第53話 狙っていた瞬間

「そうだ! そうだ! どれほど眠る貴様を叩き起こしてそう言ってやりたかったことか!」

「どれほど痴れた民どもに教えてやりたかったか!」

「俺だ! 俺が一夜にして、あの国を落としたのだ!」

「俺が! 俺が!」

 稚拙な喜劇を笑う下卑た貴族らにも似たその声に、私は微動だにできなかった。ただ黙って、ヴィンを抱きしめていた。

「……ノットリー国は、自分の傀儡でした」

 笑い声の中、右斜め後ろから言葉が返る。

「腐敗した政治、軍の脆弱性、王の愚鈍……。自分は、あの国の全てを把握していた。王を不安にさせ、軍を奮い立たせ、扇動するのは実に容易いことでした」

「サンジュエル国さえ手に入れば、あの女に奪われた鎖の核を奪える! ロマーナを奪える! まさに妙案だったのだ!」

「でも、できなかったんでしょ?」

 ここで初めて、私は言い返した。はっきり言ってやるつもりだったけど、その声はピンと張った糸のようにか細かった。

 いいや、構わない。決して恐れるものか。

「鎖の核は、ヴィンと同化して……私は百年の眠りについた。百年後に目覚めるまで、あなたは私に手出しできなかった」

「そうだ! あの女め、あろうことか貴重な石を一人の騎士に使うなど!」

「憎かった! どこまでも憎かった!」

「核さえ手に入れば、あの時に俺は不死の魔法使いになれたものを……!」

「奴のせいで仕方なく、半端モノで間に合わせるしかなかったのだ!」

 ムンストン先生らの胸から放たれる鈍い赤色に、目が引きつけられる。……半端モノとは、鎖の一部分から作られた命の石を指すのだろうか? それとも、機械化した体?

 そこまで考えた所で、私は強く突き飛ばされた。

「だが、たった今とうとう全てが手に入った」

 ヴィンの体は、先生の一人に捕らえられていた。すかさず鍵を開けて応戦しようとしたけど、別の先生によって鍵束を奪い取られる。

「騎士は死に、所有権を手放した。これで命の石は俺のものだ」

「そしてロマーナもこの手にある!」

「どれだけこの日が来るのを待ち望んだか!」

「長かった! ああああああ長かった!」

「先生、離して!」

 痛む手足を動かして、ヴィンの元へ行こうとする。しかしヴィンを捕らえた先生は、サディスティックな笑みを浮かべていた。

「姫はそこで見ていてください。あなたの最後の騎士が、命の石を抉り取られるサマを」

「やめて……」

「これはあなたの為にもなることなのです。形が残っているからこそ、諦めがつかない。さきほどから息絶えた母親に寄り添う幼児のように縋って……見苦しいにもほどがあります」

「やめて!!」

「では、お別れも済んだようですので」

 先生の手首が取れ、中から鈍色の刃物が現れる。先が五つに分かれており、ちょうど丸くくり抜けるようになっていた。高く掲げられたヴィンの胸に刃物の先が当てられ、先生らの視線が全てそこに集まる。

 だけど、その瞬間こそ私が狙っていた時だった。隠し持っていた黄緑色の鍵を取り出すと、素早く解錠する。途端に眩い光が弾けた。明かりのおぼつかぬ部屋に柔らかな魔力の粒が矢のように降り注ぎ、辺りを真っ白にする。

「なんだ……?」

 先生達は、戸惑っていた。だから、到底気付かなかったのだ。

 一切の動きをやめていたはずの青白い手が、腰に提げた剣へと伸びたことを。

「――ッ!?」

 騎士を掴んでいた腕が一刀両断された。軽やかに着地したヴィンは、私から鍵束を奪った騎士に目を向ける。逃げる隙は無かった。彼の速度と身のこなしはそれほどまでに卓越しており、あっという間に鍵束を掠め取ってしまったのである。

「ヴィン!」

「ロマーナ様!」

 目の前に来たヴィンが、私を捕らえる先生の仮面に容赦のなく短剣を突き刺した。両腕を伸ばした私の体をすくい上げ、ヴィンは先生達から距離を取る。

 泣き出しそうなのを必死で堪えて、私はぎゅっとヴィンに抱きついた。

「ヴィン、良かった……! 目を覚ましてくれて、本当に……!」

「ありがとうございます。ずっとお声は聞こえていました。ロマーナ様のおかげです」ヴィンは、優しい微笑みを返してくれる。

「しかしなんという無茶を。こんな場所まで来て、ムンストンとやり合うなんて」

「できる限り時間を引き伸ばしたかったの。黄緑色の鍵は、私の魔力を増幅させて他者に分け与えられる。ヴィンの体は魔力で動いているのよね? だったら、時間をかけて魔力を溜めていたほうがヴィンを助けられると思ったから」

「……ええ、その通りです。ご判断は正しかった」

 ヴィンは大きな扉の前まで私を連れて行くと、そっと下ろしてくれた。それから鍵束を渡して、背を向ける。剣を構える先の闇には、複数の金属が耳障りに擦れる音が響いていた。

「決してそこを動かないでください」

 ヴィンの体を赤い光が覆っている。命の石の力だろうか。

「それと、残りの鍵は施錠しておくのが良いかと。少しはお体の負担が軽くなるでしょう」

「分かったわ」

「申し訳ありません。僕が不甲斐無いせいで、ロマーナ様には大変辛い思いをさせてしました」

「そんなの平気よ! 私だってヴィンを助けたくて……!」

「……やはりあなたは、お優しい方ですね」

 ヴィンが振り返る。彼にしては珍しい表情に、私の息は止まった。

 無理矢理作ったような笑みだった。苦しくて堪らないのを、ごまかすかのような。

「必ずあなたを守ります。僕の全てに代えても」

 背後の扉が開く。そこに向かって、彼は小さく頭を下げた。

「後はよろしくお願いします、ティカ様」

「勿論だとも、不死の騎士よ」

「え!? なんでティカさんが……!」

 ロマーナが事態を把握する前に、ヴィンは飛び出した。何か言わねばと一歩踏み出そうとした私の体は、ティカさんによって強く引き止められていた。

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