第88話 熱望、保存、解決案

「よし、自己紹介も済んだようだな!ならばクラウスよ、はよう我に薄皮包みを献上するがよい!」


 何とも言えない空気になってきた時だったので、このグラシエラスの遠慮のない傲慢さは逆にありがたい。

 

「お、おぉ!そうか。薄皮包みか。そんなに気に入ったのか?」

「うむ!あれはまさに至高の一品よ!長いこと生きておるが、まこと人の料理は我を飽きさせぬわ」

「確かにあれは美味いからな」


 慌ててその話に飛びつくと、隣から小さなため息が聞こえてきたのはきっと気の所為ではないだろう。

 ……マリーさん、一体どうなされたのですか?


「して、薄皮包みはどこにあるのだ?」

「あれは作り置きしてるわけでもないし、まして店のメニューとしても出してないんだ」

「なんと。あれほどのものを店に出しておらんだと?お主は馬鹿なのか?」

「あれは原材料が高いんだよ。金持ち連中ならともかく、普通の住民が気軽に手を出せるもんじゃないからな」


 カーネリアは比較的砂糖の値段が安い傾向にあるように思えるが、それでも砂糖を使った甘味はやはり高い。

 確かに美味いことは美味いんだが、値段のお陰でポンポン出るものではないと思っている。

 完全に1食分だけを作る事ができるならばまぁメニューに乗せておくのは有りだとは思うのだが、材料の関係上どうしても最低でも数食分を作らざるを得ないだけに、食材をダメにしてしまう可能性が高く中々難しい。

 特に今の時期は食材の足が早いからなぁ。

 

「ふむ、良くは分からんが、つまりすぐには食べられんということか」

「薄皮包み自体を作るのにはそう時間は掛からないぞ。どうしてもというのなら作れない事もないが……」


 薄皮包みにはクロン直伝の黄色いクリームと果実が欠かせない。

 クリームの方は今店にある材料だけでも大丈夫だろうが、果実は……。

 チラリとマリーへと視線を向けると、それに答えるように首を横にふるマリー。

 あー、やっぱないよな。


「今店にある食材だけじゃ足りないな。買い出しに出ないと」

「ぬぅぅ、なんと準備の悪い!それくらいは用意しておくのが礼儀というものであろう!」

「突然来た奴にそんな事言われてもなぁ……」


 というか、礼儀ってなんだ礼儀って。


「今の時期は食材が傷むのが早いんだ。食材の買い置きはできるだけ控えたいんだよ。冬場ならともかくな」


 まぁ逆に冬場になると取れる果物がオレンジやりんごくらいに限定されてしまうのだが、それはそれとしてだ。

 

「む?何故冬なら良いのだ?」

「寒くなると食材が傷みにくくなるんだよ。なんでかは知らん」

「ふむ……つまり冷やせば良いということか」

「まぁそういう事にはなるが……冷やすってのはそう簡単にできるもんじゃないからなぁ」


 実際、温めるのは火を起こせばいいだけなので問題ないのだが、冷やすとなると人の手では難しい。

 夏場でも温度が高くならない洞窟の中で食材を保存するというのを聞いた事があるが、カーネリアの近くにはそういった洞窟はない。

 一応グラシエラスの巣がそうとも言えないが、食材を保存するためだけにカーネリアの森を抜けてグワース山に入るのは現実的じゃない。

 何より、食材を輸送している間に傷んでしまうからなぁ。

 改めて考えると、こういうときにこそコキュートスが欲しかったところだ。

 ……本来の使い方ではないと思うが。

 

「なんだ、そのような事か。よし、しばし待っておれ。一度戻るぞ、我が友よ」

「ん」


 意外にも俺の話をちゃんと聞いていたらしいグラシエラスが呆れたように声を上げると、ヴィオラの元へとスタスタと歩き出す。

 ヴィオラもなんの疑問も持っていないかのように転移魔法の詠唱を始めるのだが……何をするつもりなのか。

 

「あぁそうだ。我が戻ってくるまでにちゃんと薄皮包みの食材を集めておくのだぞ!」

「じゃ、また」

「あ、おい!」


 一方的にそう告げるグラシエラスとヴィオラは、ヴィオラの声とともに虚空へと消えていき、残ったのは片手を上げて引き止めようとしていた俺と、その姿を唖然として見守るマリーとクロンのみ。

 全く、嵐のような奴だった……いや、戻ってくるって言ってたからまだ終わってないんだった。

 何故か機嫌が悪そうだったマリーへと視線を向けると、はぁとため息を一つ付きながらもその顔には笑顔が浮かんでいる。

 

「個性的な方々、でしたね」

「ハハハ……まぁ、いいヤツではあるんだがな」


 ヴィオラはもとより、恐らくグラシエラスもそう悪い奴ではないはず。

 まぁ一昔前には人に貢物を要求してはいたが、別に人憎しというわけではなかったようだしな。

 金を集めていた理由はあれだったが……。


「えっと、それでどうするんすか?」

「あ、あぁ、そうだった。どうするか……」


 ヴィオラに会えたことでグラシエラスへの恐怖が薄れたのか、概ねいつも通りの様子のクロンが俺の顔を覗き込んでくる。

 どうするもなにも、すぐにでも戻ってくるであろう奴の事を考えると買い出しに出ないわけには行かない、よな。

 

「んー、マリーとクロンで買い出しに出てくれないか?ヴィオラ達が戻ってきた時に誰もいないと困るからな」

「分かりました。買ってくるのは果物だけで大丈夫ですか?」

「砂糖も少し買い足しておきたいな。あの様子じゃどうせ暫くしたらまた来るだろうから」

「ふふっ、それもそうですね」


 可笑しそうに笑うマリーの顔を見て、内心ホッと胸を撫で下ろす。

 とりあえずマリーの機嫌は直ったようだ。

 うん、良かった。

 本当に良かった。

 

「それじゃ行ってくるっす!」

「おう。頼んだぞ」


 誰もいない店内を駆け足で出ていくクロンの後を追いかけるように、マリーが小走りで入り口へと駆け出して、途中でくるりと振り返った。

 

「行ってきますね、クラウスさん」

「あぁ、気をつけてなマリー」

「はい!」


 なんだかこの間とは全く逆になったなぁ、なんて事を思いながらまだ片付け終わって居なかった食器を片付けはじめる。

 薄皮包みの準備は……まぁヴィオラ達が戻ってきてからでもいいだろう。

 もしかしたら今日は来ない可能性も……いや、無いか。

 何をしに戻ったのかは分からないが、どうせすぐ戻ってくる。

 


 そんな予想をしていたというのに、その日、ヴィオラとグラシエラスは戻って来なかった。

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