第7話 エール、信用、旧友
「ダメですね」
「何故だ」
「在庫がありません」
「ぬぅ…」
俺とエール酒蔵の丁稚が睨み合っているのをマリーが困り顔で、どう収めたものか、とでも言うようにオロオロと右往左往している。
カーネリアにはいくつか酒蔵があるらしいのだが、以前より懇意にさせて貰っていた酒蔵がある、ということでそちらに赴いてみたものの、このような状況だ。
「まだ卸していない分があるだろう。それを融通してはもらえないのか」
「ダメですよ。それはすでに買い手が決まってるんですから」
「そこをなんとかならんか」
「無理ですって。どこの誰ともわからない人にそんな事したらウチの信用が落ちますし」
「確かに俺はこの街に来たばかりだが、走る子馬亭は知っているだろう?マリーはこの街の生まれだし、俺だって商業ギルドに加入した。それでもだめか」
「だから、無理ですって」
ある程度予想はしていたが、やはりよそ者であるということは大きなネックだ。
商売は信用、とは常々聞き及んでいたところではあるが、こうして信用問題に直面すると言葉以上にその重みを感じる。
マッケンリーの出した課題は俺への嫌がらせなのだと思っていたのだが、俺がこの街で酒場をやっていく為には必要不可欠な事だったということか。
なんだかんだでしっかりと考えられている。
いや、それはともかく、今はどうにかして酒を入手する算段を得なければならん。
「……次の仕込みはいつになる?」
「今月分はもう終わりましたから、来月です。2ヶ月待ってもらえれば卸せますよ」
「2ヶ月、は流石にな…」
エールは大凡1ヶ月程掛けて作られる。来月の仕込み分が完成するのは再来月。
流石に2ヶ月もの間、酒場に酒がない状態というのは看過できない問題だ。
「他を当たるしか無いか」
可能であれば、これまで懇意にさせて貰っていたこの酒蔵から仕入れたいと思っていた。
それは色々と融通が効くのではないか、という思惑が無かったわけではないがそれ以上に、走る子馬亭としての信頼に関わると思っていたからだ。
どこの誰ともわからない奴が店に入ったら違うところから仕入れるようになった、という情報が広まれば、これまで走る子馬亭に信頼を寄せてくれていた街の住民からも見放されてしまう可能性がある。
勿論、客入りにも関係するのだが、それ以上にあの店はマリーの両親との思い出が残る唯一の場所だ。それを壊したくはない。
ちらりとマリーへと視線を移すと、相変わらず困ったように苦笑を浮かべているがその中に落胆の色が見える。
やはりマリーとしてもできる事ならこの酒蔵から仕入れたいと思っていたのだろう。
ぽん、とマリーの肩を叩くと、驚いたようにこちらに顔を向ける。
澄んだ青の瞳にジワリと雫が溢れるが、それは零れ落ちる事なく、小さくコクンと頷いてみせた。
そんな姿に丁稚も少々気まずそうに視線を逸らす。
丁稚にも悪いことをしたか。無茶を言っているのはこちらの方だ。罪悪感を覚えさせてしまったのであれば申し訳ないと思う。
「待ちな」
マリーの肩を抱きながら酒蔵を後にしようとした俺たちの後ろから、野太い声が聞こえてくる。
「お、親方」
そう続けてくる丁稚の声にマリーと共に振り返ると、オーガですら殴り倒せそうな程のぶっとい腕を組んだ髭面の初老が仏頂面でこちらへと視線を送っていた。
なんなんだ、この街の男連中は。マッケンリーもそうだったが、無駄に筋肉付きすぎじゃないか。
いや、それはともかく、親方、と言っていたか。振り向いた俺に対して無遠慮にしげしげと品定めするかの如く全身を睨めつけている。
一通り確認し終わったのか、フン、と鼻を鳴らした後にその鋭い眼光が俺を直撃する。
「走る子馬亭……ってのは本当か?」
「あぁ。俺とマリーで立て直す」
重ねて言うが、何故この街の男連中はこんなにも無闇矢鱈に眼光が強いんだ。
直視したくない、が直視するしか無い。
……マッケンリーの時にもこんな事やってたな。
突き刺さるような眼光を跳ね返すつもりで真っ直ぐに見つめ直すと、親方の視線がスイとマリーの方へと移る。
当のマリーは親方の眼光にビクついている……かと思いきや、俺と同じ様に真っ直ぐに親方へと視線を向けており、そこには覚悟という名の意思を感じる事が出来た。
そんなマリーに親方がフン、と鼻を鳴らすと、再び俺へと視線を戻す。
「……いくつ必要だ」
「エール1樽…いや、2樽欲しい」
「2樽とは遠慮を知らんやつだな。いいだろう、後で運ばせる。」
「おっ、親方!?」
「グダグダ言ってる暇があったらさっさと帳簿つけんか!!!」
「は、はいっ!」
ドラゴンの咆哮もかくやというほどの怒声が響き渡ると、丁稚は慌てて奥へと走っていった。
正直、俺もビビってる。
マリーなど突然の轟音に目を回す始末。
いやまぁ、あれは仕方ないか。
しかしながら、仮に融通してもらえるとしても1樽がいいところだろうと、無理をふっかけるつもりで言い出した2樽が通るとは思わなかった。
1樽で大凡400杯くらいは提供できるはずだから、今の走る子馬亭の状況を考えれば2樽もあれば2ヶ月は余裕でまかなえる。
これは本当に大きい。
「無理を言った手前こういうことを言うのは違うかもしれないが、本当にいいのか?」
「良くなきゃ断っとるわ。それよりも、儂の作ったエールを無駄にしたらただではおかんぞ」
ギロリと、視線だけで人をも殺せそうな眼光で睨まれるともはやハイとしか答えようがない。
無言のままコクリと頷くと、再びフン、と鼻を鳴らして背を向ける。
「アーノルドとターニャの事は残念だった」
ポツリと、そう呟く親方。
その言葉にマリーの体がビクッと反応する。
「ビリーといいお前さんの両親といい、イイやつ程早く死にやがる。全くこの世は理不尽なもんだ」
吐き捨てる様に続ける親方の言葉にマリーは視線を伏せながらも、どこか懐かしそうにしていた。
「父と母は喜ぶでしょうけど、きっと祖父は不機嫌そうな顔をしているでしょうね」
「フン」
マリーの言葉に返答することもなく、小さく鼻を鳴らすとそのまま奥へと消えていく。
その背中は、先程対面していたときよりも、幾分か小さく見えた。
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