第89話 朝食、グラご乱心、竜の涙

「お二人とも戻ってきませんでしたね」


 ヴィオラとグラシエラスの急襲の翌日、マリーとともに朝食の準備をしていると、ふと思い出すようにマリーがつぶやく。

 あの後、薄皮包み用の果実を抱え帰ってきたマリー、クロンと共にグラシエラスのご要望通り薄皮包みを作る気満々で待っていたのだが、結局その日は戻ってくる事はなく何とも言えない消化不良感を残しながら店じまいとなった。

 この時期とはいえ買ってきた桃やブルーベリーなんかは数日は傷む事は無いだろうが、できるだけ早く来て欲しいところ。

 というか、保存が出来ないのをどうにかするという話だったように思うのだが、その本人が食べに来ないのでは本末転倒ではないかという気がしないでもない。

 まぁそもそも、グラシエラスの言う、我にいい考えがある!というそれにはさほど期待していないのだが。

 

「今日くらいには来て欲しいところなんだがなぁ……」

「あまり遅くなるようでしたら、昨日買ってきた果物はジャムにでもしましょうか」

「まぁそうするしか無いよな」


 冬場の野菜や果物なんかが手に入らない時期に向け、徐々にジャムなどにして準備しておくものではあるので無駄になることはないのだが、どうにも釈然としない。

 まぁ、自由奔放で縛られる事のなかったであろうドラゴンに、そういう面を期待してもしょうがないということなんだろうなぁ。

 

「二人とも何しに戻ったんすかねぇ?」

「それがわかればまだ良いんだがな」


 皿の準備をしているクロンの疑問にため息交じりに答える。

 実際、わからん。

 冷やせば食材が長持ちするという話をしていた最中での行動だったので、それに準じた何かなのだろうが、何をするつもりなのかはさっぱり分からん。

 まぁグラシエラスはアイスドラゴン。

 冷気を操るのはお手の物だろうとは思うが、せめて人の手に余るものではなければ良いのだが……。

 その辺はヴィオラ……では無理か。

 ベベルの常識に期待するしかあるまい。

 

「おっはよー」


 カランとドアベルの音が響くと同時に聞き慣れた声が聞こえてくる。


「おはようございます、アリアさん」

「おはよーっす!」

「おう、おはようさん」


 走る子馬亭で働くと決めた当日早々に家を買ったアリアだが、走る子馬亭が宿として機能するようになってからは朝食は走る子馬亭で取ることが多くなった。

 理由としては、宿泊している冒険者向けの朝食の準備が必要になったから、ということが一番大きいだろう。

 しっかりと朝食を取っていく冒険者はそれほど多くないうえに、うちに泊まるのは比較的金のない中級ランクまでの冒険者が多い事もあって朝食を食べる冒険者というのは正直多く無いのだが、全く用意していないというわけにも行かない。

 ということで、冒険者向けの朝食の準備はするのだが大体は余り俺達の朝食になるわけで、そのおこぼれに預かる形でアリアも朝食をこちらで食べる事が多くなったということだ。


「今日も朝食は誰も来なかった感じ?」

「朝食は誰も来なかったが、朝早くに出たパーティーが居たんでな、彼らの昼食用にいくつか見繕ったな」

「あー、例の警戒組かなぁ」

「いいっすねぇ……ボクも依頼受けたかったっすよぉ」


 そうぼやくクロン。


 アリアの言う警戒組というのは、グラシエラスがグワース山に巣を構えた事で発生した余波に対する警戒を担当している冒険者パーティーの事。

 4パーティーで1グループとし、1日毎に早朝から昼、昼から夜、夜から早朝、1日空けてまた早朝といったサイクルで隙間なく警戒を続けているらしい。

 どれくらいのグループが行動しているのかは分からないが、広大なカーネリアの農作地をカバーするためにはそれなりの数が揃っていないとならない。

 とにかく数が必要ということもあってか、依頼の信頼度を高めるためにカーネリア領主代行から直々の依頼という形を取っており、それに見合う程度には報酬も良いようで、かなりの数の冒険者が集まっているっぽい。

 うちを拠点にしている冒険者も結構な数がその警戒依頼を受けているらしく、今朝のように昼食用に何か見繕って欲しいという話がちょこちょこと入ってきていた。


 そうした話をを聞くたびに羨ましそうにしているクロンを見るのは少し可愛そうにも思える。


 未だカッパー級のクロンにはそういった依頼は受けられないからなぁ。


 実際のところを言えば、クロンであればカーネリアの森浅層に棲むモンスター程度であれば問題無く狩れる程度の実力はあると思うのだが、残念ながら昇級審査はドラゴン騒動のせいで一時中断。

 審査再会は収穫が終わって一息ついた晩秋辺りになりそうだなと思っている。

 ギルやアリアの推薦……ということであればまた違うだろうが、ギルもアリアもそういうのは嫌うだろうし、何よりクロン本人が嫌がりそうだ。


 じっくり行くしかないよなぁ。

 

「そういえば、昨日は休憩から戻ってくるのが遅かったから聞けなかったが、冒険者ギルドの方は何か動きがあったのか?」

「あーそれね。実はベベルが来てたからリカルドと一緒にちょっと巣の方に行ってたんだよね」

「へぇ……」


 何気なく話題を振ってみたのだが、おもったよりも面白い話が出てきた。

 そして当然の流れで、昨日来ていたグラシエラスとヴィオラの事を思い出す。

 ベベルがなんの理由もなく冒険者ギルドに顔を出す事はないだろうし、何かしらの進捗があったのだろうと予想できるのだが……もしかしてヴィオラとグラシエラス、逃げて来てたのか?

