第92話 鯖、味噌、トマ

「これは……随分と新鮮な鯖ですね」

「サバ、というのですか、この魚は」

「はい。故郷では良く食べていましたね。魚の中でも傷みやすい部類ですので……ここまで新鮮なものは海辺でなければ食べられないと思いますよ」

「「へぇ~」」


 厨房に入り、作業台の上に寝かされている魚を見るやいなや、そう呟くアカネさんに俺もマリーも同じ事を口にしていた。

 マッケンリーの奴、一体どうやってこれを運んできたのか……とにかくアカネさん曰くかなり鮮度が良いようだ。

 鮮度の良いまま運んできた方法も気になるところだが、今はこの魚の調理方法を聞くのが先だろう。

 

「俺もマリーも魚に関しては全然知識が無いので、そもそも何をするべきなのかも分からないんですよね」

「お魚の捌き方は前に教えてもらったことがありますけど、それも正しいかどうかは分からないですし」


 前に小麦粉をまぶして焼いた奴を作ってくれた時はそれほど違和感は無かったように思えるが、それでも現状は付け焼き刃に過ぎない。

 普段から魚を調理していたであろうアカネさんにしっかりと基礎から学ぶのがいいだろうな。

 

「それでは、まずは3枚におろすのが良いと思います」

「「3枚……?」」


 早速わからん。

 3枚ってなんだ。

 何をもって3枚なんだ?

 

「3枚におろす、というのは、魚の背骨を取る作業、ですね。背骨と左右両側の身で分かれるので、3枚です」

「はぁ~」


 そう言われると確かに3枚になる……のか?

 わからん。

 俺が川魚なんかを取って食べていた時は、内蔵を取り出す為に腹からナイフを入れていたが、あれは3枚……ではないよな。

 マリーへと視線を向けると、コクコクと頷いていたので以前教えてもらったという捌き方では多分そうなるんだろう。


「マリーさんは大丈夫そうですね。クラウスさん、やってみますか?」

「あ、あぁ、やってみます」


 今この瞬間程、ナイフを握るのに緊張する日は無かっただろうなぁ。

 自分の後ろで指示を出してくれるアカネさんに従いながら、鱗を取り、頭を落とし、腹を割って内蔵を取り出し、背骨と身を分けるようにナイフを入れる。

 思ったよりもあっさりと終わったその作業後に残ったものを見て、確かにこれは3枚だな、と納得した。

 

「こんな感じですかね」

「はい、綺麗に捌けていると思います。あとは……このあたりの人は魚を食べる習慣がないでしょうから、腹骨と血合い骨も取っておいた方がいいかもしれませんね」


 はらぼね、ちあいぼね……。

 またわからん単語が出てきた。

 なんだその骨、どこにあるんだ?

 混乱している俺の事を察したのか、小さく笑いながらおろした身を指差すアカネさん。

 

「腹骨はこのあたりです。削ぎ落とすようにして取ります。血合い骨は……この、少し色の違う部分が血合いと言います。ここに小さな骨がありますので、血合いと一緒に取ってしまうと食べやすいと思いますよ」

「「へぇ~」」


 もう、へぇと言うだけの人形になっている俺とマリー。

 全く知らない事なんだから仕方ないよな、うん。

 アカネさんの指示通りにその骨とやらを切り取る。

 ナイフを入れる前はそれなりに大きな魚だと思っていたのだが、なんだか思ったよりも身が小さくなったな、といった印象を受けた。

 まぁ、まだ何匹かあるから人数分は問題なくありそうではあるが。

 

「この後はどんな料理にするかによって……なんですけど……」


 なるほど、調理方によって更に違う切り方がある、ということなんだろうか。

 だが当然のことながら、どんな料理にするかすら分からないのが現状。

 アカネさんの問には俺もマリーも眉を八の字にするしかない。 


「そもそもどんな料理にできるのかが分からないんですよね」

「この前は違う魚でしたが、小麦粉をまぶしてバターで焼いてみました」


 以前マリーが作ってくれた時と同じ調理方法でもいいかなと思っていたのだが、魚の見分け方なんてよくわからないし、前の魚料理に使った魚がこのサバと同じとは限らないわけだ。

 あれはあれで美味しかったのだが、このサバに合うかどうかは分からないよな。

 

