第52話 人手不足、種明かし、掌握
粗方の客が帰った頃、漸くエリーのエルトワールケーキを出すことができた。
給仕に関してはマリーとクロンの二人で十分回るのだが、情けないことに厨房を俺一人で回すことができていなかった結果だ。
これも予想していたシチューや豆のスープの注文がそれほど多くなく、それ以外の料理が多く注文されたことによる弊害だな。
作り置きしている汁物なら盛るだけでいいからなぁ……。
「お待たせしました」
「急ぎませんとは言いましたが、随分とかかりましたわね」
コトリと音を立てて焼き立てのエルトワールケーキを載せた皿をカウンターに置くと、まさしく待ちくたびれたと言わんばかりに呆れた顔のエリーがじろりとこちらを睨めつける。
「この後、宿も再開しようというのでしょうにこの体たらくでどうなさいますの」
「ぐ……返す言葉もない」
実際かなり待たせてしまったからな。
今日のような状況ではマリーには厨房に入ってもらう方がいいかもしれないが……そうなると今度はクロンの負担が大きすぎる。
特に、今日は冒険者自体が少なかったのか、道具の販売や冒険者向けの依頼の受付は一件も無かったが、これで依頼の受付や道具販売も混ざってくると考えると……うん、無理だな。
早急に人手を確保する必要がある。
……というか、道具の販売を再開したのはある程度酒場の客の流れが把握できた事で、3人いればまぁなんとかなるだろうという判断での再開だったのだが、まさかこんな事になるとは想像もできなかったぞ。
「あら美味しい。なるほど、お兄様のお気に入りになるわけですわね」
俺がそんなことを考えているうちにエリーはさっさとエルトワールケーキにナイフを入れていた。
うん、料理は冷める前にが鉄則。それは正しい。
ポツリと呟くようにマッケンリーのことを口にするエリー。
そう言えば、この間リカルドと来た時にもこれを注文していた上に、料理が運ばれるやいなや、リカルドの会話も無視してそそくさとナイフを入れていたな。
……ふふふ、マッケンリーの弱み、握ったかもしれんな。
「ありがとうございましたっす!」
エリーとそんな会話をしているうちに、どうやら残っていた最後の客が帰り支度を始めたようで、クロンが元気よく頭を下げている。
「また来るよクロンちゃん。マスター、今度はパンの持ち帰りも考えておいてくれよ!」
「可能な限り早く対応したいと思っています」
「そうしてくれ!そうじゃないと、あんただけ食べてくるとか狡い!ってうちの嫁が煩いんだ」
「それは急がないとまずいですね」
「俺の家庭崩壊の危機なんだ、早めに頼むぞ!それじゃごちそーさん」
「ありがとうございました」
「また来てくださいっす!」
ブンブンと元気よく手と尻尾を振るクロンと小さく頭を下げるマリー。
エリー以外の客が全員帰ったし、そろそろ昼の営業時間も終了かなといったところ。
そのエリーは噛みしめる様にゆっくりとエルトワールケーキを口にしている。
いや、どちらかと言うと味を確かめている、と言ったほうが正しいか。
仲良くしてはいるがエリーとは商売敵であることは間違いないからな。
「……わたくしももっと考えなければなりませんわね」
それほど大きくはないそれを完食すると、ポツリとそう零す。
眠る穴熊亭には数回足を運び、その都度違う料理を注文してみたが、そのどれもが完成していると言っていいレベルの料理だった。
目標にしている客層が違うので一概に比べられるものではないが、料理の質という面だけで見ればウチよりも数段格上と言ってもいい。
それであるにも関わらず、こうして更にその先を目指す姿勢は素直に尊敬出来るところだ。
「そういえばエリー。パンの件、お前も絡んでるんだろ?」
最終的にはリカルドが動いたことで自体が進んだのだが、その前段階として、俺のパンが広まったことが一つの要因となっているのは間違いない。
そして元々は、それはエリーの依頼から始まったものだ。
絡んでいない方がおかしい。
「言ったじゃありませんの。時期が来れば自然とわかる、と」
「それだけじゃ答えにならないんだがな」
別にエリーを責めるつもりは毛頭ないのだが、やはり気になることは気になる。
それは俺だけというわけでもないらしく、パンの話をし始めればマリーとクロンもソワソワとしながら耳をそばだてている様子。
チラリと店内を見回すエリー。
