第69話 魔法、正体、見慣れぬ銀貨

 二人が調理に入ったことを見届けると、執事らしい男にカウンターの席を勧める。


「出来上がるまでには少々時間がかかりますから、こちらでお待ち下さい」

「お心遣い感謝します。それでは失礼して」


 そういってカウンター席に座る男の姿を改めて見る。

 うーん、どう見てもマリーが恐ろしげに話していた見た目と同一なんだがなぁ……。

 それを見たはずのクロンが全く動揺していないことが不思議でならない。

 というか、俺は彼をどこかで見たような気がするんだが……まるで霧の中を歩くように記憶の目的地へとたどり着けない。

 まるで何かの魔法のように……うん?魔法?

 

 まさかと思いつつ、俺は意識を集中する。

 体の中に流れる液体の様なそれを中心から外に向けてゆっくりと押し出すようなイメージ。

 インクの混じった水を内から溢れる澄んだ水によって桶の外に洗い流すように、純粋なそれに置き換わった事を感覚で理解すると、パシッと何かが弾けるような音とともに、これまでの霧中の情景が一気に晴れ渡った。

 

 そうだよ、魔族だよ、彼。

 

「おや、そちらも完全に抵抗されてしまいましたか」

「記憶阻害、かな?随分と高度な魔法だな」


 俺は魔法は使えないが、魔力は有している。

 その魔力を自分の中で循環させることで、自分に掛けられている魔法的な効果を洗い流す事が出来る。

 ヴィオラに教わった事だが、変なところで役に立つもんだなぁ。

 

 掛けられていた魔法は恐らく記憶阻害。

 掛けた本人に関する記憶を呼び起こすことを阻害する魔法だろう。

 そしてそちらも、と言うからにはもう一つ何か魔法を使っていたはず。

 マリーやクロンの反応を見るに、本人とは別の人物に見える認識変換、かな。

 クロンやマリーには彼の姿は別の、街中でも見かけるような見慣れた姿に見えていた事だろう。

 魔法の事は詳しくないが、多分認識変換の方は彼本人に掛けていたのだろうな。

 そういった魔法を見破るのは昔から得意だった。

 

 なるほどな、アリアが怪訝な顔をしていたのはこれか。

 彼女本人は魔法こそ使わないが、種族としては魔力に対する感受性が高いと言われているエルフだ。

 俺が何となく見破っていた認識変換の魔法に対しても、見破った上で何か魔法的なものを感じ取っていたのかもしれない。

 ともかく、アリアも俺と同じくヴィオラから魔法抵抗の技術を教わっていたはず。

 アリアに目配せをするとそれに気づいたのか、おそらくは俺と同じことをしているのだろう、目を閉じた。


 アリアが目を開けた時には俺たちに掛かっていたであろうその魔法の効果が無くなったことを感じ取ったらしく、少し口角を上げる彼。

 言葉は予想外、とでもいいたげだが、その表情は寧ろこの状況こそが正しいと思っているかのよう。


 霧の晴れた頭では、彼の事をはっきりと理解することが出来た。

 

 魔族。

 人よりも遥かに高度な魔法技術を有する、人とは別の種族。

 俺は確かに彼に会ったことがある、はず。


「少々干渉させて頂いたこと、お詫び致します。わたくしの姿は街の皆様には恐ろしく映るかと思いましたもので」


 そう応える彼の言葉に嘘は無いと判断する。

 実際、人と似た姿でありながら人とは違うというその姿は逆に異形のモンスターよりも恐怖を覚える事もあるだろう。

 混乱を避ける為に認識変換の魔法によって己の姿の見え方を変えるというのは理解出来るところだ。

 何より、彼にはここで何かをしようという気配が全く無い。

 そもそも何かするつもりなら最初から行動に移しているだろうし。

 アリアもその事を理解しているらしい。

 警戒はしつつも特に手を出そうという気配はないな。

 

「理解はするよ。多分、本来の姿だとクロンは逃げ惑っていただろうし。まぁタイミングが悪かったのもあるが」


 恐らく、マリーが語っていた悪魔、というのは魔族の事なんだろう。

 人と魔族は昔……それもかなり昔に争っていた事があるという。

 地域によっては未だに魔族は恐ろしいものだという事が伝わっているということなのかもしれない。

 

「感謝致します」

「お客様には親切にするものです。それよりも、何処かで会ったことがあるはずなんだが思い出せない。まだ記憶阻害を掛けてるのか?」

「いえ、貴方にかけていた記憶阻害は完全に抵抗されてしまいました」

「……単純に忘れただけか」


 現在、魔族の大部分はこの大陸とは別の大陸にて暮らしているらしい。

 この大陸の中では人の街の中で見るエルフ以上に稀有な存在となっているはず。

 そんな彼ら魔族を見かけたとなれば覚えているものだろうと思うのだが……何故か思い出せない。

 何かもっと衝撃的なものがあってそちらに記憶の棚を占領されているのかもしれないな。

 アリアは何か覚えているかと視線を向ければ、彼女も小さく首を横にふる。

 

