第54話 策
ヴィンの姿が闇に溶けていく。せっかく助けられたのに。せっかくまた言葉を交わせたのに。
(ロマーナ姫、お耐えください!)
頭の中に、言葉が流れ込んできた。ティカさんのテレパシーだ。私の体をしっかりと掴む彼女の服には、ルフさんに害された傷による血が滲んでいた。
(私めは問題ございません)視線に気づいたティカさんは、首を横に振る。
(天使様は殺生を許されぬ存在。この傷が原因で死ぬことはあり得ません)
「……でも」
(姫様、どうか今は口を閉ざして私の話を聞いてください。ここがムンストンを葬り去れるかどうかの瀬戸際です)
「!」
(そう、そのまま)動きを止めた私に、彼女はゆっくりと言う。
(私は今、魔法で姿を消しております。単純なものですが、注視されぬ限りムンストンは気づかないでしょう。知らぬふりを続けてください。今はあの不死の騎士が時間を稼いでくれていますが、それも長くはもちません。急ぎあなたに策を伝えます)
ティカさんが何事か呟くと同時に、頭の中に鮮やかな映像が転送される。おびただしい数のゾンビの群れ……その端で、波を裂くようにして炎が立ち上がった。
『オルグ様! そちらにゾンビを固めました!』ゾンビの中をリンドウさんが駆ける。
『お願いしますわ!』
『おう!』
ゾンビを誘導した先でオルグ様が動く。大剣を薙ぎ払い、一気にゾンビの首を跳ね飛ばした。
幾人もの詠唱が聞こえる。映像の奥には魔法使いの人たちが並んでおり、詠唱に合わせてゾンビの体から抽出される赤い煙を透明のビンに吸収させていた。
これは……何をしているの?
(ゾンビ達に嵌め込まれた鎖のかけら――命の石のかけらを回収しているのです)
(……命の石については、ルフさんから聞いたわ。でも、どうしてリンドウさん達はこんなことを?)
(私達の目的はムンストンを地獄に落とすこと。その為の手立てがこれなのです)
私の問いかけに、緊迫した声が頭に響く。
(ゾンビとは、命の石のかけらによって魔力を得た屍。ならばその魔力を抽出することで、命の石のかけらを再生成できるのではと考えたのです。それらを繋ぎ合わせれば、『命の石の鎖』を作ることができると)
「……!」
(それだけじゃありません。その鎖をムンストンに巻き付ければ、今度は彼を『鎖の悪魔』に見立てられます。……天使様は、元より『鎖の悪魔』を地獄に連れ戻す為にこの世界に現れました。ですがムンストンに名を知られたことで、力を奪われてしまった)
(じゃあ、もし先生を鎖で捕らえられたらルフさんは帰れるの?)
(はい。併せてムンストンも無力化できます)
ティカさんは、ぐっと私の服を握る手を強くした。
(今ここしか無いのです。我々魔女は、皆ムンストンによって心臓に爆弾を仕掛けられております。万が一この策を知られれば、一人残らず殺されるでしょう)
(そんな)
(そうなれば、またムンストンは無辜の人と命の石を使ってゾンビを作り始めます。彼の欲は底無しです。不死の魔法使いとなるだけでは飽き足らず、かりそめの命のために自らの肉体と魂を分けてしまった。まるで、神にでもなろうとしているかのように。……あながち的外れでもないのです。多くの命の石のかけらを取り込んだムンストンは変質し、“人”を失ってしまった)
(人を……)
言葉を失ってしまった。脳裏に先生と過ごした日々の記憶が蘇る。嫌な思いは勿論した。「してやったり」と得意になった日もあった。だけどそれらは全て、イリュラ・ムンストンという“人”との思い出だったはずだ。
そして人ならば、必ず限界がある。私は冷静でいるよう努めて、ティカさんに話しかけた。
(ティカさん、どうして先生はそこまでできたの? 先生は生まれついての魔法使いじゃないし、自分で召喚した悪魔すら一人でどうにもできなかった。なのに、どこでそんな技術を……)
(……)
刹那、頭の中にノイズが走った。コマ送りの映画のように次々と映ったのは、どことなくティカさんに似た幼い女の子の姿。その背後には、真っ青な髪の大人の女性がこちらに笑顔を向けていた。
(……脅されていたからと言い訳をするには、私達はあまりにも深い罪を犯してきました)
映し出される世界が真っ赤に滲んでいく。血というよりは、赤い涙が落ちているように見えた。
(皆が皆、そうです。命の石の加工、ゾンビの作り方、魔力を抽出し別の器に入れ替えエネルギーとする秘術……。人々の発展に繋がるものもありましたが、その裏で奪った人の命は数え切れません。許されることでもなければ、償えるものでも無い。全ての命は取り返しがつかないのだから)
(ティカさん……)
(しかしせめて、これ以上の罪はなんとしても食い止めねばなりません)
突如、私の体に力が満ちる。まるでこれまでヒビが入った部分が修復されたかのように、どこか空回りしていた魔力が健全に体に蓄積されていく。
(今ある私の力全てを使い……あなたの体を、補強しました)
私は咄嗟にティカさんの姿が先生に見えないよう、体と服で覆い隠した。もう一つの魔法も使えなくなったティカさんの息は細く切れ切れで、今にも止まってしまいそうだ。
(……ロマーナ姫)
(ええ)
でも、今私がすべきことはここでティカさんを庇うことじゃない。分かっていた。ちゃんと理解していた。
「……行って参ります」
静かな声でそう告げて、『感覚』を司る水色の鍵を胸の前で回した。
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