第75話 ドリアード、人智の及ばぬモノ、妙案

 そう言ってアリアが体の前で何かを支えるように両の手のひらを上に向けると、その中心に向かって何かが吸い込まれていくような感覚を覚える。

 渦巻くそれがカボチャ程の大きさになったタイミングで、ポン、と小さく音を立ててその渦が弾け飛ぶ。

 

 そこに現れたのは、人の形をした何か。

 見た感じ、女性……っぽいか?

 胴体はまるで木の幹のようで、人の足があるであろう場所は1本の幹にまとまっており、いくつかの根が四方に伸びている。

 頭部から生える重なり合った長い葉はまるで髪のようだ。

 顔は人の女性のそれにとても良く似ているが、その目はまるで緑柱石を思わせるような透き通った緑色をしており、白目が無い事がそれが人とは違う存在だと言うことを如実に示している。


 はぁ~、精霊ってのはこんな感じなのか。

 

「……もう呼んだんすか?」

「うん、此処に居るよ」

「うあー、やっぱりボクには見えないんすねぇ」


 クロン本人としても見えるとは思っていなかったようで、そこまでガックリと凹んだ様子は無いが、それでもやはりがっかりはしているらしい。

 一方でマリーはどうなのかと視線を向けて見れば、目を細めてじっとドリアードを見つめていた。

 

「うーん……なんかぼんやり、いるような……?」

「おぉ、凄いねマリー。精霊の気配を感じられるだけでも珍しい事だよ」

「マリーさんズルいっす!ボクも見たいっすよ!」

「私もはっきり見えるわけじゃないから」


 ……うん、これ、あれだな。

 俺、はっきり見えちゃってるんだが、言わない方が良い気がしてきた。

 しかし見えちゃってるものは仕方ないというか、当然視界に入るものに目が行ってしまうわけで、不意にドリアードと目が合う。

 

 あ、まずい。

 

 そう思った次の瞬間にはドリアードはアリアの手の上から離れ、マリーの頭上へと移動していた。

 当然というべきか、不意に動き出したそれを俺も目で追ってしまったわけで……。

 

「……クラウス、もしかして、だけどさ……見えてる?」

「……うむ」


 ドリアードの姿が見えているアリアもその動きに目が行くわけで、同じく視線で追いかけた俺の事に気づくのも当然ということだ。

 

「うおおおお!ししょー凄いっす!流石ししょーっす!」


 クロンは何故か変なテンションになって盛り上がっているし、アリアはなんというか、好きにしてくれとでも言いたげな投げやりな視線を向けてくるし、それを見てマリーはくすくすと笑いを堪えているし、なんだこの惨状。

 

 視線の置き場に困ってマリーの頭上に移ったらしいドリアードへと視線を向ければ、当のドリアードもなにやらじっとこっちを見てきていた。

 見えるとは言え、アリアとは違いドリアードと会話ができるわけではなさそうなので彼女?が何を考えているのかはさっぱりわからないが、それでもその視線に悪い感情は無いように思える。

 取り敢えずドリアードに嫌われているわけではなさそうなのは有り難い事だ。

 ……精霊に嫌われるとどんな問題があるのか、といわれるとさっぱり分からんし、予想もできないがな。

 

「ホント、クラウスって何者なんだよぉ。アタシやギルなんか目じゃないくらいありえない存在じゃん」

「知らん。俺に聞くな。俺だって困惑してるんだぞ」


 自分としてはごく普通の人間のつもりなんだ。

 その認識を歪ませるような発言には気をつけていただきたい。


 しかし精霊かぁ。

 マリーの頭上でキョロキョロと店内を見回しているドリアードを見るのは勿論初めてなのだが、なんというか、落ち着くな。

 森の精霊が近くにいるからなのか、何処となく木陰で休んでいる時の様な、柔らかな涼しさと居心地の良さを感じる。


「さっきから何となく居心地が良い感じがするのは精霊のお陰か?」

「それはあるかもね。ドリアードは森の精霊だから、ドリアードの居る所は森なんだよ」


 事もなげに答えるアリアだが……どういう意味だ?

 ほら、クロンなんか視線が泳ぎまくってて、全く理解できてないぞ、あれ。


「うーん??よくわんないっす。ここは走る子馬亭っすよね?」

「アタシも詳しい事が分かってるわけじゃないけどね。精霊ってなんていうか、色々と優先される存在というか……例えそこが灼熱の砂漠の中であったとしても、そこに森の精霊が根を張ればそこは森と同じ環境になるというか、元々そこが森であったかのように、場所が森であるように振る舞うというか……」

「森にドリアードが住むんじゃなくて、ドリアードが住む場所が森だということか。とんでもないな」


 言うなれば、行動と結果の順番が逆のような話。

 行動によって結果が出るのではなく、既に決まっている結果にたどり着くように行動させられる、そんな理不尽とも呼べる存在、か。

 おやつだの親戚の叔父さんだの散々な言われようだったが、こうして直接その力を見せつけられると人智の及ばぬ存在というものを実感できる。

 この国も開拓で出来た国だし、未だ西へ西へと開拓を続けているが、まだまだ人の知らぬモノ、場所、そういった存在がたくさんあるのだろうと思うと、消えていたはずの冒険への渇望みたいなものが少し、湧き上がってくる。

 まぁ、そのゆらゆらと揺れる小さな火に身を任せて行動できる程に若くもないんだけどな。

 

