第37話 祈り子達、春の祝福、花

「ありがとうございました」


 いちごの薄皮包みを大事そうに両手で持つ子供にお礼を述べると、昼前から長く続いていた行列が漸く途切れた。

 前々からこれはイケると確信していたが、俺の予想以上に評判が良かった。

 生地もクリームも事前に作っておいた分がすでに底をつきそうだし、何より予想外だったのはいちごが尽きる前にバンナの実が尽きたことだ。

 どうもバンナの実が美味いという事が言伝に広がったようだ。

 祭りという人の流れが早い日だったこともあり、伝達速度はかなり早かったんだろうな。

 これでバンナの実というものを知る人が増えるのであれば、バンナの実を売ってくれた露天商にも借りを返す事ができただろう。

 事情を説明したら祭りで使う分を通常の販売用とは別に用意してくれていたからな。

 ありがたい事だ。

 

「ふぅ、一息付きましたね」

「やっとだなぁ。ありがたい事だが疲れる疲れる」


 コキコキと肩を鳴らすとマリーがクスクスと含み笑い。

 何かおかしな事をしただろうか、と思っていると、多分怪訝な顔になっていたんだろうな、笑みを絶やさずに口を開く。

 

「お店が忙しい日に、お父さんが良く言っていた事と全く同じだったのでつい」

「む、そこまで歳を食ってはいないぞ」

「そうですね。クラウスさんはお父さんって感じじゃないですし」

「それは若いって事だよな?頼りないとかそういう事じゃないよな?」

「さぁ、どうでしょう?」


 そこはそうだと言ってくれマリー。

 変わらずクスクスと笑うマリーに追求しようかと手を伸ばしたところで、ふと視界の隅に見慣れた人物が映る。


「サリーネさん、起きたんですね」

「あらっ、気づいてたのぉ?」

「丁度視界に入ったんですよ」


 ゆったりとした歩みで屋台に向かってくるのはお馴染みのサリーネだ。

 彼女は今朝クロンの衣装を持ってきてくれた直後に店の中で崩れる様に眠ってしまった。

 仕立て直すだけで良いとはいえ、獣人仕様にしなければならない都合、かなり無理をしてくれたのだろう。

 起こすのは忍びないとして寝かせたまま店を後にしたが、そろそろ様子を見に行こうかと思っていたところだ。

 

「そろそろ起こしに行こうかと思っていたんですけど、体調は大丈夫ですか?」

「ありがとうマリーちゃん。ちょっと寝たらすっかり良くなったわぁ」


 まぁまだ目の下にはクマがくっきり残っているし、そもそも普段にもましてゆっくりな動作がものすごく眠そうだなという事を教えてくれる。

 

「そろそろ祈り子ちゃんの出番でしょう?流石に寝てられないわぁ」


 祭りの一番のイベントだし、何より今年は彼女にとっても特別な意味がある。

 流石に自分の仕立てた衣装のお披露目を寝過ごしたとなれば悲しすぎるからな。

 

「今いちごしかありませんけど、食べますか?」

「ん~、そうねぇ、いただこうかしらぁ」

「はい、少し待ってくださいね」


 もはや手慣れてきたと自負する手付きで生地を焼いていると、不意にサリーネが呟く。

 

「クロンちゃん達、大丈夫かしらねぇ」

「大丈夫ですよ」


 サリーネの言葉には、純粋に二人を心配するという意味の他にも意味を含んでいる様に思えた。

 マリーもそれを察したのか、一言だけそう告げると、サリーネが小さく笑う。

 

「そうねぇ。成るように成るわねぇ」


 サリーネが薄皮包みをぺろりと平らげたあたりで、大通りの東側からざわめきが近づいてくるのに気づく。

 

「あ、来ましたね」

「ん~緊張するわねぇ」


 気づけば広場には人垣が出来上がっており、皆がそれを待ちわびている様子が手にとるように分かった。

 皆が皆、通りの東側を見つめている。

 

 その行列は賑やかな楽器の音と共にやってきた。

 

 先頭を歩くのは……教会の司祭かな。

 まだ顔を出したことは無いが、カーネリアにも小さいながらきちんとした教会がある。

 神言教に認められた正式な司祭が赴任しているという話なので、多分その人だろう。

 その後ろには楽隊。

 楽器の正式な名前はよく知らないが、弦楽器、管楽器に打楽器もあるか。

 それが10人程。

 見た感じ、教会の正式な楽隊……ではなく街の有志による楽隊か?

