第18話 閑古鳥、来客、変えたメニュー

「お客さん、来ませんね」


 気合を入れて開店したのはいいが、全く客が来ない。

 開店してすぐこそ入り口の前で立っていたマリーだが、客足がなく手持ち無沙汰になったのか既に綺麗になっているはずのテーブルを拭いている。

 テーブルを吹く布も全く汚れていない。

 徹底的に掃除したからなぁ。


「まだ時間が早いからな」


 何気なく呟いたマリーにそう返答する。

 まだ焦る時間ではない。昼時には少し早い時間だ。

 冒険者の酒場として機能してくれば朝から忙しくなるのだろうとは思うが……いや、そうなってもらわないと困るんだが、ともかく食事を提供するだけの状態では流石にこの時間は暇だ。

 昼時になれば食事を取りに来る客もいるはずだ。


 ……大丈夫だよな?

 いや、本当に大丈夫なのか?


 一応商業ギルドやエリーにも今日営業を再開するという報告はしてある。

 大々的な宣伝はしてこなかったが、多少は客も入るのではないかと思っていたが……見込みが甘かっただろうか。

 一応は集客のための案も用意してあるのだが、それについてももっと宣伝しておくべきだったかもしれない。

 いかんいかん、思考が悪い方悪い方へと流れていっている気がする。

 こういう時こそ前向きな思考でいかなければならない。

 あぁぁしかし不安であるのは変わりない。

 自分でも落ち着いていないのは理解しているが、落ち着かないものは落ち着かないのだ。


 一方のマリーはどうなのかと視線を向けると、鼻歌混じりでテーブルを拭いている。

 思った以上に冷静だ。

 こういうとマリーには悪いが、客が入らなかった期間が長かったから慣れてしまっているのかもしれない。

 そう思っていたのだが、なにかおかしい。


 ……あっ、ずっと同じところを拭いているのか。


 情けない話だが、その姿を見て少しホッとしている自分もいる。

 不安なのは俺だけじゃないんだなと。

 不意に、カランカラン、と入り口のベルが鳴る。

 その音に、ドキリと俺の心臓が強く鳴る。


「あらぁ、本当にお店再開したのねぇ」


 入り口からひょっこりと顔を出したのは30手前といったところの女性だった。


「サリーネさん!」

「あらぁマリーちゃん、お店再開おめでとぉ」


 ふんわりとした雰囲気の彼女は同じ通りで衣服の修繕を手掛けているサリーネだ。

 先日購入した古着の一部を修繕してもらった際に店の再開について伝えていたのだが、まさか初日に来てくれるとは思ってもいなかった。


「直した服はどうかしらぁ」

「はい、ほつれていたところもすっかり綺麗になりました。ありがとうございます」


 そう言ってマリーがその場でくるりと回ってみせる。

 少し丈の長いスカートがふわりと舞う様子を見ると、古着とは思えない。

 どうもこの街は衣類に関する技量が妙に高い傾向にある気がする。

 サリーネの技量も大したものだ。


「今日はどうしたんですか?」

「丁度手が空いたからぁ、少し早いけどご飯を食べに来たのよぉ」

「本当ですか!ありがとうございます!こちらへどうぞ!」


 大げさな程に頭を下げるマリー。

 カウンター席へと彼女を案内すると、俺も軽く頭を下げた。


「ありがとうございます。再開後の初めてのお客さんですよ」

「あらぁホントぉ?嬉しいわぁ」


 そういって手を合わせるサリーネ。

 マリーから革張りのメニューを受け取るとさっと内容を確認する。


「メニューも変わったのねぇ」

「母のようにはいかないもので……がっかりさせてしまってすみません」


 シュンとした様子で小さく頭を下げるマリーに、サリーネはひらひらと手を振ってみせ


「そういう意味じゃ無いから安心してぇ」


 そう言うとへにゃりと笑った。

 濁すようなサリーネの言葉に困ったように笑うマリー。

 彼女は強い子だ。

 だから、こうして過去の走る子馬亭を知る人が客に来たとしても、きっと大丈夫だと、そう勝手に思い込んでいたのかもしれない。


 店の準備は万端。それは間違いない。

 だが、マリーの準備はどうだったのだろうか。


 そんな事を今更ながら思う。

 それを誤魔化す様にサリーネへと言葉を掛ける。


「注文、どうします?」

「そうねぇ……それじゃぁ、シチューとパンをくださいなぁ」

「了解。マリー、頼んだ」

「わかりました」


 パタパタと足音を立てながら、マリーはシチューとパンを取りに厨房へと引っ込む。

 その後ろ姿を、笑みを浮かべながら眺めていたサリーネがポツリとこぼした。


「ちゃんと前を向けるようになったのねぇ」

「え?」


 そうなんだろうか。

 俺には未だに過去を引きずっているように見えたのだが、どうやらサリーネの目にはそうは映らなかったようだ。


「メニュー、変えたでしょぉ?これまではね、頑なにメニュー変えようとしなかったのよぉ」


 その言葉にハッとする。

 あのシチュー、何故店に出さなかったのかとずっと思っていた。

 そうか、そういうことだったのか。


「マリーちゃんが前を向けるようになったのも、あなたのお陰かしらねぇ」


 そういってニヤニヤとこちらを見てくるサリーネ。

 彼女の思っているような事は何一つ無いので変に勘ぐらないで欲しい。

 それよりも、頑なに変えなかったというサリーネの言にふつふつと不安が湧き上がる。


 マリーは昔の走る子馬亭を取り戻したいと思っているのだろう。

 それは俺も同じだと思っていた。


 だが、二人の考えている走る子馬亭を取り戻すという定義がズレていたのかもしれない。

 俺がこれまでやってきたことはマリーの望みに反する事だったのかもしれない。

 こうしなければならなかった、とは思っているが、もっと別の方法があったかもしれない。


 今ここで一人でかもしれないを重ねたところでどうしようもない事なのは理解している。

 が、頭では理解しているとしても湧き上がる不安を抑える事が出来ない。

 嫌な考えが頭を埋め尽くそうとした時、不意に穏やかな笑い声が聞こえる。


「うふふ、大丈夫よぉ。マリーちゃんは嫌なことは嫌とハッキリ言える子だものぉ。こぉんな小さな頃から知ってるのよぉ?間違いないわぁ」


 そう言って手を横に広げてみせるサリーネ。

 ……いや、普通そういう時はこう、地面からの高さで表現しないか?

 まぁお陰で少しは気持ちが落ち着いた。


 マリーは俺の事をパートナーだと言ってくれた。

 その言葉を信じなくてどうする。

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