第45話 牢の中
「……っ!」
全身を、凄まじい重さが襲った。冷や汗が止まらない。心臓が奇妙な動き方をしている。苦しい。頭が痛い。息をするのがやっとだ。
「ルフ、ロマーナ姫の状態は?」
「後一本解放すれば、“器”が内側から壊れるでしょう」
「そうですか」
……そうだ、ティカさんが言っていた。私の体では三本の鍵を解放するので限界なのだ。でも私が知ってる限り、今開いている鍵は一本しか無かったはず。つまり、残る一本は先生が――。
「……気づいたようですね。そうですよ。鍵の性能を試すため、あなたが寝ている隙に一本開けさせていただきました」
先生が、チャリンと青の鍵を突き出して見せた。
「なのであなたの錠は今、三本解放された状態です。……苦しいでしょうね。その貧弱な器では」
「……ッ」
「ですが、まだ終わりではありませんよ」
青い鍵に変わり、赤い鍵が現れる。彼が何をする気かすぐさま理解した私の喉は、恐怖に引き攣った声を上げた。
「ええ、そうです。鍵ならば、こうして半分だけ解錠することもできます」
「……!」
ゆっくりと、鍵が回される。指の先までもが、苦しみに悲鳴を上げていた。脅かされる命に、脳が無理矢理世界を閉じようとしてくる。
ルフさんは何の感情も無く私を見下ろしている。先生の表情は窺えない。転がり悶え苦しむ私だけ、きっと滑稽だ。
「……ふふ」
「……?」
――ああ、惨めだな。悲しいし、情けないし、悔しくて堪らない。でも、私は知っていた。自分は、決してこんなことをされていい人間じゃないと。
理不尽とは、戦うべきだと。
「は……!? 何故お前、動け……!」
拳を握りしめる。全身に力を込める。全ての怒りをぶち込んだ目で、先生を睨みつける。
――泣いてたまるか。かよわいお姫様で、終わってなるものか。
噛みつけ。戦え。最後の最後まで、目を開け。
「……私、すごく、怒ってるわ……!」
息が切れる。気にしない。絶対に、先生から目を離さない。
「私の友達を……傷つけたこと。私を、こんな目に遭わせたこと……!」
「……至極真っ当な罰でしょう。あなたはご自身がやったことへの自覚が」
「さらわれたんだから! 逃げて当然でしょ!!」
渾身の力を振り絞って先生に飛びかかった。一瞬服を掴んでやれたものの、即座にルフさんの魔法で弾き飛ばされる。
「身の程をわきまえなさい」
床に叩きつけられた私に、ルフさんの鋭い声が降ってくる。
「アナタと主人では、ヒトとしての格が違うのです。格が違うのならば扱いも違って当たり前のこと。アナタには、それが理解できていない」
「……違わない。だってその格は、ルフさんと先生の中にしか無いもの」
「はい……?」
「私からすれば、皆対等だわ。ルフさんも先生も、私も、あなたがさらった魔法使いの人たちも。だから私は、あなた達のしたことは到底納得できない」
「……くだらない傲慢ですね。まさに、ヒトを体現したような」
「体現するも何も、私はヒトよ」
強引に口角を上げて、二人を見上げてやった。
「私の心は、負けない。あなた達が決して奪えない場所に、私の柱はある」
「……」
「……もういいでしょう、ルフ」
金属の音を立てて、先生が私に背を向ける。
「所詮意地だけで動いている体です。まもなく、呼吸を続けることすら難しくなってくるでしょう。罰としては十分な苦しみです」
「……」
「ああ、それ以上体を動かないほうが良いかと」
転がる私に、先生は機械的な言葉を発する。
「なんせ命に関わる四本目が、既に半分解錠されているのです。ほんの小さな弾みで、完全に開いてしまうかもしれません」
「……だらしないこと、するのね」
「しばらくしたら、ちゃんと閉めに来てあげますよ。それまで、あなたが生きていればの話ですが」
耳障りな笑い声がする。牢の扉は閉められ、しっかりと鍵をかけられる音がした。
足音が遠ざかっていく。石の床に突っ伏したまま、私はじっと体の苦しみに耐えていた。
(……ヴィン)
誰にも奪えない気持ちを、強く思い出す。私はぎゅっとまぶたを閉じ、瞬間心の中の恐怖と戦って、ある決意と共に目を開いた。
ロマーナから離れたムンストンは、苛々と金属の足を動かしていた。
「……」
黙って付き従うのは、白き従者ルフ。ムンストンはおもむろに腰に提げていた剣を引き抜くと、振り向きざまに彼女の腹を裂いた。
「……ッ!」
だがルフはぐらりと一度揺らめいただけで、何事も無かった無かったように元に戻る。その姿も苛立たしく、次は首を落としてやろうかとムンストンは向き直った。
「強い魔力が、近づいてきています」
しかし放たれた言葉により、剣は止まった。ムンストンは、顎をしゃくって続きを促す。
「あの鎖の悪魔の魔力が、凄まじい速度で城に向かってきます。加えて命の石の魔力も感知しました。私が知っているものとは、段違いの力です」
「……ほう。つまり、不死の騎士も共にいるということか」
ムンストンの唇が歪んだ。忌々しい古傷が彼の皮膚を神経質に引き攣らせ、大きく触れた感情が機械音声にノイズを混じらせる。
「来るのか。アイツが来るのか。やっと殺してやれる。やっと! 自分から全てを奪った奴を。最も深い絶望を与えたアイツを! 粉々に切り刻み、生存を後悔する痛みを与えてくれる! 殺す! 必ず殺す! 殺す!!」
「承知しました。このルフも尽力いたします」
「不死の騎士が死んだらお前だ! お前も無惨に切り刻んで殺してやる! その次は魔法使い共! そして全てが終わったら、手足と舌を奪ったロマーナとこの城で永遠に暮らすのだ!」
「仰せのままに」
頭を垂れたルフの頭を、ムンストンがついでばかりに蹴る。それでもルフは、何も言わなかった。
「ゾンビ共を放て」
残酷な一声が、薄暗い廊下に反響する。
「魔法使い共はもう死んでも構わん。十分利用した。今日で自分の復讐も終わり、明るい未来に進むことができる」
「かしこまりました」
「では自分は、玉座の間にて奴らの到着を待つとしよう」
最後に一度頭を下げ、ルフはムンストンの前から去っていく。ムンストンはしばし何か噛み締めるようにその場に立っていたが、やがて堂々たる態度で玉座の間へと歩き始めた。
――誤算があったとしたら、二点。一つは、ムンストンが廊下にいたこと。もう一つは……。
「グオオオオッ!!!!」
「!?」
廊下のステンドガラスがぶち破られる。飛び込んできたるは、四対の翼が生えた大犬に乗った血色の悪い青年。彼はムンストンの姿を認めると、わざとらしくにっこりと笑った。
「これはこれは、イリュラ師。大変ご無沙汰しております。しばらく見ない間に、幾分背が伸びたようにお見受けしますが」
ムンストンは、何も返せなかった。憎しみが彼の口を縫いつけ、腹の底を沸騰させていたからだ。
「おや、最低限の挨拶も蔑ろにされるとは、教育係の名が聞いて呆れます」
銀の大犬から、ひらりと不死の騎士が飛び降りる。かと思いきや、彼はムンストンの鼻先まで距離を詰めていた。
「――僕の姫を返していただきますよ」
かち合った剣の奥で、エメラルドの瞳は怒りに赤く燃えていた。
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