第50話 変異した法、撤廃、旧友

 店内に居るのは俺とマリー、パン屋の男、そしてこの男たち。

 

「……商業ギルドのマスターが何の用です?」

「確かパン屋の……レオスだったかな。流石に見苦しいぞ」

「これは俺らの話なんで、口出ししないでもらいたいんですが」


 先程までの勢いはどこへやら、バツが悪そうにそう告げる男。

 権力に溺れた人間はより強い権力を持つものに弱いもんなぁ。

 そんな彼の言葉など聞く必要も無い、とばかりにマッケンリーが続ける。

 

「予てより、パンの不文律については撤廃する必要があると常々思っていたのだが、ここまで悪化しているとは思っていなかった。マリアベール、その対応が遅れたことギルドマスターとして謝罪しよう」

「えっ、あ、その……いえ」


 そりゃそうなるよな。

 いきなりそんな事言われても困る。

 困っているのはマリーだけではなくパン屋のレオスとやらもだが。

 

「ちょ、ちょっと待って下さいよ。いくら商業ギルドのギルドマスターとはいえ、決まりを勝手に撤廃とかできるわけないでしょう?」

「うむ、その通り。私はあくまで商業ギルドのマスター。街の規律を変更できる立場にはない」

「な、なんだ、驚かせないでくださいよ」

「だがそれはつまり、変更できる御方もいらっしゃるということだ」

「……へ?」


 困惑したり安心したりまた困惑したりと忙しいな、レオスとやら。

 まぁ困惑しているのは俺も同じ。

 街の商売について一番の権力者なのはマッケンリーで間違いないはず。

 そのマッケンリーが出来ないことをできる人物となるとごく一部しか居ない気がするが……あ、そういうことか。

 

 立ち上がったマッケンリーが恭しく頭を垂れると同時、俺の予想通り、同席していた男がすくりと立ち上がる。

 

「先程の会話、聞かせて貰った。カーネリアにおけるパンの売買について、この街の成り立ちからすればそれは必要な事だったのだろうと想像する。が、その法は今や悪法と成り代わってしまっている事をまざまざと見せつけられた。この悪法はカーネリアの発展を阻害するに留まらず、他者に向けその傲慢さを押し付けるための名目となってしまっている。よって、エリオット・エル・リンドベルグ辺境伯が嫡男、リカルド・エル・リンドベルグ領主代行の名において、現時刻からその法を撤廃することを宣言しよう」


 スラスラと口上を述べる彼に、レオスとやらはあんぐりと口を開けたまま硬直してしまった。

 当然マリーも驚いた様子だが、俺は俺で違う意味で驚いていた。


「マッケンリー、今後の事は任せる」

「ハッ、承知しました」


 彼の命にマッケンリーが再び頭を下げると、漸く先程の話が冗談ではなく現実であると理解したのか、レオスの顔が一瞬で真っ青になる。

 

「ちょ、ちょっとまってください!いきなりそんな事を言われても私達の商売が成り立たなくなってしまいます!パン屋組合にも何を言われるか!」

「おや、先程は酒場が成り立たないようなことを一方的に告げていたと思うのだが、それと何が違うのかね?」

「なっ、いや、それは……さ、先程の発言は撤回致します!ですので何卒それだけは!」

「ほう、貴様の発言と領主代行たる私の発言が同程度だと、そう申すのかね?随分と見くびられたものだな」

「い、いえ!決してそういうわけでは……」


 もはや彼の決断は揺るがないのだろうと悟ったのか、レオスは俯きカタカタと震えだす。

 よもやこれほどの大きな事態に発展するとは思っても居なかったのだろう。


「リカルド様、その辺りで」


 流石に見かねたのかマッケンリーが仲裁に入ると、一度マッケンリーへと視線を向け小さく頷き、コホンと咳払いをして改めてレオスへと向き直る。


「レオスとやら、例えこの法がなくとも美味いパンを焼けば良いだけの話。それを怠っていたのは貴様らであろう。それはパンに限らず、全ての物事に当てはまる事。領主代行たる私とて変わらぬ。日々の努力を怠ってはならぬのだ」