 

「それがさぁ、本当ならヴィオラとグラシエラスを交えて今後の話をするはずだったらしいんだけど、あいつらどっか行ってたみたいでさぁ。お陰で暫くリカルドと待ちぼうけだったんだよねぇ」


 と、口では恨み節を吐いている割に満更でもない様子のアリア。

 うーん、やっぱりアリアもダンジョン計画には興味津々といったところなんだろうな。

 しっかりとアリアの本音を言ってくれればこっちだってある程度の融通くらい効かせてやるんだけど……まぁ本人が言い出してこない限りは触れない事にしておこう。

 それよりもだ、やっぱりあの二人、逃げてきてたんだな。


「えっと……お二人共、お店に来てましたよ?」


 困ったように眉を八の字にしているマリーがそう告げると、わかってるとでも言いたそうに手をふるアリア。


「まぁそんな事だろうと思ってたよ。ここで何があったのか知らないけど、急に戻ってきたと思ったらグラシエラスが魔力全開にしたもんだから、もう巣の中がガッチガチに冷えちゃって参ったよ」

「あー……」


 そうか、なるほどな。

 俺が寒ければ大丈夫だ、みたいな話をしたもんだから、とりあえず巣をガッチガチに冷やせばいいだろうと思ったのだろう。

 ……いや、巣を冷やしたところで意味無いんだがな。

 

「結局ベベルに怒られながら、薄皮包みがー!みたいなこと言ってたから、どうせここに来てたんだろうなーとか思ってたんだけどさ、何があったん?」

「話せば長く……は無いな。薄皮包みに使う果実が店に無くて直ぐに作れなかったんだが、冬場ならば食材も日持ちするから取っておけるって話をしてな」

「あー、それでか。なるほどねぇ」


 そういうと肩に掛けたカバンをゴソゴソとあさり始めるアリア。

 一体何が出てくるのかと俺を含めた3人がアリアの手元を覗き込むと、アリアがカバンから取り出したのは一つの包み。

 その包みをゆっくりと開けると、そこから現れたのは透き通るような青色をした一つの鉱石だった。

 

「これ、ベベルからクラウスに渡せって預かったんだよね。昨日渡すの忘れてたよ」


 ポン、と包みごと投げ渡されたその鉱石を手に取ると、予想外の感覚に鉱石から手を離しそうになってしまう。

 

「うおっ冷たいな」


 包みの上からでも持っているのが辛くなりそうな程の冷気を感じるそれを改めて見れば、今回のドラゴン騒動のきっかけにもなった物だった。

 

「……これ、竜の涙か」

 

 竜の涙の採取を専門にしている冒険者もいるとはいえ、その流通量は微々たるもので、価値はかなり高い。

 グワース山に出来た巣に最初に入った冒険者パーティーも極小さな竜の涙を回収したという話だったが、小さな欠片でもそこそこの価値はあるはず。

 それが、今俺の手の中にあるものは拳大。

 市場価格にしたら大銀貨……いや、下手をすれば金貨は下らないかもしれない。


「魔力全開にしたのもこれを作るためだったんじゃないかなーって思うんだよねぇ」


 竜の涙はドラゴンから溢れ出る魔力の結晶だと言われている。

 なるほど魔力全開にすれば竜の涙の結晶化も早いということか。


「へぇ~これが竜の涙ってやつなんすねぇ。なんか、凄い冷たいっすねこれ」


 俺の持つ竜の涙をツンツンと突くクロン。

 そう、それだ。

 それこそが竜の涙が貴重品であることの所以でもある。

 

「竜の涙はドラゴンの魔力が結晶化した物だからな。その魔力の性質によって竜の涙の性質も変わるんだよ」

「おぉー、そんな理由があるんすねぇ」


 グラシエラスはアイスドラゴン。

 ならば当然、その魔力も冷気に関連するものだろう。

 その魔力が結晶化したものであるならば、やはり冷気に関連した性質を持つもの。

 そうか……食材の保存のためにわざわざこれを作りに戻ったということなのか。

 突然巣を氷漬けにして何アホな事をやっているんだとか思ってすまなかった。

 

「結晶は大きければ大きいほどその性質も強く出る。これほどの大きさなら……」


 何か無いかと辺りを見回すと、丁度汲んできたばかりの井戸水が満載になっている瓶が目に入る。

 徐にその瓶に竜の涙をポチャンと投げ落とすと、興味深そうにクロンとマリーが覗き込んだ。

 

「うわっ、凄いっす!竜の涙の周りからどんどん凍ってきてるっすよ!」

「これは……凄いですね」


 みるみるうちに凍結していく井戸水に目を丸くするクロンとマリー。

 うんうん、良い反応だ。

 

「これがあれば氷は作り放題だな」


 竜の涙は元になったドラゴンの魔力によってその性質が変わるのだが、これほどまでに分かりやすく実感できるのはこの大きさだからだろう。

 市場に極わずかに流通している竜の涙でこの大きさの物は見たことがないだけに、こいつの貴重さはとんでも無い。

 うん、ホント、駄ドラゴンとか言ってすまんかった。


「何か木箱でも作って氷を入れておけば食材の保存にも活用できるか」

「コキュートスの上位互換だねぇ」

「……あれはもともとそういうもんじゃないからな?」


 ニヤニヤと笑みを浮かべながら俺を覗き込んでくるアリアにジト目で返すとケタケタとした笑い声だけが帰ってきた。

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