第21話 終演、まかない、3つのグラス
「終わった……」
「なんとか……なりましたね……」
「全く……手伝おうなんて言わなければ良かったですわ……」
一つのテーブルに3つの物体が突っ伏すようにとろけていた。
正に疲労困憊、満身創痍。
もう動けん。
結局食材がなくなるまで客足が途切れる事はなく、ひたすらに料理を作り続ける1日だった。
ずっと給仕を続けていたエリーはもっと疲れている事だろう。
昼はエリーを含めた3人である程度余裕がある状態だったが、予想通り、夜はエールや葡萄酒の注文が入るようになり、肴の注文も重なって崩壊寸前だった。
よく持ちこたえたものだと、我ながら感心する。
ひたすら動き続けてくれたエリーには感謝しか無い。
「二人だけだったら、どうなっていたかわからんな……」
「本当ですね……エリーさん、ありがとうございました」
重い体をズリズリと動かしエリーへと顔を向けると、口をへの字にしたエリーが懸命に視線を逸している。
もっとも、エリーもテーブルに突っ伏しているので逸しきれていないが。
「マリー、これは貸しですわよ」
「貸し、ですか」
「えぇ、ですから、わたくしが困った時には問答無用で手を貸して頂きますわ」
「ふふっ、わかりました」
純粋に手助け、という形ではおそらくマリーが負い目を感じてしまう、とエリーはそう考えたのだろう。
まぁおそらくマリーはその事に気づいているのだろうが、そこはお互い様か。
エリーもマリーが気づくであろうことを承知の上で言っている気がする。
幼い頃からの付き合い、か。
中々いいもんだ。
ともすれば感動的な場面だったのかもしれないが、今は全員がテーブルに突っ伏しているので絵面としては情けないものになっているが。
まったりとした空気が流れる中、不意にキュー、とネズミの鳴き声のような音が聞こえた。
何かと視線を巡らせると、エリーが顔を手で覆っていた。
うん、そうだよな。俺もそうだ。
「腹減ったなぁ……」
これまでは昼のピーク時間が終わった後に自分たちの昼食の時間を取っていたのだが、今日は昼食を取る余裕が無かったため、昼食抜きだった。
飯も食わずにアレだけ動いていたんだ、へばるのも仕方ない、よな。
断じて俺が鈍っているとかそういうことではないはず。うん。
「なにか……作る、か」
店を閉めるにはまだ早い時間。
外に出れば食事にありつくことも出来るだろうが、外に出る気力はない。
まぁ今からなにか作るというのも中々にシンドイんだが、最後の気力を振り絞るか。
重い体を起こそうと力を入れたところで、ゆらーりとマリーの手が上がる。
「あの、シチュー、取っておいてあるんです」
その言葉に俺とエリーがガバッ、と上体を起こす。
「よくやった!!!」
「褒めて差し上げますわ!!!」
「あ、あはは……二人とも急に元気になりましたね」
食事にありつけるとならば元気にもなるというものだ。
早速シチューを取りに行こうと立ち上がったところで、致命的な問題に気づく。
「しまった、パンも全部無かったんだったな……」
今日買った分のパンは全て客の胃袋に収まってしまった。
俺が作ったパンはとっくの昔に無くなっているし、今から生地を作って……とやっているのを待っていられる程腹の虫は気が長くない。
この際シチューだけでもいいか、と思っていたところで再びマリーが手を挙げる。
「私に考えがあります。ちょっと待っててくださいね」
そういうと、ゆっくりとした歩調で厨房へと消えていった。
残された俺とエリーはなんの事か分からずに首をかしげるが、まぁとんでもないものが出てくることもあるまい。
再びエリーと共にテーブルに突っ伏して料理が出てくるのを待つことにする。
それから暫く、ふわりといい香りが漂ってくる。
「できましたよ」
マリーが出来上がった料理をトレイに乗せて持ってきてくれた。
さほど長い時間を待っていたわけではないはずだが、永遠に思える程の時間だった。
取り敢えずなんでもいいから腹に入れたいところだ。
コトリとそれぞれの前に皿が置かれる。
少し大きめの皿にたっぷりのシチュー。
そしてフォークとスプーン。
シチューを残していたというのだからスプーンは分かるが、フォーク?
そう疑問に思っているのは俺だけではないらしい。
エリーもフォークを手にとって不思議そうに見ている。
「取り敢えず食べてみてください」
それもそうだ。
折角のシチューなんだ、温かいうちに食べるに限る。
早速シチューにスプーンを入れる、が、スプーンが深くまで潜らない。
ん?なにか入っているのか?
あぁ、そのためのフォークということか。
スプーンを皿に載せたままフォークへと持ち替え、その謎の物体へとフォークを突き刺した。
なるほど、そういうことか。
真っ白なシチューの中から出てきたのはパスタだ。
シチューをパスタに掛けるというのは聞いたことが無いが、パンもパスタも原料は小麦。悪くはないだろう。
「少し混ぜるといいかもしれません」
マリーの助言に従ってスプーンとフォークを使いグリグリと混ぜる。
程よく混ざった所で早速一口。
うん、悪くない。
煮詰まったからか少しとろみが強くなったシチューがパスタによく絡む。
味も少し濃くなっているようで、パスタのソースとしても違和感はない。
これは思いつかなかったな。
斜め右に座るエリーも感心した様子で小さく頷きながらパクパクとテンポ良く口に運んでいる。
「良いなこれ。なんで思いつかなかったのかと疑問になるくらいだ」
「えぇ。シチューにはパン、と決めつけていましたわ」
「喜んでもらえて良かったです」
これはメニューに追加することも考えて良いかもしれない。
流石にこのままとはいかないだろうが、少し改良すれば提供できそうだ。
まぁ元々がマリーのシチューなんだ、まずいわけは無いんだが。
空腹もあってかパスタにシチューと中々のボリュームだったそれをあっという間に平らげると、多少気力が戻ってきた気がする。
やはり食事は大事だ。
ちゃんと昼食休憩は入れることにしよう。
マリーとエリーもぺろりと平らげてホッとした表情を浮かべている。
あ、そうだ。
ふと思いついた事があるので席を立つ。
「クラウスさん?」
「折角だし、な」
不思議そうにこちらを見るマリーを横目にカウンターの奥へと足を運び、3つのグラスにウィルソンの葡萄酒を注ぐ。
テーブルに戻ってそれを各人の前に置くと、小さく掲げてみせる。
何をするのか理解した二人もそれぞれグラスを掲げた。
「えーっと、何に乾杯するか」
「走る子馬亭で良いんじゃないですの?」
「それでもいいんだが……うーん……」
普通に考えればそれでもいいんだろうが、何かこう、違う気がする。
何かしっくり来るものが無いかと考えていると、マリーが口を開いた。
「私はエリーさんとクラウスさんに乾杯したいんですけど……」
「何を言っていますの。わたくしよりもマリーとクラウスに乾杯するべきでしょう」
「いやまて、今日はエリーに助けられたんだ。エリーを外すのはないだろう」
とここまで言ってそれぞれがそれに気づいたのか、誰ともなしに笑い出した。
「結局、みんなに乾杯したいということですわね」
「誰か一人でも居なかったらどうなっていたか分からないですもんね」
「よし、ではこうしよう」
改めてグラスを掲げると、二人もそれに合わせて掲げてくれる。
「今日という日を戦い抜いた、3人の友に!」
「「「乾杯!!!」」」
俺が来たばかりの時と同じ客の居ない店内で、俺が来たばかりの時にはなかったキンとグラスのぶつかる音が響き渡る。
口にした葡萄酒は、格別な味がした。
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