第90話 来店再び、氷の魔女、意味深
「我がやってきたぞ!!」
アリアから竜の涙を受け取った日の昼飯時、唐突にバン!と盛大な音を立ててドアを開ける小さな体に、店内で飯を食っていた客の半分程が一斉に手を止めて入り口へと驚きの目を集める。
が、いつもの顔ぶれとも言えるような常連連中や、その常連連中に注文を取りに行っていたクロン、両手に料理を抱えたアリア、そして厨房からはスキレットを振るう音が引き続き聞こえている事からマリーもまるで動じる事なくそれぞれの動きを続けている。
まぁ、なんというか、ギルを筆頭にウチはこう、バーンとドアを盛大に開け放ってくるような客が多いからか、すっかりなれたものといった感じになってしまっているなぁ。
「お?なんだ、驚かせてやろうと思ったのだが思ったよりも平常な客が多いではないか」
「次にこういう事したら出禁にするぞ?」
「なんと、それはいかん。……いや、ベベルに買いに来させれば良いのか。ならば大丈夫だな!」
「ダメに決まってるだろうが」
それじゃ出禁の意味がないだろうが。
……いや、あるか。
こいつ、グラシエラス本人が来るからめんどくさい事になるんだからな。
と、グラシエラスの言に惑わされそうになったが、ともかく直接店に転移してこなかったのは褒めてやろう。
偉い。
そんな人の常識とかそういうのは全く関係ない存在であるグラシエラスの後ろから、ひょっこりと顔を出すのは前回と同じくヴィオラ。
「や」
「やぁヴィオラ。早めに来てくれて助かるよ」
「グラが急かすから仕方なく」
「あいつが急かさなけりゃ暫くこないつもりだったのか……」
そういえば、こいつも人の都合とかそういうの余り考えない奴だったなぁ……。
食材が悪くなるから早めに来るようにしてくれ、とでも事前に言っておけばちゃんと早めに来てくれるんだが、自分からそういう事を考慮できる奴ではなかった。
「お、おい、ヴィオラってもしかして……」
「あぁ、マスターが言うヴィオラなら間違いなく、氷の魔女ヴィオラ」
「ホント!?私すごい憧れてたんだけど!」
あ、しまった。
うっかりヴィオラの名前を出してしまった。
ヒソヒソと話をしているのは最近見かけるようになった冒険者パーティーだが、どうやら俺の素性については既にカーネリアを飛び立っているようで、ヴィオラの名前だけでピンと来てしまったようだ。
ギルが剛腕、アリアが神弓、リカルドが仮面の魔剣士と呼ばれるように、ヴィオラは氷の魔女と呼ばれている。
実は彼女自身は別に氷の魔法が得意というわけでもないのだが、あの氷の様な無表情からそう呼ばれている……らしい。
本人の性格を知ってると、あれは無感情とか冷静とかそういうものじゃないと分かるんだけどな……。
「それよりクラウスよ、アレ、の準備は出来ておろうな?」
「あ、あぁ、材料は揃ってるぞ。今から準備するからちょっと待っててくれ」
「うむ!はよう我に献上するが良い!」
「クラウス。私はクラウスのいつもの料理が食べたい」
「了解。それじゃ……そっちの奥のテーブルで」
ヴィオラの素性が知れ渡ったことで当然その興味の中心はヴィオラと、一緒に連れ立っているグラシエラスに向かうわけだが、そんな事など全く気にしないのがこの二人である。
何事も無かったようにアレ……つまり薄皮包みの話をし始めるので逆に俺の方が動揺してしまった。
俺が奥の空いているテーブルを指差すと、周りの視線など物ともせずにスタスタと歩き出す二人に周囲のざわめきは更に大きくなっていく。
「流石氷の魔女だ……この視線に晒される中でも表情ひとつ変えねぇ」
「クールだぜ……惚れそうだ」
「一緒にいる子供は誰なのかしら。あの立ち居振る舞い……名のある貴族のご令嬢と見たわ」
一部は間違っているが、一部はそれほど間違ってもいない言葉がヒソヒソと飛び交っている。
グラシエラスは駄ドラゴン……と言うのはやめることにしたのでズボラドラゴンと言う事にするか。
ともかく、ズボラドラゴンではあるが、曰く偉大なるアイスドラゴンなのである種、貴族といえなくもない。
恐らく認識変換の魔法でもそういった姿になるようにしているのだろうと思うしな。
「マリー、薄皮包みと香草焼きを頼む」
「わかりました。ジャムはまた今度ですね」
厨房へと声をかけると、スキレットを両手使いでエルトワールケーキとそれに乗せるベーコン、卵をそれぞれ焼いているマリーから返事が来る。
ホント、頼もしくなったなぁ。
新しいメニューも考えたいところなんだが、あまり種類が増えるとマリーへの負荷が高くなるのが怖いところ。
うーん、やっぱりもう一人くらい雇うか?
