第2話 少女、水、シチュー

 中は予想通りかなり広いのだが、何とも言えない窮屈感を覚える。

 確かにテーブルの数も多いのだが、広さからすればそれほど窮屈になるはずもないのだが、と店内を見回して理解した。

 テーブルとテーブルの間隔が随分と狭い。

 この広さでこの数のテーブルならもう少し広く間隔を取れるはずだが、その答えは店の奥にあった。

 店の一画に大きな棚が並べられており、それがかなりスペースを食っているのだ。

 何故このようなことを…?と疑問に思っていたが、その答えもすぐに見つかった。

 店の大きなカウンターのすぐ近く、壁に掛けられた大きな掲示板。

 あれは間違いなく、冒険者向けの依頼を掲載しておくためのクエストボードだ。

 そう、ここは冒険者の酒場だ。

 奥の棚は今ではすっからかんになっているが、おそらくはポーションや保存食など、冒険者向けの商品を陳列していたのだろう。


「あの……」


 そう考えるとテーブルの間隔の狭さも理解できる。

 冒険者の多くは無骨な連中だ。テーブルの間隔が狭いくらいでとやかく言う奴などドラゴンよりも少ない。

 カーネリアは開拓の橋頭堡として作られた街だ。冒険者を相手にする商売は正解だったのだろう。宿を併設できるだけの酒場などそうポンポン作れるものではない。

 しかしそうなると疑問もある。

 開拓の最前線から遠のいたとはいえ、カーネリアはまだまだ開拓地という認識が一般的だ。ここに来るまでにも冒険者らしき集団に何度も遭遇しているし、冒険者向けの商売をしていてこれだけ寂れる理由がよくわからない。

 店は突然潰れたりはしない、何かしらの理由はあるはずだ。


「えっと……あ、あのぉ……」


 可能性としては全盛期よりは少なくなった客をすべて眠る穴熊亭に取られたか、もしくは何らかの不正を行い商業ギルドから追放されたか。

 あと考えられるのは…


「あの!」

「おぉ!?」


 突然の声に変な声が出る。

そうだ、店の考察で頭がいっぱいだったので忘れていたが、ここは店の入り口だった。

 コホン、と小さく咳払いをして声の出どころを探る。

 薄暗い店内で少しほつれた給仕服を着た少女が困惑した表情でこちらを見つめていた。

 いるじゃないか、店員。やはり潰れていたわけではなかった。

 向けられる青の瞳を見つめ返すと、彼女はスイッと視線をそらす。

 ちょっと悲しい。

 すると、彼女の口から予想外の言葉が飛び出してくる。


「お店の件はお断りしますと伝えてあるはずです」

「ん?」

「え?」


 俺の反応が予想外だったのか、流れた視線が戻ってくる。

 よく見れば中々かわいいじゃないか。


「あの……商業ギルドの方では……?」

「ギルドにはさっき加入したが、ギルドの人間かというと違うだろうな」

「あっ、えっ、お、お客様…ですか?」

「こっちはそのつもりだが」

「しっ、失礼しまひた!」


 慌てて頭を下げ、彼女の金色の長い髪がふわりと舞う。よほど慌てたのか舌が上手く回っていないらしい。

 相当恥ずかしかったのか、わかりやすく耳まで真っ赤になっている。


「お、お好きな席へどうぞ」


 その顔を見られたくないのか、くるりと背を向けそう告げるとスタスタとカウンターの奥へと入っていってしまった。

 お好きな席……とはいうが、しっかりと明るいのはカウンター席のみだ。

 自ずと彼女を追いかけるようにしてカウンター席へと腰を下ろす。

 近くで見ると尚の事実感するが、これはかなり大きく立派なカウンターだ。

 おそらくはここで食事や酒の提供の他に依頼の手続きや宿の受付なども行っていたのだろう。

 改めて店内を見回すと、広くしっかりとした作りの店内に、ガッチリとしたテーブル。

 奥の2階へと続く階段もしっかりしている。見れば見るほど、こうして寂れさせておくには実に勿体ない。

 そうこうしていると、不意にコト、と何かが置かれる音がする。

 カウンターへと振り向くと木製のジョッキが目の前に置かれていた。

 どうやら中は水らしい。


「まだ何も注文していないんだが?」

「その……飲み物はそれしかなくて……」

「…………は?」

「ですから……お水しか……」


 彼女の言うことがすぐにか理解できず、天井を仰ぐ。

 えーっと……?


「ここは……酒場、だよな?」

「そう、です」

「酒場は酒があるから酒場だよな」

「そう、です、ね」

「酒が無かったらただの場じゃないか!」

「ひんっ」


 思わず大声が出てしまった。いけない、彼女も怯えている。ここは冷静を保つべき場面だ。

 がっ、と眼の前のジョッキを握りしめると、中身を一気に飲み干す。

 うむ、水だ。

 商業ギルドを出てからあるき通しだったので水はたしかに助かるが、やはり水だ。

 水は酒ではない。が、今は良しとしよう。これで酒が入ればどうなるかわからん。


「え、と……」


 一気に飲み干したのが予想外だったのか、彼女が目を丸くしてこちらを見ている。

 そりゃいきなり水を一気飲みされたらそうなるか。しかしおかげで幾分か落ち着いた気がする。大丈夫、俺は冷静だ。


「酒が無いのはわかった。腹が減っているので何か食事を出してほしいのだが」

「お食事ですか」

「あぁ、何が出せるんだ?」


 そう、先に聞いておくべきだ。酒場で酒が無いという予想外の事態だ。おそらく出せる料理もそう多くは無い。2種類も出せればいいところだろう。


「その……私が食べる予定だったシチューでしたら……」


 1種類も出せないとは思わなかったな!

