第96話 妹、賭け、ギルドの思惑
「ベティが?」
兄さんの言葉に思わず聞き返してしまった。
ベティ……ベアトリスは俺の2つ下の妹。
俺の4つ上のゲオルグ兄さんとは6つ違う事もあってか、兄さんよりも俺の後ろについて来る事が多かったような印象があった。
確かに言われてみれば、俺や兄さんが親父の元で商売についての話を聞いていた時なんかにも同席していることは多かったような気はする。
それにしても、だ。
まさか兄さんではなくベティが継いでいるとは……15年という月日は決して短い月日ではなかったということか。
「どういう事なのか知りたい……といった顔だが、それはまた後にしたほうがいいかもしれないな」
そういう兄さんに思わず自分で自分の顔を触ってしまう。
鏡でも無ければ自分の顔なんてわかるはずもないのだか、多分他人が見たら笑ってしまうような顔をしているだろうな、ということだけはわかる。
そして後にしようという兄さんの言葉の理由が、厨房から2つの皿を持って歩いてきていた。
「お待たせしました。こちらがご注文のお魚料理です」
コトリと小さな音を立てて二人の前に置かれた皿には、何度かの試作を経て自信を持って店のメニューとすることができるようになったサバのトマ煮。
まだ店に出した事のないそれにとっては二人が初めての客ということになる。
アルーの露店でも多少は売れていた事を考えるとカーネリアにもトマは多少流通し始めていると見ていいだろうが、それでもおそらくは少数。
普段うちを利用している客であるならば、見慣れない真っ赤な料理に驚くのだろうが……相手が悪かったか。
まるで血の池のようにすら見えるそれを見た二人はまるで動じる様子がなかった。
「これは……トマか?」
「流石に知ってる、かぁ」
しっかりと煮詰め、スープというよりもソースと言うべきまで濃縮したそれを一口したマッケンリーからすぐに答えが帰ってくる。
完全に初見だったクロンの様な驚き様までは期待していなかったとはいえ、もう少し違った反応が欲しかったなぁ……というのは流石にマッケンリーを侮りすぎだろうか。
流通量は多くないだろうが、露店に出ているのだし流石に知っているか。
「うん、美味しい。少し前に南で食べたトマはもっと酸っぱかった気がするけど、随分と食べやすいな」
一方のゲオルグ兄さんの反応もあっさりしたものだ。
南からトマなどを運んできていた獣人商人のアルーを商会で雇うということだしそりゃ知ってるよなぁ。
というか、他にもカーネリア周辺では見かけないものも売っていたし、俺よりもよっぽど詳しいだろう。
まぁそれよりも、だ。
兄さんの感想にフフンと胸を張るのはマリー。
「じっくり煮込んでいるので酸味が抑えられているんだと思います。他にも香味野菜や香草も入ってますし」
「なるほど」
ここに至るまでの苦労を考えれば、マリーが自慢げに胸を張るのも頷ける。
火を通してスープやソースにする、という話は聞いていたものの、今まで扱ったことのない食材。
ほぼ手探り状態だっただけに、この味を出せたときにはマリーと二人して抱き合って喜んだものだ。
そんな真っ赤なトマのソースを口にしていた兄さんが次に目をつけたのは、当然トマで煮込まれているサバだ。
「切り身としては……結構大きいね」
「はい。サバ、という魚だそうです。以前マッケンリーさんから頂いた魚と同じものです」
「魚の種類に詳しいのかい?」
「私はそこまでは。フソウという島国の生まれの方が知り合いにおりまして、その方から教えていただきました」
「ふむ、なるほど」
トントンと、柔らかく煮込まれているはずのサバをフォークで突きながら、ふむ、と目を瞑る兄さん。
その癖、昔から変わってないのか。
ゲオルグ兄さんには昔から、何か考える時に、例えば机を指で、例えば肉をフォークで、トントンと叩く癖がある。
机を叩くのならばまだしも、食事の時にそれをやるのは行儀が悪いということで親父に注意されていたのを思い出して、少し笑ってしまった。
……というか、焼いた肉ならともかく、煮込んだサバでそれをやられるとボロボロになってしまうな。
「兄さんのその癖、まだ直ってないんだな」
「っと、すまない。あぁ、少し崩れてしまったか。いやぁ……この歳になると流石に矯正は難しいな」
そう言ってへにゃりと気の抜けた笑みを浮かべた兄さんを見て、俺は今日初めて、肩の力が抜けた気がした。
そうだ、兄さんはこんな感じの、人の良い笑い方をする人だったっけ。
「それよりも料理が冷めてしまう。早めに食べて欲しいところなんだけど」
「おっと、それもそうだな。では失礼して」
兄さんが魚に手を出した事を見てか、マッケンリーも同じように良く煮込まれたサバの切り身にフォークを伸ばした。
「これは……旨いな」
「えぇ。正直、魚は食べ慣れていませんでしたしどうかなと思っていましたが……」
最初に溢すように感想を口にしたマッケンリーに続き、兄さんも驚いた様子で皿に残っているサバを見つめている。
で、他方マッケンリーはというと、呆けた様子の兄さんに向けて、ニヤリと意味深な笑みを向けていた。
「どうです?これは流石に私の勝ち、で良いのでは?」
「むぅ……」
……なんだ?
詳しいことはよく分からんが、どうもウチの料理を賭けの対象にでもしていたような感じじゃないか。
予想すれば、ウチが旨い魚料理が出せるか否かを対象に、マッケンリーは出せる方にかけていた、といったところだろうか。
少なくとも出せる方にかけてくれていた事はありがたい事ではあるが、賭けの対象にされるのはあまり気持ちいいもんじゃないんだがなぁ。
「カーネリアに魚料理が定着しているのであれば、漁村からの魚の輸送に着手してもいい。そう、おっしゃっておりましたな?」
「確かに、その言葉に二言はありません。ありませんが……」
……そんな事言ってたのか。
というか、魚の輸送……か。
マッケンリーの言う漁村とは間違いなくカーネリアの南にある漁村の事だろう。
そこから魚を輸送するとなると、輸送先はカーネリア以外に考えられない。
マッケンリーとしてはカーネリアに魚を運んで欲しいと、そういうことなのか?
うーん、正直、よく分からんな。
マッケンリーは商業ギルドマスター。
商業ギルドは独自に商売をしているわけではなく、あくまで商売を行っている人をサポートする事で利益を得ている。
その商業ギルドが利益を得るためには、カーネリア全体の商業が活発になる必要があるのだから、彼の要望する先にあるのはまさにそれのはず。
魚を流通させることでカーネリア全体に影響が出るのかと言われると……分からん。
と、そんな事を考えている間にもマッケンリーはフフンと勝ち誇った顔で兄さんへと詰め寄っていた。
「いやしかし、これ1品だけというのでは――」
それはそうだ。
先程の話を聞く限りでは、カーネリアに魚料理が普及しているかどうかが問題ということなのだから、ウチでしか魚料理を出していなかったら意味がない。
そんな兄さんの尤もな言葉を遮るように現れたのは、サバのトマ煮を出した後に厨房へと下がっていたマリーだった。
「魚料理は1品だけではありませんよ」
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