「は、ハッ……」

「理解したのならば、貴様がやるべきことは、わかるであろう?」

「……私はこれで失礼致します……」

「許す。精進せよ」


 ほんの少し前に勢いよく開けた扉をゆっくりと押し開けるレオス。

 見るからに落ち込んだ様子の背中を見るとなんだか可愛そうにもなるが……身から出た錆って奴だなぁ。

 

 というか、そんな事よりもだな……。

 

「……リカルド、なのか」

「久しぶりだねクラウス!こんな形で再会することになるとは思っていなかったよ」


 急にフランクな話し方をし始めて、漸く実感が湧いてきた。

 眼の前にいるこの男、仮面の魔剣士の二つ名を持つ銀翼の隼のメンバー、リカルド。

 そうか、あの違和感はそういうことだったのか。

 そりゃ俺の料理の味とか知ってるよな。

 

「こっちは一目見てわかったというのに、君が僕に気づいてくれなかったのは悲しかったよ?」

「いや、わかるか!というか、お前、仮面はどうした!」


 仮面の魔剣士の二つ名を持つ通り、冒険者時代のリカルドはずっと鼻から額までを覆う仮面を付けていた。

 本人曰く、呪いのせいで外せなくなったとか言っていたが、普通に外せてるじゃないか。

 

「流石に素顔を晒したまま冒険者になるわけにはいかなかったから、許してくれよ」

「もうそれはいいが……ギルから家業を継ぐとか聞いていたがまさか領主様とはなぁ……」

「我がリンドベルグ家の家訓でね。辺境伯たるもの冒険者としての経験も必要だと。家督を継ぐのはまだ先の話だけどね」


 確かにリンドベルグ辺境伯はカーネリアを始めとした西方の開拓によって辺境伯となったのだが、いくらなんでも乱暴すぎやしないかその家訓。

 

「勿論父上も冒険者だったよ。とはいえ、その父上もまさか僕がミスリル級にまでなれるとは思っていなかったみたいだけど」

「そりゃそうだ……ランクが上がれば危険度の高い依頼も多い。というか、そんな依頼ばっかり受けてただろうが。万が一死んだらどうするつもりだったんだ」

「そうなったらそれまで、かな」


 あっけらかんと話すリカルドに呆れるしか無い。

 しかし、グラーフの話では放蕩息子という話だったが、しっかりと家督を継ぐためだったことに安心した。

 まぁ冒険者としての経験を積む事が統治にどう影響するのかは分からんが……リンドベルグ辺境伯家、さすが人の手が及んでいない西方の開拓に乗り出しただけある。

 凡人には分からぬ考えがあるのだろう、きっと。

 そういうことにしておく。


「それで済む立場じゃないだろうに……。まぁそれはともかくとして、えー、パンの件は本当に撤廃なさるのですか?」

「僕とクラウスの仲じゃないか、堅苦しい言葉遣いは止めてほしいな」


 言葉遣いを改めた俺に、不機嫌さを隠さないリカルド。

 

 そうは言ってもな……。


 チラリとマッケンリーへと視線を向ける。

 が、マッケンリーはこちらを見ない振りをした。

 ……どうやら一応は許される行為のようだな。


 というか、よくよく考えれば、リカルドが元冒険者だったということを知っていたのだし、仮面の魔剣士だった事も知っていたに違いない。

 となると、俺とリカルドが同じパーティーメンバーだったことも知っていたはず。

 こいつ、全て分かった上で遊んでやがったな……?