それに気づいたマリーがすぐさま店のプレートを準備中に変えるために動き出した。
よく理解してないクロンはエリーの視線の先を追いかけるようにキョロキョロしてるだけだが。
マリーが戻るのを確認すると、はふ、と一言息を吐き出し、エリーが口を開いた。
「正直、今回の件は上手く行き過ぎましたわね」
「リカ――領主代行様か」
「えぇ、まさか領主代行が入れ替わるとは思ってはおりませんでしたもの」
「ということは、やはり目的は元からこれだったのか」
「実際はもっと時間がかかると思ってましたけれど」
これは話が長くなるなと思ったのか、マリーが厨房に入っていくのが見えた。
恐らくはお茶でも出してくれるのだろうな。
その後ろをクロンが慌ててついていく。
そんな二人のことは気にせず、エリーが続ける。
「この街のパンは本当によろしくありませんでしたわ。それはクラウスも知っている事でしょうが」
「まぁ、正直に言えばな」
「ところが、この街で生まれた者の多くはそれに疑問を持っておりませんでしたの」
生まれた時から既にその様な状況になっているのであれば、それは常識だと捉えてしまう事も致し方なし。
冒険者の往来が激しかった昔ならばいざしらず、冒険者の往来数が下降線をたどる今では気づく事もままならない、か。
「わたくしやお兄様はずっとおかしいと思っていたのですけれど、それは所詮個人の考え。それだけで変革が出来るわけではありません。街の皆が共通して、このカーネリアのおかしさに気づかなければなりませんでしたわ」
「それで俺のパン、か」
普段自分達が当たり前だと思って食べていたものが、その実低品質なものだったと気づいた時、それは大きな衝撃となって街全体に伝播する。
図らずして、俺の作ったパンはその役目を果たしていた、ということか。
「まぁ、少々劇毒過ぎたとは思いますけれど」
「人の作るパンを毒物扱いしないでもらいたいんだが」
と、そう返したところで、先日リカルドに同じ様な返事をされたな、と思い出し思わずクスリと笑みがこぼれてしまった。
「どうかなさいまして?」
「いや、気にしないでくれ。で、俺のパンによってカーネリアのおかしさとやらに気づいたとして、その後はどうするつもりだったんだ?」
気になっているところはいくつかあるが、まずはそこをスッキリさせておきたい。
仮にリカルドという存在が現れなかった場合どうなっていたのか。
変なことに頭を突っ込んで居なかったのならいいんだが。
「正直、なにか具体的な手を打つ、というところまではわたくしもお兄様も考えておりませんでしたわ」
「おいおい、そんな行き当たりばったりな物に巻き込まれてたのかよ……」
変なことどころか、真っ暗なダンジョンに松明無しで突入していたとは思わなかったぞ。
まぁそれでもこちらに被害が無いように立ち回るつもりではあったんだろうが……いや、実際先日は下手したらウチでパンが売れなくなるところだったぞ?
なんというか、とんでもないキレ者なのか考えなしの阿呆なのか分からんくなるぞ、ローガン兄妹。
「まぁ、クラウスのパンはいわば撒き餌の様なものですわ。美味いパンがあるのに満足に食べられない。それはあの不文律があるからだ。そう意識を誘導する事こそが目的でしたもの」
「で、その不満を突っついてやれば自分達の思うように動かすことが出来る……ってな思惑なわけか」
「あら、まるでわたくし達が悪徳貴族かの様な物言ですわね」
「あながち間違っちゃいないだろうが」
人心掌握もお手の物って事かい。
前言撤回。
やっぱおっかねぇわローガン兄妹。
まぁ結果として、俺とマリーとしても目の上のたんこぶ状態だったパンの不文律が撤廃されたのだから万々歳ではある。
しかし気になるのはそこだ。
パンの不文律の撤廃が目的だったのだとして、エリーがそれを望むのはわかる。
が、マッケンリーとしては大きく問題になることではない様にも思えるのだが……。
勿論、眠る穴熊亭と関わりが無いわけではないのだから手を回すくらいのことはするかもしれないが、俺のパンを普及するのに商業ギルドも関わっているということが公になれば、商業ギルドの信頼が揺るぐ事になりかねない。
マッケンリーともあろう者がそれを理解していない訳がないのだから、そのリスクに合うリターンは何なのか、それが分からん。
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