第51話 後始末、変革、仕掛け人

 リカルドは間違いなくリンドベルグ辺境伯の嫡男であり、俺が想像した以上にちゃんとした領主代行だった。

 それを、僅か2日の間にまじまじと実感させられることとなった。

 

 先日の一件の翌日にリカルドの名でパンの販売に関する不文律を撤廃する旨が統治局から通達されると、更にその翌日には街の中央広場にてリカルド本人による就任の挨拶が行われた。

 その中でもパンに関する話がなされ、通達のみでは半信半疑だった住民たちも信じざるをえない状況にあっという間に持っていってしまったのだ。

 

 不文律の面倒なところは法として明文化されているわけではなく、ある種の習慣の様に浸透していることだ。

 それは長い年月の中で住民に広く浸透し、生活の一部となっていく。

 それを覆すことは、長く街に住む人間であればあるほど難しくなっていくものだ。

 事実、商売について領主代行に次ぐ権力を保有しているであろうマッケンリーですら簡単に手を出せるものではなかった。

 それを覆すためには、彼以上の権力を持ちつつ、このぬるま湯の外に居た人間が必要。

 偶然……なのかもしれないが、リカルドがカーネリアの統治局に領主代行として赴任したのはまさに絶好の機会だったのだろう。

 

 マッケンリーのサポートもあったのだろうが、こうしてパンの不文律の撤廃は少々の混乱と大きな期待と共に受け入れられ、そして走る子馬亭はこの有様というわけだ。

 

「こっちパンとシチュー!勿論クラウスのやつで」

「こっちにも同じものを頼む!」

「こっちは香草焼きとパンを2つずつだ」

「順番で伺うっす!少々お待ち下さいっす!」

「パンは持ち帰りできないのかしら?」

「すみません、暫くは店内での食事のみでお願いします」

「シチューと香草焼き出すぞ」

「今持っていきます!」


 こんな感じの忙しさは開店当初の地獄の三日目以来だ。

 その時と違うのはクロンが居ることと、ある程度こうなることを予想して多めにシチューを作っておいた事でマリーが給仕に専念できていることだろう。

 

 店内をひらひらと舞うスカートが2つ。 

 元々給仕を努めていた事もあり、マリーの動きは無駄がなく美しい。

 元気いっぱいに動き回るクロンもそれはそれで魅力的なのだが、マリーのそれとは対局的にあって、それが逆にギャップになっていていい。

 

 うーん、こうして見るとマリーには給仕に出てもらう方がいいのかもしれないなぁ。

 

 そんな事を思いつつ出来上がった料理をカウンターまで持ってくると、普段は厨房に入っていることが多いマリーが珍しいのか、時々男どもの視線がマリーを追いかけるのが目に入った。


 ……やっぱり厨房に入っててもらうか。


「どうかしましたか?」


 料理を取りに来ていたマリーが不思議そうな顔で俺を覗き込む。

 いかん、顔に出ていたか。

 

「いや、料理の研究頑張らないとだなと思ってな」

「そうですねぇ」


 俺のパンを堂々と店に出せるようになったのもあり、いつもは圧倒的人気だったシチューが少し下火になりつつある。

 香草焼きはともかく、酒の肴のつもりで入れていた腸詰めなんかも出るようになったのはある意味誤算だ。

 パンの人気は暫く続くとは思うが、パンだけでやっていける程甘くはないだろう。

 特に、近い内に美味いパンを自分のところで焼き始めるだろう眠る穴熊亭は目下最大のライバル。

 勿論他の酒場だって負けじと色々と工夫を凝らしてくる事は今からでも容易に予想できる。

 パン一つが変わっただけで多くの変化が生まれるとは思っても居なかったなぁ。

 

「まぁそれは後々だ。とりあえず今はこの状況を捌かないとだな」

「はい。あ、香草焼き2つ入りましたのでお願いしますね」

「了解」


 この調子だと昼の営業だけで肉が無くなりそうだな。

 休憩中に新しく仕入れに出かける必要がありそうだ。

 