「マリーさん、シチューと香草焼きとパスタ、パン2つ、あと豆のスープ1つっす」
「わかったわ。エルトワールケーキすぐに出るから、少し待ってて」
「あぁ、それは俺が持っていくから、クロンは薄皮包みの準備を頼む」
「グラシエラスさん用っすね。了解っす」
客の注文もあらかた取り終えたであろうというタイミングでクロンが帰ってきたので、そのまま薄皮包み作りに入ってもらう事にする。
雪解けの祭りの時には散々作ったからある程度作りなれているとはいえ、暫く作っていなかった事もあり正直俺が作ると危うい。
とはいえ、マリーも他の料理で忙しいのでここはクロンに作ってもらうのが正解だろう。
給仕にはアリアも居ることだしな。
「エルトワールケーキ出ます。クラウスさんお願いしますね」
クロンが厨房に入るのとすれ違う用に、マリーから皿が渡される。
ホカホカと湯気を上げるエルトワールケーキを片手に、俺はカウンターへと座るあの男の元へと向かった。
「はい、エルトワールケーキお待たせしました」
「あぁ、ありがとう」
商業ギルドマスター、マッケンリー。
最近はドラゴン騒動やらで色々忙しかったのか、いくらか窶れた様に見える顔には疲れの色が見える。
「随分と忙しそうじゃないか」
「ハハ、どこぞのドラゴンのおかげだな」
やはりドラゴン関係の影響だったらしい。
詳しい話を聞いている訳では無いが、カーネリア周辺の広大な農作地を警備する依頼については領主の資金では足りないという話をしていたのは聞いている。
足りない分は商業ギルドが融資する、という話だったはずだからその関係で忙しかったのだろう。
それに加え、その依頼の関係か冒険者が多く流入するようになったのでその対応等もあったのだろうな。
いつも裏で何を考えているのかわからないような、そんな余裕を持った顔をしていた様に思えるのだが、今日のマッケンリーは純粋に疲れた男の顔をしていた。
ここに来るといつも注文しているエルトワールケーキにナイフを入れながら、あえて奥のテーブルに視線を向けないようにしつつマッケンリーが小さな声でつぶやく。
「……ときにクラウス。氷の魔女と共に居る幼女は、もしや?」
「よく気づいたな」
「状況を鑑みれば流石に予想が付く。一見するとただの幼女にしか見えないな」
「そこは魔法の効果だな。力もかなり抑えてもらっているはずだ」
「なるほどな。フッ、人の手に余る存在とはまさにこの様な事を言うのか」
魔法という単語に驚いたように一瞬だけ視線を向けるが、悟った様に視線を戻すと小さく笑みをこぼす。
「まさか、やろうなんて考えてたんじゃないだろうな?」
「それこそまさかだ。とはいえ、そうせざるを得ない状況もあり得るとは思っていた。結果は私が疲労困憊になるだけで済んでいるのだ、これ以上の事はあるまい」
「……まぁ、な」
マッケンリーの言葉に、改めて今の状況が奇跡的なものだと言う事に気付かされる。
普通、ドラゴンが街の近くに巣を作ったなんて事になればこんなもんじゃ済まない話なのだから。
「そういえばクラウス。この店では魚料理は出さないのか?」
「魚?うーん、干物なら出せるとは思うが、鮮魚は難しいな」
「ふむ、やはり流通の問題か」
「また何か企んでるのか?」
「ハハハ、商人なんてものは常に何かを企んでいるものさ」
「?」
唐突に何を言い出すかと思えば、魚かぁ……。
カーネリアの南南西、大きな湾になっているその一番奥には漁村が出来ているという話は何度か聞いた。
冬場ならともかく、夏場ともなると中々魚というのは難しい。
勿論、干物であるならばカーネリアにもある程度入ってきて居るし、それを使った料理というのは考えられなくもないが……一体何を企んでいるのやら。
「クラウスさん、薄皮包みと香草焼き出ますー」
「分かった、今行く」
厨房からマリーの声が掛かる。
早くも出来たらしいそれを取りに行こうと振り向いたところで、背後からまた声がかかった。
「そのうち、面白い事になる。早いウチに魚料理のレシピも考えておく事をおすすめするぞ」
「ん?そりゃどういうことだ?」
「さぁ、どういうことだろうな」
それだけを言い残すと、スタスタと店から出ていってしまうマッケンリー。
……どういうことだ?
よく分からんが、なにかがおこるらしい。
……うん、考えても分からんもんは放置だ。
今はグラシエラスとヴィオラに料理を運ぶ事の方が優先だな。
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