第72話 鐘、魚、流通

 走る子馬亭の2階は全て宿用の部屋となっているが、大凡1年は放置されていたが故に汚れも大分凄いことになっていた。

 特にホコリ。

 1年程度でもこれほどまでに貯まるんだなぁと逆に関心してしまうほどに溜まりに溜まったホコリ。

 これを1日で綺麗にするのは多分不可能だろうなとは思うが、流石に何日も店を閉めておく訳にも行かないので、今日中にできるかぎりの事はやって置かなければ鳴らない。

 そのために活躍するのがこのアシッドスライム製の洗剤!

 以前酒場の清掃にも使ったものだが、やはりよく落ちる。

 備え付けのテーブルや窓、床なんかはこれだけで問題なく綺麗にできるが、布団だけはどうにかしないとだな。

 最悪、買い替えも考慮しつつ、今はホコリを撃滅することに注力しよう。

 と、不意に背後でドアが開く音がする。


「クラウスさん、そろそろ昼食にしましょう」

「ん?もうそんな時間か」


 スイスイと落ちる汚れに気分を良くして若干ハイなテンションになっていた俺にマリーが声を掛ける。


「ほら」

「あぁ、本当だ」


 そう言って耳に手を当てるマリーの動作に耳を澄ませると、カーネリアに唯一存在している神言教の教会に申し訳程度に付けられている鐘が小さいながらもしっかりとした音色で正午を告げていた。

 時間を実感すると急に疲れが出てくるもので、腕をグルグルと回すと肩からゴキッといい音が響く。

 

「よし、昼食にしよう。アリアとクロンも呼んできてくれるか?」

「もう既に下に居ますよ。クラウスさんが最後です」

「おっと、それじゃ急がないとだな」


 基本的に食事の用意は俺かマリーがすることになっている。

 クロンは……あれで案外料理の素養があるのか、ちゃんと教えればそれなりのものが作れるような気がする。

 薄皮包みもクロンがしっかりと再現してくれたから出来た事だしな。

 ただ、アリアについては料理は壊滅的だからな……。

 あいつ、今は一人で暮らしているようだが、朝食とかちゃんと取っているんだろうか。

 昼と夜はうちでまかない飯作ってるからそれで済んでいるんだろうが……まぁ銀翼の隼に入る前から冒険者やってたようだし、大丈夫だろう。

 多分。

 

 いそいそと酒場へと降りていくとそこには既に昼食の準備が出来上がっていた。

 マリーか。

 正直、昼食の事はすっかり思考の端に追いやられていたのだが、材料の買い出しも含め彼女がやってくれたのだろう。

 いやホント、こういう所に気を配れるのが彼女の素晴らしいところだなぁ。

 

「ししょー遅いっす!早く食べるっすよ!」

「いや、お前らが来るの早いんだって」


 正午の鐘はさっき鳴ったばっかりだぞ?

 既にテーブルについてフォークを片手にしているクロンが待ちきれないとばかりに料理に釘付けになっている横で、アリアは既に昼食のパンに齧り付いていた。

 ……少しは待とうという気は無いものか。

 

「あぁクラウス、先食べてるよ」

「見ればわかる。全員揃うまで待てんのか」

「料理はすぐに食べるのが正解って、クラウスが前に言ってたじゃん」

「ぐっ……それはその通りだ」


 変な所で口の回る奴だなぁ本当に。

 しかしアリアの言う事も尤も。

 俺も早速料理に手をのばす。

 

 朝食の際にまとめて焼いて置いた俺のパンに葉野菜とチーズ、そして厚めに切ったベーコンを挟んだもの。

 それになにやらきつね色に焼かれた謎の物体。

 んー、肉ではない、か?

 

「あ、それはお魚ですね」

「あぁ、魚なのか」


 カーネリアに来て魚を食べる事はそれほど多くなかったな、と思い起こす。


「干物……って感じじゃないが、生の魚が出てたのか?」

「そうなんです。珍しかったのでつい」

 

 カーネリアから馬車で南に2日程行くと小さな漁村が出来ているということで、比較的新鮮な魚が手に入る事は知っていたが、それでも多くは干物や塩漬けになっている事が多い。

 

「傷んでなかったのか?」

「はい、見たところ大丈夫そうでした。ただ、やっぱり早く食べないとかなと思ったので昼食に」

「なるほど」


 見れば綺麗に半身に捌かれている魚。

 俺は時々自分で魚を釣ったりして食べていた経験があるので魚を捌くのは問題ないが、マリーが魚を捌けるとは思わなかった。

 そのまま焼くとかならともかく、綺麗に背骨を外して半身にするのはそれなりに知識が必要だ。


「あ、売っていた方に捌き方と調理方法を聞いたんです。魚を半分にして塩を振ってから小麦粉をまぶしてバターで焼きました」

「確かに、バターのいい香りだ」


 うん、これは食欲をそそられる香りだ。


「それより、もう食べていいっすよね!」

「おぉ、すまんすまん。とりあえず食べようか」


 俺が言うやいなや、早速魚にフォークを突き刺すクロン。

 そのままがぶりと一口すると、耳と尻尾がぴょこぴょこと動き出す。

 あれは機嫌がいい時の反応、どうやら美味いらしい。

 俺もナイフで切り分けてから口にする。

 

 おぉ、たしかに美味い。

 

 魚のホロホロと崩れる食感が肉のしっかりとした噛みごたえとは違ってまた楽しい。

 魚を焼く時は大体皮ごと焼くんだが、そうしないと身が崩れてしまうという問題がある。

 が、これはフォークで刺しても崩れずにしっかりと身を保持できている。

 まぶした小麦粉のおかげかな。

 

「うん、美味い。魚料理ってのもいいなぁ」

「カーネリアではあまり見かけませんし、いいかもしれませんね」

「とはいえ、そもそも魚があまり流通してないってのが問題なんだがな」


 思わず夕食のセットメニューの事を考えてしまったのが口に出たが、マリーもそれを理解してくれたらしい。

 マリーが買ってきた物のように生の魚が出ている時もあるとは思うが、店のメニューとするならば安定して材料が入手できることは大前提だ。

 この味はやはり生のものを調理しないとダメだろうしなぁ。

 聞く所によれば南の漁村は比較的最近出来たということもあり、まだまだ道の整備が出来ていないらしい。

 馬車の轍があるおかげで道だとわかる程度らしく、そこがしっかりと整備されれば漁村からカーネリアまで1日ということも夢ではないかもしれない。

 そうなれば、生の魚でも痛む前にカーネリアに届くが……その辺は無い物ねだりだなぁ。

 

「ふー、食べた食べた」

「もう食ったのか、早いな」

「んー、なんか冒険者やってた時の癖が抜けないのかな。早く食べなきゃって感じでさー」


 俺もマリーもまだ半分も食べていないというのに、アリアは既に食べ終わったらしい。

 アリアの言う通り、食事時ってのは中々に無防備になりがちだから野営をした時なんかは特に急いで食べていたっけか。

 このパンに色々と具を挟んだ奴は昔からよく作っていたが、そう考えると食べやすさを見ても冒険者向けといえるか。

 なにせこれだけでパンと主菜とを一緒に食べられるんだからな。

 何となく店のメニューには加えていなかったが、冒険者向けの持ち帰り料理としては悪くないか。

 ふーむ、改めて考えると色々とメニューに追加できるような物ってのはその辺に転がってるもんだと実感する。

 自分ではそんなつもりは無かったが、心の何処かで今のままでもいいんじゃないか、という考えがあったのかもしれないな。

 反省しよう。

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