作るなど一朝一夕にできる話ではない。

 アカネさんの助言がなければどうなっていたことやら。

 逆を言えば、それだけ走る子馬亭に期待してくれていたということなのかもしれないが、無茶振りにも程があるぞ。


「ではそれに、酒と前菜になりそうなものをいくつか見繕ってくれ」

「かしこまりました」


 マッケンリーがいつも行くような店にはちゃんとした前菜なんてものがあるのかもしれないが、ウチにそんな上品なものはない。

 無いので、適当にボイルした腸詰めとキャベツの塩漬けでも出しておけば良いか。

 酒は今の時期ならエール……いや、折角だしアレにしよう。

 

 二人の座るテーブルを後にして先に厨房へと入ったマリーのところへと向かうと、早速調理に取り掛かっているようで、トントンとナイフの音が響いていた。

 魚料理は元々頼まれていた物だしな。


「魚料理と酒のアテになるもの、だそうだ。マリーは魚の調理を頼む。酒は俺の方で対応する」

「わかりました」


 俺の話を聞きながらもナイフを動かし続けているマリーを隣に、俺は俺で準備を進める。

 グラグラと音を立てる鍋に腸詰めをぶちこんでから、グラシエラス産の竜の涙が入っている瓶に手を伸ばした。

 水を入れれば入れるだけ氷が出来上がる便利すぎる瓶。

 そこから取れるのは、当然氷だ。

 石切に使う杭とハンマーで氷を細かく砕き、木製のジョッキの中に入れ、そしてアレを注ぐ。

 大分暑さも和らいだとはいえ、未だに昼を少し過ぎたこの時間は日の下を歩くには少し辛い暑さだ。

 よく冷えたコレはかなり美味しく感じられるはずだ。

 茹で上がった腸詰めにキャベツ、そして2つのジョッキを持って二人の待つテーブルへと赴いた。

 

「前菜なんてかたっ苦しいものはウチには無いので、これを前菜だと思ってください」

「腸詰めとキャベツか。十分だ」

「それと酒はこれを」


 トン、と二人の前に木製のジョッキを置くと二人してその中を覗き込む。

 

「む、葡萄酒か」


 と、少々渋い顔をするのはマッケンリー。

 気持ちはわかる。

 この時期の葡萄酒はおおよそ1年前に作ったものなので、大分味が落ちている。

 冷暗所できっちりと保存した葡萄酒なんかは寧ろ時間をおいたほうが美味しいという噂を聞いた事があるが、一般的な葡萄酒はそうはいかない。

 だからこその、アレだ。

 徐にジョッキを持つゲオルグ兄さんがスンスンと鼻を鳴らすと、あぁ、と小さく声を上げた。

 

「果実漬けか。久しぶりに飲むな」

「果実漬け?」


 と、不思議そうな顔をするマッケンリーに思わずしたり顔が出てしまう。

 

「ウチの生家の方で良くやるんですよ。古くなった葡萄酒にオレンジ、リンゴ、ブルーベリーなんかを漬け込んで飲みやすくするんです。今日のはオレンジ、リンゴ、バンナの実を入れてあります」


 俺がコレを飲むのは……7,8年ぶりくらいか?

 東の国へと向かうときに立ち寄った街で飲んだ記憶がある。

 自分で漬けるのは初めてだが、中々うまくいったと思う。

 15年程前に飲んだ、あの味とは……まぁ近いとは言えないが。


「それに……この浮いているのはまさか氷か?」

「フフフ、これ、特別ですよ」


 当然と言えば当然だが、驚いた様子のマッケンリーにどうだと言わんばかりに胸を張って見せると、今度は俺のほうが驚く番だった。


「クラウスもすでに持っているとはな。流石は兄弟だ。共に抜け目がない」

「も……って事は、まさか兄さんも?」


 思わず兄さんへと視線を向ければ、こちらの事など気にも止めないかのように、少し懐かしそうにジョッキを傾けていた。


 まさか。

 グラシエラスの件で俺が巣に向かったのはもう一ヶ月ほどほど前になるのだが、逆を言えばまだ一ヶ月しか経っていない。

 この街に来たばかりのはずのゲオルグ兄さんがグラシエラスの竜の涙を持っているとは、到底考えられない話。


 いや待てよ、良く考えてみれば新しく商会の支部を作ろうなんて話が一ヶ月で進められるはずもない。

 となれば多少グラシエラスの話を耳にしている事もありえるか。

 とはいえ、グラシエラスのダンジョン計画は噂として話半分で漏れているところもあるが、まだ一般には公表していないはず。

 一体どうやって……?


「ははっ、一体どうやって手に入れたのか、気になってるみたいだね」

「そりゃそう、ですよ」


 ダンジョンが本格稼働し、多くの冒険者がダンジョンへと潜っていくことになれば、近いうちにカーネリアにも竜の涙は流通してくるのではないか、とは思っていた。

 だが、今のこのタイミングで、というのは正直理解できないな。


 そんな考えが顔に出ていたのか、俺の顔を見てクスリと笑う兄さん。


「ほら、うちの得意分野ってなんだっけ」

「それは……輸送、だったよ、な」


 突然の生家問題に完全に焦った。

 行商だった親父の交友関係は概ね同じ行商、つまり輸送に関わる人物だったはず。

 俺が家を出るまでは、だが。


「輸送には護衛が付き物。護衛は誰がやるかといえば、勿論、冒険者。ほら、繋がった」

「そう簡単に言うがな……」


 言葉にすれば簡単に聞こえるだろうが、その繋がりだけでたどり着けるもんじゃないと思うんだがなぁ。

 まぁ、方法に関してはそう深く突っ込んでも仕方ない。

 

 それよりも、この話の中で俺は一つの確信を得ることができた。

 それは――


「まぁ何にせよ、やっぱり商会は兄さんが継いで正解だったって事だな」


 なにせ国の東端に近い俺の故郷から、西端に近いカーネリアまで支部を出そうというのだ。

 今や国を股にかける商会になったということだろう。

 俺が家を出てからのたった15年でこれだけの事を成し遂げたのだから、やはり兄さんの商才は俺なんかでは到底叶うものではなかったということだな。

 そう思うと、少し肩の荷が降りた気がする。

 まぁ、親父が何故俺に継がせようとしたのかは分からないが。


 と、安心している俺に兄さんはキョトンとした顔をしたあとに、クツクツと含む様に笑い始めた。


「クラウスは何か勘違いをしているみたいだな。家を継いだのは私じゃなくて、ベアトリスだぞ?」

「……は?」

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