「……流石に表では無理だぞ」

「それで十分。パンの件については本当だよ。この街に来てからそれほど経っては居ないけど、まず正すべきはそれだと思っていたからね」

「それにしても唐突すぎやしないか?」


 二人の会話の内容を思い出してもリカルドがカーネリアに赴任したのは本当につい最近の事だろう。

 いくら領主代行とはいえ、即断して良いものではないように思うのだが……。

 そんな疑問を投げかけると、リカルドに変わりマッケンリーが答えた。


「私から事前に話をさせていただいていたし、何より今日はそのためにここにお越しいただいたからな」

「……は?」


 いやいや、待て待て。

 こともなげにさらっと言うマッケンリーだが、パンの不文律撤廃の決め手は奇しくもレオスの横暴さだったはず。

 レオスとは既に話がついていた……のは流石に考えられない。

 部外者が俺とマリーしか居ない中でそんな茶番をした所で意味がないから。

 レオスの件がなくともその話をするために来た……ということなのかもしれないが、それにしても俺とマリーにだけ話をするのは流石におかしい。

 

 答えを求める様にマッケンリーへと視線を向けると、ニヤリと意味深に笑って見せる。

 

「クラウスのパンが評判になっていたからな。近くこうなるだろうと予測していた」


 あー……。

 エリーから依頼された俺のパンを広めるという話、まさかこうなることを見越していた……とでもいうのか?

 確かに百聞は一見にしかずとも言う。

 撤廃の決定権があるリカルドに現状を直接見てもらうことで賛同を得る事は出来るだろうが、いくらなんでも不確定要素が多すぎる。

 ギルドマスタークラスになるとそれくらいは予測して動いていてもおかしくない……のか?


 いや、単なる偶然だな。

 そういうことにしておこう。

 深く考えると怖い。


「ともかく、パンの件についてはマッケンリーに任せる。上手くやるように」

「お任せください」


 リカルドの言葉に改めて頭を下げるマッケンリー。

 時折出るやや高圧な態度を見るにやはり貴族なのか、とも思うが……あの頃と比べると少し無理をしているように見える。

 俺の知っているリカルドは先程のようなフランクな話し方しかしなかったからというのもあるだろうが、貴族には体面というものもあるし、そういった口調も作っていかなければならないのかもしれない。

 高貴な身分ってのも大変なんだなぁ。


「それとクラウス、時々来るけどいいよね?」

「……領主代行として来るのは止めてもらいたい。せめて……仮面の魔剣士として来てくれ」


 恐らくその方がリカルド的にも息抜きになっていいのではないか、とも思う。

 冒険者の酒場に貴族……それも辺境伯の嫡男が来るなんて違和感しかないしな。


「わかったよ。そう頻繁には来られないと思うけどね」

「こっちはギルだけで満腹なんだ、あまり頻繁に来られると腹を壊す」

「人を毒草みたいに言わないでほしいなぁ。こうして出会えたのもなにかの縁、また前みたいに仲良くしてもらえると嬉しいかな」


 そういうリカルドの表情は少し曇って見えた。

 ……立場ってのは、本当に面倒なものだ。

 

「当たり前だ。久しぶりに会えて嬉しかったぞ、リカルド」

「フッ、ハハッ!全く、君って人は、本当に人たらしだ」

「おい、それはどういう意味だ」

「言葉の通りだよっ。それじゃ、僕……私はそろそろ戻らねばならない。行くぞ、マッケンリー」

「ハッ。世話を掛けたな、クラウス、マリアベール」


 食事の代金にしては余りありすぎる大銀貨一枚をテーブルに残して、二人が入り口へと歩き出す。

 色々な情報が一気に入ってきたからか少々混乱している頭でその後ろ姿をぼんやりと眺めていると、不意に俺の後ろから声が掛かった。

 

「あの!またお越しください!お待ちしております、仮面の魔剣士さん!」


 店内に響くマリーの声にピタリと足を止めたリカルドが驚いた顔で振り向く。

 その視線が笑みを浮かべたマリーを捉えると、リカルドも破顔した。

 

「あぁ、また来るよ、素敵な奥方」

「お、おくっ!?」


 予想外の返答に一瞬で顔真っ赤に沸騰したマリーを後目に、二人の姿がドアの向こうに消えていく。


 ……最後に大魔法級の爆発物を置いて行かないで欲しい。


 両手を頬に当てながら慌てて厨房の奥に逃げ込んでいくマリーを見ながら、熱を帯びた額に手を当てて苦笑する。

 

「参ったね……」


 小さくポツリとこぼした俺の呟きは誰もいない店内に妙に響いた気がした。

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