 マリーが料理を両手にテーブルへと向かった事を確認し、まだまだ詰まっている注文を片付けるために厨房へと戻ろうと背を向けたところで、賑やかな客の声が聞こえてくる。

 後ろを振り返れば、マリーが料理を運んだテーブルからのようだ。


「そういやマリーちゃんは聞いたかい?領主代行の演説」

「いえ、私はお店がありましたので」

「そりゃそうか。放蕩息子だなんて噂を聞いていたからどんなもんかと思ったが、いやーあれは大したもんだな」

「おいおい、領主代行様に向かって大したもんだとは随分偉くなったもんだな?」


 テーブルには数人の男たち。

 確か木工ギルドの面々だったか、最近になって同じ職場の者と一緒によく顔をだすようになった気がする。

 仲間内の一人が領主代行を褒める言葉に茶々を入れると、もう一人がすくっと立ち上がり、大げさな身振りをしながら声を張り上げた。


「この街は良い街だが、しかし問題も多い。私はこの街をより良い街にするため、それらの問題の尽くを解決することを約束しよう!その一歩は既に踏み出している!まずはパンだ!統治局からの通達の通り、悪法たるその不文律を無効としよう!」


 あれは多分リカルドのマネ……なんだろうな。

 直接見ていないのだが、まぁそんな感じの言い方をしそうだなと予想は出来る。

 それが思ったよりも似ていたのか、周りの客もやんややんやと騒ぎてていた。


「新しい領主代行なんて聞いた日にはどうなるものかと心配だったが杞憂だったな!お陰でこうして美味いパンがたらふく食える!マリーちゃんもそう思うよな!」

「はい。私達としてもありがたい事です」


 酒は飲んでいないはずなのに大分酔ってるなあいつら。

 酒ではなくこの状況に酔っているんだろうが。

 その酔っぱらいに捕まってしまったマリーも上手いこと躱している。

 酒場の娘は伊達じゃないなぁ。


 そんな店内の喧騒の中、カランと鳴るドアベルと共に、聞き慣れた声が耳に届いた。

 

「これはまた……随分と賑やかですわね」

「エリーさん!いらっしゃいませ!」

「御機嫌よう、マリー。カウンター席、よろしいかしら」

「はいどうぞ」


 酔っ払い共から逃げ出す丁度いい理由が出来た事をマリーが逃すはずもなく、真っ先にエリーの元へと駆け寄っていく。

 まぁ連中の事がなくとも真っ先に駆け寄りそうではあるが。


 エリーとは、街でばったり出会ったりすればそれなりに話し込む事もある程度には親密にさせてもらっているのだが、エリーからこちらに顔を出すことは稀だった。

 それが今日こうして顔を出すのは……はやりパンの事なんだろうな。

 

「あまりに忙しそうであれば手伝おうかと思いましたけれど、大丈夫そうですわね」


 席に着いたエリーが店内を軽く見回しながらそんなことを言う。

 そういえば、あの地獄の3日目もこんな感じの忙しさだったが、あの時はエリーに手伝ってもらったんだったな。

 勿論忙しい事は忙しいのだが、持ち前の身軽さと明るさでサクサクと客の注文をさばいていくクロンのお陰であの日のような切迫した自体には至っていない。

 

「どこぞの誰かのお陰でな。クロンはよく働いてくれているよ」

「全く……貴方もお兄様ももう少し素直になればよろしいのに」

「余計なお世話だ」


 感謝しているのは本当だが、なんというか、こう、面と向かって言うのは癪なんだよな。

 そもそも、向こうが手を回したのは自分だと言ってこないのだから、俺から言う義理もないというもの。

 うん、そうそう、そういうことだ。

 

「男というのは面倒くさいですわねぇ」

「ほっとけ。それよりご注文は?」

「そうですわね……エルトワールケーキを頂けますか?」

「了解、他の料理も溜まってるから少し待ってください」

「急ぎませんことよ」


 余裕のある様子でそう答えるエリー。

 まぁただ単に食事に来たということではあるまい。

 彼女の言う通り、手伝いに来てくれたのもあるのだろうが恐らくは視察、だろうな。

 パンの販売が自由になったことでどれだけの影響が出ているのか、確認しに来たのだろう。

 俺のパンはエリーにも食べてもらったこともあるし、そもそもそれを広めろと言い始めたのもエリーだった。


 ん、そう考えると、彼女の指示の結果を見に来た、ということかもしれないな。

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