 衣装こそ立派な物を着込んでいるが、どことなくあか抜けない印象がある。


 そしてメインの祈り子が続く。


 色とりどりの鮮やかな衣装に身を包む祈り子達が思い思いの踊りを披露している。

 本職の踊り子顔負けな踊りを披露する子もいれば、ぎこちない動きながらも必死に踊る子もいる。

 十人十色、とはよく言ったもので、文字通りそれぞれが違った色を持つ祈り子達はその姿だけでも実に華やかだ。

 そんな中共通しているのは、皆楽しそうに笑顔を浮かべているということだ。

 

 なんか、祭りって感じがするなぁ。

 

 クロンとカズハは何処か……と視線を巡らせて探すと、列の後方で見つけることができた。

 

 凄いな。

 

 彼女達を見つけた時、その一言だけが頭に浮かんだ。

 

 クロンの真っ赤な衣装とカズハの鮮やかな青の衣装とが絡み合い、離れ、また近づき、くるくると円を描くように回りながら、大衆の前を通り過ぎていく。

 カズハの足を庇っているのか、クロンが時々彼女を抱きかかえる様にするも、その動作すら踊りの一部なのではないかと思う程に違和感無く踊り続ける二人。

 周りの子達も決して悪くない踊りをしていたと思うのだが、二人のそれを見てしまったが最後、二人の世界だけが切り離されたかのように、他の祈り子達は一切視界に入らなくなってしまった。

 

 親ばか……いや、親じゃないから……えーっと……保護者ばか?まぁ何でもいい。

 そんな言葉を鼻で笑ってやる程に、二人の踊りはずば抜けていた。

 マリーとサリーネの二人も口を半開きにして見入っている。

 

 クロンがあれだけ踊れたのにも驚いたが、一番の驚きはカズハだ。

 足を負傷しているとは思えない踊り。

 よくよく見れば、怪我をした足をできるだけ地に付けないようにしているのが分かったが、それでも片足でよくやるものだ。

 あの体幹の強さは天性かもしれないな。

 

「そろそろかな?」

「そうねぇ、そろそろねぇ」


 二人の踊りに目を奪われていると、マリーとサリーネがそんなことを言い始める。

 何のことか分からずに首をかしげると、まるでいたずらを隠している子供のように、二人してクスクスと笑みをこぼす。

 

「見ていればわかりますよ」


 そう言われれば見ているしか無い。

 思い思いに踊る祈り子達をじっと見つめていると、一人の祈り子に唐突に変化が起きた。

 いや、正確には、その衣装に、だ。

 

 その胸元からぴょこん、と芽が生えたと思うと瞬く間に成長し、胸元から腰回りへと衣装の上を這うように蔦を伸ばしていく。

 気づけばその子の淡い黄色の衣装に緑の蔦が絡みつき、まるで元からそのような衣装であったかのような一体感を醸し出している。

 変化はその子だけではない。

 他の祈り子達も次々と芽が生え、蔦が絡みついていく。

 広間を囲うように見守っていた人垣からも感嘆の声が漏れてきた。

 

 そうなれば気になるのはクロンとカズハだ。

 二人へと視線を向ければ、丁度二人の衣装からも緑の蔦が伸び始めていた。

 

 あ、クロン混乱してるな。

 カズハは……驚き戸惑っているクロンに笑いかけている。

 

「あぁ、良かったぁ。ちゃんと上手くいったわねぇ」

「はい、蔦の伸び方も綺麗です。流石サリーネさんですね」


 ホッとした様子のサリーネとマリーを見るに、これはこういうものなのだろう。

 

 よく見れば……あれ、もしかして一夜草か?

 

「衣装に一夜草の種を仕込んであるのか」

「あらぁ、流石クラウス君、よくわかったわねぇ」


 一夜草。

 冬から春にかけて急成長する事で知られる草で、何も無かったはずの場所に一夜にして蔦が生い茂る事からそう呼ばれている。

 しかし、何故このタイミングで一斉に芽を出したんだ?