「しかし、こんなところで魔族と会えるとはなぁ。世の中分からんものだ」

「はい、わたくしも貴方がたにこの様な場所で出会うとは思ってもおりませんでした」

「む、その口ぶり、やっぱりどっかで会ってるよな」

「一度だけ。詳しくは申し上げませんが」

「それを聞きたかったんだが……まぁいい。今はただの店員とただの客……ですよね」

「はい、その通りです」


 まぁ色々とモヤモヤすることはあるが、相手も特に危害を加えようという気配も無いし、俺も別にそこまで追求しようと思っているわけでもない。

 言葉通り、店員と客の間柄、それだけで十分だ。

 

「できたっすよ」


 俺と彼とで一通り話が終わったところで厨房からクロンが顔を出す。

 ふわりと漂うバターと砂糖の甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 うーん、この匂いを嗅ぐと食べたくなるよなぁ。


 匂いの元へと視線を向ければ、クロンの後ろから小さなバスケットを抱えたマリーが出て来るところだった。


「持ち帰りということでしたので紙で包んでみました。これで大丈夫でしょうか」

「はい、お心遣い感謝いたします。代金はこちらでよろしいでしょうか」


 バスケット一杯に入った薄皮包みをバスケットごと受けとると、彼はマリーに1枚の硬貨を手渡す。

 キラリと銀色に光るそれを手に、手渡されたマリーとそれを覗きこんだクロンがそろって首を傾げた。

 あれは……マハモディ銀貨じゃないか。


「申し訳ありません、こちらの国の硬貨は持ち合わせておりませんでしたもので」


 マリーとクロンの反応を見たからか、彼は言葉通り申し訳なさそうに頭を下げる。


 マハモディ銀貨とはまた珍しいものをもって来たものだ。

 東に接する国から更に一つ国を跨いだ先にある、とある国で使われている貨幣、だったはず。


「初めて見ました……どこのお金なんですか?」

「かなり東にいったところにある国だね。少し前にクラウス達と行ったことがあるよ」


 マリー達と同じ様にマハモディ銀貨を覗き込むアリアが答える。

 あの時は何か大きな依頼を受けていたと思ったんだが……うーん、なんだったかなぁ。

 当時はやたらと依頼を受けまくっていたからよく覚えてないな。


「ここからだとかなり遠いですが……まさか、わざわざそこから買いに来たのですか?」

「いえいえまさか。こちらに所用がありまして。その際に我が主が薄皮包みの事を耳にしたのです」


 所用のついで、とはいうが、そもそもここまで来るのも相当時間が掛かるはず。

 どんな所用なのかを聞くつもりはないが、ずいぶんとご苦労な事だなぁ。


「それで、いかがでしょう。こちらの貨幣では」


 うーん、俺も持った事は一度しかないからうろ覚えなんだが……たしかマハモディ銀貨はこちらで言えば大銀貨に当たるはず。

 価値としては……大銀貨に対して半分くらいだったかなぁ。

 そのままでは使えないので両替する必要があるが……両替手数料無しで交換できたとして小銀貨5枚。

 手数料込みで考えても十分すぎる金額だが、問題は交換できるかだな。


 使える国がかなり遠いのでカーネリアの両替商は交換したがらないだろう。

 というか、もしかしたら見たことが無いのもいるかもしれない。

 この辺だと南北の国の貨幣を見るか見ないか、程度だろうし。


 うーん……どうしようかなぁ。


 単なる銀の塊として売り払うのも手だが、貨幣を溶かす行為は罪にあたるからなぁ。

 外国の貨幣なら大丈夫か?

 うん、わからん。


 そんな感じでうんうん唸っている俺と少々困ったように視線を落とす彼。

 そこに一つ女声が混じる。


「いいじゃないですか、クラウスさん。折角買いに来てくれたんですから。それに、ただで貰おうっていう話じゃないんですし」


 まぁ、確かに、マリーの言うとおりか。

 仮にマハモディ銀貨を両替できなかったとしても、これ一つで店がどうこうなる話でもない。

 それに商業ギルドに持ち込めばどうにかなるかもしれないしな。


「わかりました。こちらを頂きます。薄皮包みの代金としては頂き過ぎではありますが」

「いえいえ、我が儘を聞いていただいたのはこちらですので。それでは、わたくしはこれで失礼致します」

「「「「ありがとうございました」」」っす」


 入り口の向こうに消えていく背中に4人で頭を下げる。


 双新月の夜には悪魔が出る、か。

 あながち、迷信でもなかったのかな。


「さて、どうせ今日はもう客も来ないだろうし、少し早いが店を閉めて夕食にでもするか」

「賛成っす!お腹減ったっすよー」

「お肉っ!お肉がいいなー!」

「お前ほんとエルフらしくねぇなぁ……」

「それじゃ入り口のプレート変えてきますね」


 客が全く入っていなかった時は、それでも店を開けておかなければならないような気がしていたのだが、一人でも客が入るとそんな気も一瞬でなくなるものらしい。

 それは他の面々も同じだったのか、俺の提案に早々と動き出す。

 まぁたまにはこんな日もあってもいいかもしれないな。

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