第53話 甘味休憩、真意、面倒な人
うーん、と首をかしげていると、唐突にふわりと甘い匂いが厨房から漂ってくる。
てっきりお茶を淹れに行ったのだと思っていたのだがこの匂いは……。
「はい、焼けたっすよー」
そういってクロンが持ってきたのは薄皮包み。
屋台用の巻いたものではなく最初にクロンが作ったような平たく畳んだものだ。
あの……砂糖、高いんですけど?
「疲れた時は甘いものが疲労回復にいいんだぞ!ってクラウスさんが言ってたんすよ?」
「いや確かに言ったがな……」
俺の視線が何を言わんとしているのか理解した上で悪びらずに言ってのけるのがクロンらしい。
「すみません、私が疲れたって言ったものですから」
そういって申し訳無さそうに顔を出すマリー。
ニコニコと満面の笑みで皿を並べ始めるクロンになんだか詰まった思考が洗い流された気分だ。
まぁ、たまにはいいか。
「へぇ、これが噂の」
「エリーさんの分もあるっす!食べるっすよね?」
「勿論いただきますわ。雪解けの祭りでは店の者に買いに行かせた時には既に売り切れていたので食べそびれましたの」
「あー、それはすまなかったな」
あれは俺の思った以上の売れ行きだったのと、クロン達祈り子の出番が終わった直後に見物客が押し寄せたお陰であっという間に材料が無くなってしまったんだった。
来年は……同じ薄皮包みにするかは分からんが少し多めに作ろうかな。
「時期には少し早いですけど、アプリコットが出ていたので今日はアプリコットを包んでみました」
「ボクは勿論バンナの実っす!」
クロンのバンナの実好きはもはや筋金入りだなぁ。
アプリコットは昨日食材の仕入れに行った際にマリーが買っていた奴か。
マリーの言う通り時期的には少し早いので多少酸味がキツイかもしれないが、薄皮包みならば逆にいい刺激になるかもしれないな。
コポコポと音を立ててマリーが茶を淹れてくれると、待ちきれないとばかりに既にナイフとフォークを手にしたエリーが意気揚々と手を伸ばした。
「早速ですがいただきますわ」
すっと通るナイフの感触に一瞬驚いたように手を止め、次いで重ねないとフォークでさせないと判断したのか大きめに切るように軌道を変更するエリー。
細かく切ったアプリコットと共に生地を重ねて折りたたむと上品な仕草でパクリと一口。
「……予想以上ですわね」
「ふふーん!」
一言そうポツリと呟くエリーに自慢げに胸を張るクロン。
うむ、これに関しては胸を張っていい。
まぁこれだけ砂糖をガッツリ使っているのだから美味くなくては困るんだが、それを考慮しても本当に美味いと思うよな。
次いで俺たちも薄皮包みにナイフを入れると暫しモグモグ期間。
あぁ、アプリコットも悪くない。
酸味がどうなるか若干心配だったところはあるが、全体的に甘い薄皮包みにはむしろこれくらいの酸味が合った方が美味いな。
クロン……はいつものバンナの実だから置いといて、マリーもうんうんと小さく頷いている。
このアプリコットで問題が無いとなると、果実類が乏しい冬場以外はいつでも出せるな。
ちょっと高いが……本格的にメニューに追加することを検討したほうがいいかもしれないなぁ。
そうこうしている間に一皿ぺろりと食べきったエリーがハンカチで口元を拭いながらハフと一息つける。
「やはり、こうあるべきですわね……」
その一言で思い出す。
そういえばエルトワールケーキを食べたマッケンリーも同じ感想を述べていたな、と。
俺はマッケンリーの口に合ったと、そういった意味だと解釈したのだが、エリーも同じ様に口にするとなるとそれは違った意味を持つ言葉なのか?