 もうそれでいい。いや、むしろこの際、この店の店員が食べる料理というのがどのようなものなのか食べてみたい気すらしてきた。

 冒険者をしていた頃は野草のみで過ごした事もあるのだ、大抵の物は食える。

 大丈夫だ。


「それで構わないが…君はどうするんだ?」

「えと、私はまた作り直せば大丈夫ですので」

「そうか、それじゃすまないがそれを頼む」

「はい、すぐにお出ししますね」


 そういうと再びカウンターの奥へと消えていく彼女。

 その後ろ姿を眺めつつ、改めて商業ギルドの受付が言いよどんだ事を思い出す。

 あの反応が、店が潰れているという結果であればまだ理解できた。

 予想外だったのは、酒場でありながら酒も飯も出せないという状況で、まだ店を閉めていないということだ。

 通常の感覚ならばこの状況は店を閉めて違う仕事を探すのが普通だろう。

 なにせ収入がほぼ無い状況なのだ。日々の生活すら危うい。

 それでも店を閉めない事には何らかの理由があるのかもしれない。

 まぁこの街に来たばかりの人間にわかるはずもないのだが。


「あの、おまたせしました」


 コトリと小さく音を立ててカウンターに皿が置かれる。

 ゆらゆらと湯気の昇るシチューが盛られているのは冒険者の酒場らしい木製の皿。

 ふわりと漂う良い匂いが鼻腔をくすぐる。

 なんだ、思ったよりも美味そうじゃないか。

 正直、とんでもないものが出てくる可能性の方が高いと思っていただけにある種肩透かしを食らった気分ではある。

 もちろん、ちゃんと食えるものである事に越したことはない。


「では早速」


 皿と同じく木製のスプーンにてとろりとした白色の液体を掬うと口に運ぶ。

 なんだこれは。

 これを口に入れた瞬間、俺は一瞬にしてとてつもない怒りの感情が湧き上がった。


「あ、あの……?」


 スプーンを咥えたままプルプルと震える俺の姿に戸惑いを感じているのだろう、彼女が一歩下がってこちらをじっと伺っている。


「なぜ……」

「えっ?」

「なぜこれを店で出さないんだ!!」

「ひんっ」


 旨い、旨すぎる。

 予想外だ。予想外にも程がある。これほど旨いシチューを食べたのは……無いかもしれない。

 自分ではそれなりに料理ができるなどと思っていたが、自惚れにも程があった。

 これと比べてしまえば、俺の自慢のうさぎシチューなどただの水だ。

 それだけに苛立ちが隠せない。

 言葉の通りだ。何故これを店で出さないのだ。

 これを店のメニューとして提供すれば、少なくともこれほどまでに寂れる事はないはず。


「店主だ、店主を呼べ!話がある!」


 これは余計なお世話かもしれない。更に言えば、俺はこれからこの街で酒場を開こうというのだ。競合店に助言するなど商売人として考えればありえない話だろう。

 だがしかし、だがしかしだ、このシチューを表に出さずに埋もらせたままでいるのは許せない。これは多くの人に知らせるべきものだ。


「あの……」


 そうおずおずと声を掛けてくる彼女。いけない、またやらかしてしまった。

 彼女を怯えさせるのが目的ではない。俺が物言うべきは店主なのだから。

 できうる限りの笑みを浮かべて彼女へと応える。


「あぁ、驚かせてすまない。君に話をしようというのではないんだ。店主を呼んできてはくれないか」


 我ながら中々な紳士的対応であったと自負しよう。

 だが、彼女はより一層困ったように眉を八の字にする。

 おかしい、俺の紳士的対応は完璧だったはず。いや、そうか。


「そうか、店主は不在なのだな。全く、女性の店員のみを残して出かけるなど不用心にも程があるだろうに」

「いえ、違うんです……その……」


 どうやら違うらしい。が、それにしてもなんとも煮え切らない態度だ。

 もしや店主に何か弱みでも握られているのだろうか。

 よくよく考えれば、こんな状況の店で働いているなどよほどの理由がなければありえないだろう。

客が来なければチップがもらえない。チップがなければ収入がない。

常識的に考えれば働く理由など皆無だ。

 見たところ20そこそこの女性を無理やり働かせている店を放置しておくなど、この街の商業ギルドは何をやっているのか。それともここの店主は裏の連中とつながりがあるとでもいうのか……?

 などと思考を巡らせていると、俯き加減だった彼女が意を決したように顔を上げ、蚊の鳴くような小さな声で告げる。


「私が、店主、です」

「…………なんて?」

「ですから、私が店主です」


 ワタシガテンシュデス。

 そう聞こえた。ワタシガテンシュデス。

 ……私が店主です。

 思わず天井を仰ぎ、理解してしまった言葉の意味を噛み砕く。

 馬鹿な。これほど大きな酒場を彼女一人で切り盛りしているというのか?

 ……いや、切り盛りできていないからこの状況になっている、と思えば納得か。

 だとしてもだ、そうなれば気になる事はいくつも浮かび上がってくる。

 これは聞くべきかべきでないか迷うところだが、もはや乗りかかった船だ。


「込み入った事を聞くようで申し訳ないが……君のご両親は?」

「父と母は……去年……」


 そこまで言うのが精一杯だったのだろう。彼女の瞳がじわりと水気を帯びた事に気づく。


「そうか…大変だったんだな」


 思わず手を伸ばそうとして、大きく立派なカウンターが行く手を塞ぐ。

 そして気づく。俺は客。彼女は店主。その境界は容易には変えられない。

 だが変えられないものではない。

 俺は椅子から立ち上がり限界まで手を伸ばすと、うつむく彼女の手を取った。


「良ければ話を聞かせてくれないか」

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