「それでも十分美味しいと思いますよ」

「ちなみに、アカネさんの故郷ではどんな料理に使っていたんですか?」

「そうですね……塩焼きにしたり味噌という調味料で煮込んだり……ですかね」

「塩焼きはわかりますけどミソ、ですか」


 マリーへと視線を向ければ、マリーも分からないといった様子で首を振る。

 うん、俺もあちこち旅をしていたのだが、ミソというものは聞いたことがないな。

 

「こちらに来てから見たことはありませんでしたね」

 

 ふむ、偉大なる壁の高さは物理的な障害だけでなく、文化的な交流においても障害となっていた、ということかな。

 風習や文化の違いというのはどの国、地域に行ってもあるものだが、全く見たことも聞いたこともないというのは珍しい。

 

「そのミソ……というのが無いのであればまずは塩焼きでしょうか」

「んー、塩焼きは何となく分かるし、違うもので試してみたいところだな」


 塩焼きなら何となく結果は読める。

 ひとまず試してみるというのも有りではあるが、折角アカネさんが居るんだ、もう少し冒険してみたい。

 

「アカネさんは何かありますか?」

「そうですね……味噌が無くても煮込みはおすすめですよ。ちゃんと下処理をして煮込めば匂いも気になりませんし、食べ慣れない人でも食べやすいと思います」

「なるほど……」


 確かに魚特有の生臭さが厨房の中に漂っているな。

 この匂いは食べ慣れない人にとっては少しきついかもしれない。

 では何で煮込むか、という話になるのだが……このあたりでは基本煮込み料理はシチューになる。

 マリーの作るミルクを入れたシチューというのもある事はあるが一般的にはミルクを入れないシチュー。

 そもそもシチューとは、適当な野菜や肉などを煮込んで味をつけたもので、特別これを入れなければならないというものでもない。

 故に、サバとやらを入れてみるのも有り……だとは思うのだが、シチューということになると店のメニューとして使うには少しむずかしい。

 なにせマリーのシチューが圧倒的に美味いのだから、新しくシチューをメニューとしたところで目新しさもないし、マリーのシチューの影に隠れてしまうだろう。


 となると……うーん、どうしたものか。


 その辺はマリーも考えが及んでいるのか、厨房の中を見回して何かないかと探している様子。

 アカネさんもミソが無くともできる料理を考えてくれているのか、厨房の中にはうーんという唸り声が3つ、重なっていた。

 

「クラウスさん、納品終わりました!」


 と、ひょっこりと厨房を覗き込む様にして連絡をくれたのはカズハちゃん。

 こっちでアカネさんから魚についてあれこれ聞いている間に向こうは向こうで作業が終了していたらしい。

 

「あぁ、ありがとうカズハちゃん。少し休憩してお茶にでもしようか」

「はーい。……ねぇクラウスさん、あの赤いのってなんですか?」


 お茶という言葉に元気よく返事をしたカズハちゃんだが、俺の背後のそれを指差しながら小首をかしげている。

 なんか変なものあったかなぁ……と振り返れば、そこにあったのは紙袋から少しだけ頭を出していたトマ。

 あぁ、そういえば、昨日の買い出しの時に露店に出ていたのを買ってきたんだっけ。

 

「あれはトマという南の方で取れる果実だな」

「果物ですか!美味しいんですか?」

「りんごやオレンジのような甘さは無いんだけど前にスープにした時は美味し……あ」


 ピンときた。

 そう思いマリーへと視線を向ければ、マリーも同じことを考えたのだろう、コクコクと何度も頷きながら声を上げる。


「クラウスさん!」

「あぁ、これを試してみるか!」


 ポカンとしているカズハちゃんとアカネさんをよそに、俺とマリーはいそいそと準備を始める。

 そうだ、トマ、これだ。

 ただのスープとして出すのでも十分に美味いとは思っていたが、南の方ではソースにもすると言っていた。

 ということは、それなりに煮詰めて使うということだろうから、このサバとやらを煮込むのに使っても大丈夫ではないだろうか。

 というか、なんだろう、これはうまくいく予感がする。

 

「カズハちゃんお手柄だ。あとで薄皮包みをごちそうしてあげよう」

「えっ?あ、はい。その、ありがとうございます?」

「俺はトマの準備をするから……アカネさん、マリーに魚の下処理の仕方を教えておいてもらえませんか?」

「え、えぇ、いいですよ」


 目をパチパチと繰り返し瞬きしているアカネさんに声をかければ、少し混乱している様子ではあるがすぐさまマリーの隣で魚の下処理とやらについて色々と話始めてくれた。

 厨房が一気に活気づく。

 なんだか楽しくなってきたぞ!

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