「マッケンリーも同じことを言っていたが……どういう意味なんだ?」
「そうですわね……わたくしとお兄様の本当の目的、とでもいいましょうか」
「ふむ」
こちらも薄皮包みの最後の一欠片を飲み込み、マリーの茶で口をさっぱりさせると改めてエリーへと視線を向ける。
マリー、そしてクロンもこれから話されるであろう事の重要さ……とでも言うべきか、空気が変わったことを察したのか手を止めている。
「カーネリアは食材に関しては非常に恵まれた場所ですわ。周囲は肥沃で平坦な土地が広がり、近くには豊かな森もある。少々離れますが南に行けば海もありますわ」
確かに、カーネリアは食材に限定して言えば、下手をすれば王都よりも充実しているかもしれない。
内陸に位置する王都では海産物は干物といった形でなければ手に入らないし、人口が多い故に食材の消費量も多く、そのため価格も高めだ。
「交易商も多いですし、色々な地域の食材も見かけますね」
「バンナの実も買えるっす!」
そこも大きい。
王都からフォートサイトへの通り道になっているし、南からリンドベルグ辺境伯領に入るための通商路にもなっているらしい。
露天通りにいくつものテントが所狭しと並んでいる風景は圧巻だった。
「そうであるにも関わらず、カーネリアの食事というのは全く成長してきませんでしたわ」
「……少なくとも、眠る穴熊亭の料理は美味かったと思うぞ?」
あれで成長してないと言われると自信をなくすレベルで美味かったと思うのだが、エリーの言う事はそういう意味ではないのだろうか。
「確かに、自画自賛になりますがウチの料理はどれも自慢の一品ですわ。でも、少なくともわたくしが覚えている限り、新しい料理というものはありませんでしたわ」
そういえばリカルドと共にマッケンリーがエルトワールケーキを口にした時、そんなようなことを言っていたな。
あれは単純にエルトワールケーキに似た料理がカーネリアには無いという話だと思っていたのだが、もっと根深い話だったのか。
しかし何故……と思考を巡らせたところで、元々何の話をしていたのかを思い出す。
パンの不文律をどうにかしようとしていた話だが……なるほどな。
「パンの不文律を撤廃しようと思ったのはその打開、ということか」
「ふふっ、その通り。さすがわたくしが見込んだ男ですわ」
優雅にカップに口を付けながらエリーが笑みを浮かべる。
うむ、どうやら正解だったらしい。
同じく話を聞いていたマリーは暫く思考した後、合点がいったというように大きく頷く。
そういえば、先日マッケンリーが一人で来た際にもパンについての話をしていたな。
マリーの答えた問題点、正しくそれがマッケンリーの懸念だったのだろう。
「……話が繋がらないっすよ?」
対するクロンは一人でずっと首をかしげている。
まぁこれは実際料理を作る側でないとピンと来ない話かもしれないしな。
「えっと、カーネリアの黒パンは固くて食べづらいでしょう?だからどうしてもパンに合う料理というのが限られてくるの」
「あー、確かに何かに浸けて食べないと固くて食べられないっすもんね」
「そうね。だからあのパンが変わらない限り新しい料理が生まれにくい状況だったんだと思う」
「はぁ~なるほど~」
マリーの説明を聞いたクロンが腕を組みながらうんうんと頷いて見せる。
……あの顔は半分くらいわかってないな。
まぁ詳しいことは分からなくても問題なし。
「しかしだ、エリーとしては撤廃するに越したことはないのだが、マッケンリー……というよりも商業ギルドが乗り気だったのは良くわからないな」
新しい料理を作れないのは飲食関係にとっては大きな問題だろうが、そこにマッケンリーが絡んでくる理由が良くわからない。
例え低品質な黒パンであろうとも金が回ればそれで問題が無いはず。
そう疑問を投げかければ、エリーはクスリと小さく笑った後、わざとらしいため息をついた。
「あら、見込み違いでしたからしら?」
「あんまり期待されても困るからな」
実際、そういう裏の話はただの酒場のマスターの俺のような相手にする話じゃないだろう。
それにあんまりそういう話に巻き込まれたくはないので、期待外れくらいが丁度いい。
「クラウスは冒険者が街に立ち寄ったら何をすると思います?」
その問に一瞬ドキリとする。
まさかエリーにまで俺の素性がバレているのではないかと思ったが、質問の内容的には冒険者の行動を予測しろ、ということだから……多分大丈夫だ。
問に対してこれまでの自分の行動を思い起こす。
えーっと……。
「そりゃ飯食って道具補充して……あとは寝るくらいか」
「では、その食事があまり美味しくなかったら?」