 

「一夜草は暖かくなってきた頃に陽の光を沢山浴びて刺激を受けると芽を出すんです」

「そうなのか……全く知らなかったな」


 マリーの補足は本当に初耳だ。

 一夜草にそんな特徴があるとは知らなかった。


 ……そうか、なるほどな。

 祈り子の衣装が特別な理由はこれか。


 ぴっちりと封のされた包みは汚れではなく陽の光が入らないように。

 直前まで着てはいけない理由は刺激を与えないため。

 一度しか着られないのはこの仕掛は一度しか使えないから、か。

 言われてみれば納得だ。

 

「最初は普通の衣装だったらしいのよぉ。でも何回目かのお祭りのときに、たまたま一夜草の種が着いていた衣装があってねぇ。その時、踊り終わったら一夜草の芽が出てきてぇ、春の神様が祝福してくれた証だって」

「それで、それ以後は一夜草の種を仕込む事にしたのか」


 昔は街も小さかったから踊り終わった後に芽が出ていたのだろうが、街が大きくなってからは踊っている最中に芽が出るようになった、といったところか。

 

 最初は驚いた様子のクロンだったが、カズハから聞いたのか、もしくはすぐに順応したのか、衣装に絡まる蔦を見せる様に大きく手を広げてくるくると回っている。

 そんなクロンの様子を、サリーネは遠い目で見つめていた。

 

「サリーネさん、クロンの衣装って……」

「ふふっ、マリーちゃんには隠せないわねぇ」

「やっぱり……」


 マリーは予想通りだったのかサリーネの返答に納得した様子だが、俺はなんの事か全くわからないんですけど?


「そうよぉ。あれ、本当は私が着るはずだった衣装よぉ」


 さらっと言ってのけるサリーネ。


 いやいや、それ、そんなにさらっと言う事じゃないだろう。


 あの時サリーネが内緒にするように仕草をしたのはこれだったのか。

 確かに、クロンがコレを知れば着ようとはしなかっただろう。

 

「暖かくなった後に冬の忘れ物で急に寒くなるでしょう?だから、私、その時熱を出しちゃったのよねぇ」


 そう話し始めるサリーネの口調は過去を振り返り懐かしさを感じているようだが、その中に何処となく寂しさのようなものが見え隠れする。

 

「私の衣装はねぇ、私が大好きだった近所のお姉さんが作ってくれたのよぉ。まぁお姉さんは結婚して今はカーネリアには居ないんだけどねぇ。だから祈り子として着る事はできなかったけどぉ、綺麗にしまっておいたのよぉ」

「そんな大切な物、良かったんですか?」

「う~ん、ちょっと残念な気持ちは……あるわねぇ。でもねぇ、カズハちゃんの言葉で気づいたのよぉ」

「カズハの?」

「そぉよぉ。カズハちゃん、素敵な衣装なのに着られないままなのは可愛そうだって、そう言っていたでしょぉ?それでねぇ、私の衣装も、きっと同じなんじゃないかなって、そう思ったのよぉ」


 赤と青、クロンとカズハが笑いながらくるくると円を描く様を、サリーネがじっと見つめている。


「私は着てあげることができなかったけどぉ……やっぱり、服は着てあげてこそよねぇ」

「そうですね」


 暖かな陽の光を浴びながら、楽しげに踊るクロンとカズハ。

 その姿を見れば、サリーネの思いもきっと届いていることだろうと思う。

 

「あっ!」


 と、唐突にマリーが声を上げる。

 その声と同時、人垣からも大きなどよめきが起きている。

 慌てた様子でクロンを指さしているマリーにつられて視線を向けると、クロンの赤と緑の混じる衣装の胸元に一色、白が加わっていた。

 

「花……?」

「凄い、一夜草の花って滅多に咲かないのに」


 まるでこの時を待ち望んでいたかのように可憐に咲き誇る一輪の花に、この場に居るすべての人が目を奪われていた。

 

「良かった……」


 小さく、消えそうな程に小さく呟いた声の主は、静かに静かに、瞳から雫をこぼした。

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