ロナウとフリーシア

 ロナウは8歳だが、現実主義者だった。

 目が覚めてすぐにおかしな状況だと思ったが、夢だとか気のせいだとは思わなかった。

 息苦しさ、目眩、身体の冷たさ、濡れた衣服。それに、血と混ざった塩辛い水。


 海水だ。


 咳込みながら辺りを見遣ると、やはり海のようだ。

 月明かり以外に光源となるものがない。

 随分と沖のようだ。

  

 海に打ち捨てられでもしたか…


 実は殺されかけたのは今回が初めてではなかったから、暗鬱とした気持ちで当たりをつけていた。

 ロナウは第3王子で、玉座に興味は無いのだが、周囲はそうはいかない。

 ロナウは利発で、剣術、馬術何でもこなし、大人でも叶わない程有能だったから、次期王にと推す者が多数いる一方で、傀儡に出来ないロナウを気に入らないと考える者もいた。

 その主たる者が血の繋がった家族なのだから救いがない。

 家族の顔が浮かび、陰鬱な気持ちになるが息苦しさに咳込んだ。

 すると、背中を擦る手の感触があった。

 

 涙で滲む視界で他者の気配を探る。


 沖合の岩礁。

 状況から考えるに、漁師の網にでも引っ掛かって助けられたのだろうか?

 ならば、礼を言わなければならない。



 ロナウは現実主義者だった。

 どんなにおかしな状況でも、夢だとか気のせいだとは思わない質なのだが、夢ではないかと思った。

 てっきり漁師かと思っていたら、とても人間とは思えない程美しい女性で、比喩ではなく光り輝いていた。

 波打つ金の髪が腰まで流れ、大きな深い緑の瞳は困惑したように揺れていた。



 「君は…?」

 言葉を継ごうとしたが、今度こそ夢か、気のせいに違いないと思った。

 下半身が魚のように鱗に覆われ、鰭がある。

 「人魚…?」

 とても人間とは思えない美しい女性だと思ったら、本当に人間ではなかった。

 様々な伝説の生物が語られているが皆、存在などする訳がないと、現実主義のロナウは信じたことなどなかった。

 人魚とはこんなに美しいものなのか。

 今し方、死にかけたことも忘れ、人魚に魅入った。

 

 「お母様に人間と関わってはいけないと言われているから…」


 人魚が困惑しきった様子で、柳眉を下げていた。

 それで初めて、己が人魚の手を強く握りしめていたのに気付いた。


 「あっ!すまない!」

 初対面の、しかも女性の手を、相手の了解もなく握りしめていたなど信じられない。

 自分がそのような人間ではないことは、ロナウはよく知っている。

 自分はもっと冷静な人間のはずだ。

 我知らず、ふしだらな振る舞いに及ぶことなどないはずなのに…

 人魚とはこれ程までに人を惑わすものなのか。

 美しい姿と声で船乗りを惑わし、船が沈められた物語を読んだことがあるが、有り得なくもないと思う。

 もしかしたらあれは比喩で、美しい女性に入れ込んで身を持ち崩した情けない男の作った事実の捻じ曲げなのかもしれない。

 今、己が船乗りで舵を握っていたら、必ず手元が狂っていたはずだ。



 人魚の手をそっと離すと、自由な渡り鳥が飛び立つように、人魚は海に飛び込んだ。


 「待って!」

 ロナウは焦燥に駆られ叫んだ。

 ここで別れたらもう二度と会えない、そんな予感がした。

 己はただの人間で、この身は重く、自由な人魚を追いかけることは出来ない。


 

 「俺の名はロナウ。どうか君の名を教えて欲しい。」


 人魚は逡巡する様子を見せたが、そっと振り向いて囁いた。


 「フリーシア…」


 それだけ言うと、月光が照らす輝く肢体を撓らせ光の余韻を残し海中に消えた。


 ロナウはキラキラと光る海面を見つめていたが、足元に七色に光る鱗を見つけ、拾い上げた。

 ロナウは、その鱗を祈るように掲げ、そっと口付けを落とし囁いた。



 「フリーシア…」

 

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