「確かにちょっと涼しくなった気がします」

「今呼び出してるのは分体だから影響力も低くて、ちょっと森……んー、木陰とか、森の入口とか、そんな感じなんだろうけど、寧ろそれがいいんだろうね」


 ちょっとだけ森とは面白い。

 だが確かに、深い森の中は涼しくもあるが、体にまとわりつくような湿気によってかえって不快感か強いこともある。

 ちょっと涼しいけど、湿気は強くなく過ごしやすいこの環境は分体だからこそ、ということか。


「……あのー、一つ思いついたんですけど……」


 何となく気配を感じることができるらしいマリーが頭上の存在へとなんとか視線を向けようと四苦八苦しながら申し訳無さそうに口を開く。


「その、ドリアードさん?に店にずっと居てもらえれば、夏の暑い日でも涼しく過ごせるんじゃないでしょうか」


 ……その考えは無かった。

 確かに、ドリアードがいる場所が森となるのならば、ドリアードにずっと居てもらえれば此処は森と同じ状況になるわけだ。

 陽の光を木々によって遮られる森の中は外とくらべて格段に涼しくなる。

 そういう意味では建物の中でも変わらないかと思うところだが、森の中特有のなんというか、清浄な空気……とでもいうのか、単に涼しいだけのそれとは違う感覚が居心地の良さに拍車をかけている、気がする。

 チラリとアリアへと視線を向けると、同じくポカンとした表情を浮かべていた。

 単に居心地の良さだけのために精霊を呼ぶという事を全く考えた事が無かった、といったところだろうか。

 

「いやぁ、それは思いつかなかったなぁ。まぁできるならやっても良いんだろうけど、流石にアタシの魔力が足りなくなるかも」

「あぁ、そうでした。ちょっと思いついただけですので、その、無かったことにしてもらえれば……」


 ふむ、やはり精霊を呼び出しているだけでも魔力を消費するらしい。

 マリーの提案は普段から精霊に触れているアリアでも思いつかなかったような画期的な話だったのかもしれないが、可能か否かはまた別問題ということか。

 と、そんな事を思っていた時、マリーの頭上に居座っていたドリアードがふわりとその場から動き出す。

 精霊の考えを読み解くのは難しいとは思うが、あえて人の動作を基準に考えれば、ふわふわと浮かびながら店内を一通り回る彼女?の行動は品定めでもしているかのように思えた。

 

 一通り見回ったと思われるドリアードが再びアリアの前に戻ってくると、コクリと小さく頷き、不意にスッと姿を消してしまう。

 

 ……なんだ?

 

 何かアリアに言ったのだろうか、と視線を向けると、アリアは予想外にも驚いた様子で目を見開いていた。

 

「えーっと……その、なんか、この店気に入ったから、ちょっと根を下ろす、みたいな事言ってる、よ?」


 ……うん?

 いや、どういうことだ。

 どうもアリアはドリアードとは姿を見せていない時でも会話らしいことはできるというのは何となく察したが、その内容は理解出来ん。

 え、根を下ろすって、そんな簡単にしちゃっていいことなのか?


「……どういうことだ?」

「この店がドリアードの仮の住処になるって事、かな」

「ということは……?」

「アタシの魔力無しでも、暫くこの店はちょっと森って事になる、かも」


 そう伝えるアリア本人が困惑の色を隠せていないぞ。

 いや、アリアに限らずこの場に居る全員が困惑しているのは間違いないだろうが……マジか?


「えっと、その……この居心地の良い感じが暫く続くって事……ですか?」

「あー、うん、なんか、そんな感じ……っぽい?」

 

 なんとか状況を理解しようと頑張って言語化してくれたマリーが恐る恐ると言った様子で口にだすと、まだ確信が持てていないのか、返事をするアリアもしどろもどろだ。

 とはいえ、店に取って何が重要かと言われればマリーの言ったそれになるわけで、店としては有り難いの一言に尽きるだろう。

 

「まぁ何はともあれ、店の中が快適になるならそれに越したことはない。アリア、ドリアードにお礼を伝えておいてもらえると助かる」

「あー、もう既にお礼は要らないって言われてる。なんか凄い気に入ったみたいなんだよね、ここ」

「おぉぉ!精霊さんに認められた店って事っすか!それってすごくないっすか!?」

「すごい、かもね。ドリアードに限らず、精霊って結構気まぐれで、しかも気難しい所がある、みたいなのは聞いたことあるし、アタシもこんな事言われたの初めてだからびっくりしてるよ」


 なんというか、精霊とは人智の及ばぬ存在だと実感した直後だが、その気まぐれさも人智が及ばないんだなぁ。

 人の考え方で精霊の考えを読み解くのは難しいということなのかもしれない。

 精霊が居着いた事でどんな影響があるのかは、実際のところアリアも把握しきれていないのだろうとは思うが、こんな時に素直に良かった事を喜べるクロンの単純で前向きな考え方は有り難い。

 お陰で状況を悲観せずに見られる。

 

「えっと……何か私達がするべきこととかあるんでしょうか」


 おっとそこは聞いて置かなければならない部分だな。

 精霊に手伝ってもらうのだからアリアの魔力のような何かしら提供するべきものがあるのかもしれない。


「んー……店を綺麗な状態にしておいて貰えれば大丈夫、みたい」

「それだけで良いんですか?」

「ドリアードがそれでいいっていうんだから良いんじゃない?」


 そうあっけらかんと言ってのけるアリア。

 うむ、持ち前の切り替えの良さが発揮されているな。

 早くも大きな問題はなさそうだと判断したのか、先程までの困惑はどこへやらだ。

 

「よし、ならば俺達がやるべき事は一つだな」


 そう言って3人へと視線を巡らせると、俺に賛同するように小さく頷いてくれる。

 

「掃除、終わらせるぞ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る