「……準備が整ったらさっさと次の街に行くだろうな。あぁ、なるほどな。冒険者の滞在期間が短いのか、カーネリアは」
冒険者にとって街の滞在というのは装備の補充や依頼の受注といった面の他に、休息という面が存在する。
冒険で疲れた体を休めるために食事や宿には金を惜しまない冒険者も一定数いる。
現に俺も街に入る際には、どんなものを食うのかを楽しみにしていたところがあるからな。
「フォートサイトが出来るまではここが最前線でしたから、ここに滞在せざるを得なかったのでしょう。大きな問題になることはありませんでしたわ。けれど、フォートサイトが出来た事でカーネリアに滞在する理由がなくなりましたわ。そこに美味しくない料理となれば……あとは言わずもがな、ですわね」
なるほどな。それは大きな問題だ。
更に言えばそれは冒険者にとどまらない話。
交易商なども、どうせ商売をするのならば勢いのあるフォートサイトへと向かうだろう。
その途中でカーネリアによることになるだろうが、そこの飯がまずければ本来の目的地にすぐにでも出発しようと考えてもおかしくはない。
……ということはだ、逆を言えば冒険者にせよ商人にせよ、まずい飯が改善され、それが逆に魅力になればカーネリアに滞在するだけの理由になり得る。
勿論飯が美味いというだけで長期間引き止める事は難しいだろうが、それでも今よりはずっとマシだ。
はぁ~、なるほどなぁ……。
今回のパン騒動、全てが全て彼らの手の平の上というわけではないのだろうが、凡そ彼らの思惑通りに事が運んだ、ということになるのか。
人の手の平の上で踊らされるのはあまりいい気分ではないが、結果として自分に取っても悪くない状況になったのだしその辺は気にしない事にしよう。
「それにしても……そこまで考えていたとはな」
「正直に申し上げれば、わたくしはそこまでは考えておりませんでしたわ。あの不文律は目障りでしたけれど」
「黒幕はマッケンリーということか」
「散々な言われようですわね……。そんなにお兄様がお嫌い?」
「いや……そういうわけではないんだが……」
嫌いか、と言われると別に嫌いではない。
が、なんというか、こう、癪に障るというか……良く分からんがそういう感じだ!
上手く言葉に出来ずに黙り込むと、エリーがやれやれといった様子で肩をすくめた。
「全く、男というのは本当に面倒。マリーも大変ですわね」
「もう慣れましたから」
いやいやマリーさん、それは男がというよりも俺が面倒だって話になってませんか?
俺、面倒くさいのか……?
「さて、わたくしもそろそろ帰りますけれど、お兄様から伝言を預かってますわ」
「嫌な予感しかしないんだが?」
「そんな態度だから面倒だと思われるんですよの?」
マジか。
慌ててマリーへと視線を向けると、スイと視線を逸らされた。
……マジかぁ。
「んん!えー、その伝言とやらは何かねエリーくん」
「今更取り繕っても遅いですわよ。まぁともかく、手が空いた時に商業ギルドに来るように、だそうですわ」
「……ギルドに、か」
このタイミング、考えられるのは二つ。
パンの件か、ギルドへの再加入の期限。
パンの件は呼び出すには少し間が空きすぎた感はあるし、なにより走る子馬亭だけの話ではない。
となると、やはり再加入の期限か。
そう頭によぎると、不意に言いようのない不安が込み上がってくる事に自分で気づく。
「とりあえず伝言は伝えましたわ。では御機嫌よう」
俺の思いをよそに、そう言うとスタスタと店を去っていくエリー。
走る子馬亭はエリーの眠る穴熊亭にとっては商売敵になるのだから仕方ないとは思うが、随分とあっさりとした去り際。
もう少しこう、頑張ってこい的な激励の言葉くらいあってもいいもんじゃないかと思うが……。
もやもやとする気分のまま、エリーの消えた入り口をぼんやりと眺めていると、隣のマリーのクスリと笑う声が聞こえた。
「エリーさんらしいですね」
「何がっすか?」
「エリーさんもこれから色々と忙しくなるはずなのに、わざわざお店に足を運んでくれたから。きっと、心配してくれているんだと思うよ」
何が男は面倒くさいだ。
お前だって相当面倒くさいじゃないかエリー。
思わず吹き出しそうになるのを必死に堪えると、ふと、胸の奥で燻っていた何かが少し、軽くなった気がした。
全く、本当に面倒くさい奴だな。
「さて、その話はともかく、夜の準備だ」
「はい」
「了解っす!」
四人分の食器を片付けるマリーの背中を眺めながら、来るべき日が来たのだなと、そう実感していた。
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