第19話 エリーの依頼、パン事情、施策
「おまたせしました」
いいタイミングでマリーが料理を運んでくる。
ゆらりと湯気の揺れるシチューに、パン屋で買ってきた黒パン。
そして、俺が焼いたパン……の小さいやつ。
それを手に取ると不思議そうに眺めている彼女。
「これは?」
「あぁ、俺が焼いたパンです。中々評判いいですよ」
「あらぁ、大丈夫なの?」
パンに関する不文律はカーネリアにおいてはかなり周知されているものらしい。
食事に関わる仕事ではないはずのサリーネですら知っているのだから。
「黒パンのおまけに付けるだけなんで大丈夫でしょう。まぁ、この分は完全に赤字なんで毎回作れるわけじゃないですけどね」
以前エリーから要求されていたパンを周知させる為の施策がこれだ。
かなりグレーなラインだとは思うが、あくまでおまけなのでこのパンで金を貰っているわけではない。
うん、問題ない……と思いたい。
ただ周知させるだけならば違ったやり方もあるのだろうが、折角商業ギルドが金を出してくれるというのだ、走る子馬亭の価値を上げる手段にそれを利用しない手はない。
流石に商業ギルドから金が出ているという事は伏せた方が良いだろうから赤字という事にしておくが。
「ふぅん……」
手にとった小さなパンを裏返したりしているサリーネ。
いや、パンを裏返したところであまり変わりはないと思うんだが……改めて変わった人だ。
徐にパクリとパンを口にすると、あらぁ…、と小さく声が漏れる。
「変わってるけど美味しいわねぇこれ」
「でしょう!私も好きなんですよそれ!」
サリーネの感想に何故かマリーが興奮した様子で同意する。
元々は生地を寝かせる際に表面が少し乾いてしまった為、茹でたら元にもどらんか、という安直な考えで出来上がった偶然の産物だ。
あまり称賛されすぎるとパン屋の皆様に申し訳なくなる。
しかしそんなに好きなのか、これ。
まぁ、このパンを口いっぱいに頬張っているマリーが実に幸せそうな顔をしているを、1週間の間に何回見たか分からないが。
女性でも二口で食べ切れる大きさの故か、あっという間に胃の中に収めると
「このパンだけで売っては……」
と、チラリと、意味ありげにこちらへと視線を向けるサリーネ。
うん、無理。
首を横にふると、サリーネがはぁ、とため息と共に肩を落とす。
「くれないわよねぇ、残念」
「いつもあるわけじゃないですけど、できるだけだそうとは思ってますから」
「あらぁ、本当?それなら足繁く通っちゃうわよぉ」
そう言ってもらえるということは、俺達の思惑としては大成功だ。
マリーへと視線を向けると、サリーネに見えないようにしながらもグッと握った拳をこちらに見せた。
「それよりも、シチューも食べてみてください。マリーの自信作ですよ」
「あらぁ、そっちも楽しみねぇ」
早速木製のスプーンを持つとまだ湯気の立ち上るシチューへと手をのばす。
「あらぁ、こっちも美味しいわねぇ。これならパンも美味しく食べられるわぁ」
そう言うやいなや、黒パンをちぎるとシチューにつけて食べ始める。
確かになぁ……。
カーネリアで売られているパンは正直そこまで美味しくない。
パンは俺の知っている限りだと、偽麦から作られる黒パンの他に、脱穀した麦をそのまま粉にした茶パンと、殻を取り除いた小麦で作った白パンがあるが、カーネリアでは黒パンと白パンしか売られていない。
しかも白パンの値段が妙に高いので、庶民が口にするのは大体が黒パン。
黒パン自体が硬く食べづらいものではあるが、それでも旨い黒パンというものもある。
が、ここの黒パンは正直微妙だ。
店で出すものを食べたことがないというのは困るということで、先日マリーに買ってきて貰ったのだが、例えるならダンジョンに潜って食べる保存用の黒パン。
普段からアレを食べているという事ならば俺のパンがやけに好評なのも頷ける。
俺のパンは殻こそ取り除いて無いが、一応は小麦を使ってるしな。
またたく間にシチューと黒パンを平らげたサリーネが、ごそごそと懐を探り出す。
「美味しかったわぁ。いくらかしらぁ」
「いえ、営業再開記念って事で、明後日まで食事代はもらわない事にしてまして」
「えっ、そうなの?」
「はい、その代わり知り合いにでも店の事話してくださいね。あっ、流石に酒と肴は貰いますけど」
「うふふ、任せて頂戴。それじゃごちそうさまぁ」
取り出した財布を再び懐に収めると小さく手を振りながら店を出るサリーネ。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました!!」
サリーネが店を出たことを確認し、元気よく頭を下げていたマリーがこちらへと歩いてくる。
「これでお客さん、来てくれるといいですね」
「あぁ、サリーネの様子なら結構期待できるんじゃないかな」
俺達が昨夜考えた客を呼ぶ施策、それが数日間の食事無料。
正直に言えば出費としてはかなり痛い。
俺が持参した金にはまだ余裕があるが、それでも実施するにはかなり勇気のいる方法だ。
だが有効な方法だとは思っている。
酒も食事も満足のいくものが提供できていると自負するが、ここ半年程の走る子馬亭を知っている人であれば中々に手を出しづらい状況になっていると思う。
そんな人達に、今の店の状況を知ってもらうにはやはり来店してもらうのが一番だ。
俺達が宣伝して回るというのも一つの手段ではあるんだが、当人の宣伝は話半分で流される事もままある。
というか、俺がそうしてた。
が、自分の知り合いがここの料理は美味しい、という話しをしてくるのであれば別。
それは情報源への信頼によるものだろう。
そこにタダ飯が食えるとなれば試しに行ってみよう、という人が出てくるものだと予想する。
あまり安売りするのは良くないのだが、これまでの印象を一発で吹き飛ばすにはこれくらいの大掛かりな仕掛けが必要になるだろう。
ウィルソンの葡萄酒の際に話した事とは正反対になるが、今はこれが一番効果が高いと思う。
「効果が出てくるのは多分明日か明後日だろうから、それまでは焦らずいこう」
「はい、落ち着いて、いきましょう」
知り合いとはいえ一先ず客は来た。
そして俺とマリーの料理も十分すぎる程に満足してもらえた。
ならば、きっと大丈夫。
スプーンですくえなかった分はパンで拭い取ったのか、シチューの白が一切残っていない木製の皿を片付けながら、そう確信していた。
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