第44話 一瞬の魔力

 同時に、ヴィンの目が苦しそうに細まった。

「……まさかとは思いましたが、やはり」

「ヴィン殿、この欠片について何か知っているのか?」

「僕、というよりは体が知っているようですね」

 ヴィンはアッシュを片手で吊るしたまま、器用に自分の胸元を開ける。はだけられたその場所には、真っ赤な宝石が埋まっていた。

「な、なんだその石は! それではまるで、あのゾンビ共のような……いや」

 思わず後ずさりしかけたオルグだったが、すぐにしげしげと胸元の石を観察する。

「……違うな。あのゾンビ共の石はもっと小さく、色も濁っていた。対してヴィン殿の胸にある石は、大きく色も鮮やか。違うもの……なのか? それにしては、あまりにも似て……」

「同じなんじゃないですかね。質は違うようですが」

 ヴィンの視線がリンドウに向けられる。頷き、彼女は言葉を継いだ。

「オルグ様、こちらは百年前にサンジュエル国王妃がヴィンに埋め込んだ“命の石”ですわ。あたかもそこから生まれるかのように、魔力が無限に湧き出る不思議な石――。何故そんなものを王妃が持っていたかは分かりませんが、唯一確かなのはこれによりヴィンの命が固定されてしまったこと。彼の体は、心臓の止まった百年前の瞬間から、動くことができなくなったのです」

「それが……ヴィン殿の不死の理由なのか? な、なんという壮絶な……」

「言っておきますが、承知の上ですよ。定命の身を捨てねば、百年間も変わらぬ姿でロマーナ様をお待ちすることはできませんでしたから」

「……なんとも忠臣だな」

「あの方は一日にして全てを失ったのです。たった一人でも見慣れた者がいれば、多少の慰めにはなるでしょう? ……さてと」

 一瞬だけ柔らかな笑みを浮かべたヴィンだったが、すぐに口元を引き締める。

「布饅頭、あなた今から僕ら全員を連れてノットリー城まで飛べますか?」

「飛ぶ!? ハン、何を戯れ言を! ロマーナの魔力が無い今の我では、羽虫も同然!」

「胸を張って言うようなことではないと思いますがね。でしたら、大量の魔力があればいいと?」

「まあそれならできんことは無いが……ギャウンッ!?」

 ヴィンはアッシュの足首からパッと手を離すと、ナイフを引き抜いた。それから白銀の切っ先を胸の赤い石に当てる。

 狼狽したのはリンドウだ。

「ちょ、何してんの!? 命の石を壊したら、アンタも死んじゃうのよ!?」

「僕が死ぬのは、命の石の魔力が尽きた時ですよ。ならばそれまでに、ロマーナ様に会えば済む話。布饅頭曰く、あの方の魔力の一つには回復にあたるものがあるそうですから」

「だからって間に合うかは……!」

「リンドウ。もはや僕らには、時間も選択肢も無いのです」

 まだ何か言いたげなリンドウだったが、彼女の肩に乗った大きな手が引き止める。振り返るリンドウに、オルグははっきりと頷いた。

 リンドウは口を閉じざるを得なかった。覚悟を決めたオルグの目にも、自分と同じ憂いが浮かんでいたのだから。

「では布饅頭、良いですね?」立ち上がったアッシュに、ヴィンは言う。

「石は割れた瞬間に最も魔力を発します。まあ“鎖の悪魔”たるあなたならば、タイミングを逃すことは無いでしょうが」

「……ワン? 貴様、その名を知っていたのか?」

「ええ。理由を知りたいのなら、生きて帰ってきた時に種明かししてあげますよ」

「フン、つくづく小癪なニンゲンめ」

「ふふ」

 ヴィンが小さく笑ったのに、アッシュは少し驚いた。だがそれに何か言う前に、アッシュの背中にヴィンの手が触れる。

「あと、僕の小指返してもらいますね。忘れる前に」

「何その気色悪いの! 我知らないんだけど!」

「言ってませんでしたので……」

「流石に事前に断るべきである!」

 喚いてはみたが、アッシュとて時間が無いのは知っているのだ。渋々、ヴィンの体の周りに変幻自在の髪を広げる。そして一呼吸分の空白の後、鮮血よりも真っ赤な光が周囲一帯を染め上げたのだった。




 冷たく無機質な手が私の腕を掴み、早足で歩いていく。魔法使いさんの部屋から出された私は、先生によって連行されていた。逃げようとも思ったのだけど、私の後ろにはルフさんが張りついていてはそれもできない。仮面の向こうの冷たい視線は、ピッタリと私に固定されていた。

 ……温度が無いのは、ヴィンだって同じのはずなのに。何故、先生の手はこんなにも恐ろしく感じるのだろう。

「……自分は、少々姫に甘過ぎたようでございます」

 今、私の住まいとしてあてがわれていた部屋を通り過ぎた。どこに連れて行かれるのだろう。

「愛する妻なのだから高待遇は当然のこと。しかしこの誠実にあなたが返したのは、疑いようも無き裏切りでした。その点、理解しているのでしょうか?」

「……」

「……ほう。一度姫たる地位についた者は、地に落ちた後も謝罪すらできないと」

 冷淡でねちねちとした言葉に、私はずっと押し黙っていた。頭の中で、ティカさんのいた場所に広がった水溜まりの赤い色が離れない。

 石の階段を降りる。こもった匂いのする空間に足音が響く。点々とランプは設置されているものの、足元を見るのがやっとの明るさしか無かった。その中で、私はじっと今ある自分の感情を見つめていた。困惑、哀しみ、罪悪感……。その中で、何より強い感情があるのに気づいた。

「さあ、今日からここがあなたの部屋です」

 連れてこられたのは、頑丈な独房である。ルフさんが初めて前に出て、鉄の鍵を開けた。

「入ってください」

「……」

「早く」

 ドンと突き飛ばされ、口を開けた独房によろめき転ぶ。倒れた私に、先生が近づいてきた。

「自分は夫とした誠心誠意を尽くしたのに、裏切られました。貞淑な妻として許される行為ではありません」

「だから、私は先生の妻なんかじゃ……!」

「よって、あなたには罰を与えねばなりません」

 先生の手に握られていたものに、心臓が止まりかけた。彼が持っていたのは、色とりどりの鍵束。私が魔法使いさんから受け取ったものじゃない。これは、先生が奪った……!

「罰には苦しみが必要です。二度と逆らわないと思い知れるように」

「そんな……!」

「自分の立場をわきまえろと言っているのです」

 暴れて抵抗しようとした。でもルフさんが何やら呪文を唱えると、私の手足は動かなくなった。

 胸の前で、先生の持つ紫色をした鍵が静止する。ガチャリと、解錠音がした。

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