第34話 それぞれの

「……ええ、ご無沙汰しておりますわ、先生」

「おや、意外ですね。もう少し驚いていただけるかと思いましたのに」

「姫たる身ですもの。はしたない姿はお見せできません」

 嘘だ。実際腰を抜かしそうになったし、足はまだブルブルと震えている。けれど、思い出した記憶が私を支えてくれた。今冷静でいられるだけの気持ちを与えてくれていた。

 冷たい床。冷たい壁。部屋は薄暗く、灯りは古ぼけたランプが点々と置かれているだけ。やたら天井は遠く、窓が板で打ちつけられていること以外はまるでお城の礼拝堂のようだ。

 そして、私の前で半分壊れた玉座に座る男。声こそは、記憶に新しい先生のものだったけれど……。

「その仮面……どうされたのですか?」

「ああ、お気になさらず。昔酷い火傷を負いましてね。見苦しいので隠しているのですよ」

「……本当に、先生なの?」

「くどいですよ。証拠が必要だというのなら、あなたの幼少期の話などお聞かせましょうか? 王妃の化粧道具を使おうとこっそり部屋に忍び込み、出られなくなったあなたは部屋にあったクッションというクッションを窓の外に放り投げた挙げ句窓から――」

「わー! 分かったからその先は言わないで!」

 人の弱みを突いてくるとは、相変わらずイジワルな人である。本当に国の名前になるぐらい尊敬を集めてたんだろうか。百年前から全然変わってない。

 ……ん? 百年前?

「先生……なんで死んでないんですか?」

「もっともな疑問ですが、もう少し穏やかな表現を用いられないものでしょうかね」

「どうして生きてるんですか?」

「ニュアンスが変わっておりませんが」

「もしかして先生も、魔物の血が流れてる魔法使いだったりするの?」

 何気ない疑問だった。けれどこの一言に、先生の纏う空気が一変した。

「……なぁに。錬金術にて、何度か命を得ただけですよ」

 先生が立ち上がる。……この人、こんなに背が高かったっけ。それに、不自然に手足が長過ぎるような……。

「何も問題ありません。ええ、多少はこうして姿が変わりましたが。ただ、姫、あなたの目覚める時までどうしても自分は生きている必要がありました」

 一歩一歩、先生が私に近づいてくる。カツンカツンと無機質な音が響き、やがて私の前で止まった。長い袖から先生の腕が伸ばされる。瞬間、私の心臓は凍りついた。

「再会できて、とても嬉しいのですよ。これでようやく、あなたを我がものにできる」

 私の頬に触れたのは、冷たい金属。彼の腕や手は、歯車やネジなどの部品が複雑に絡まりあってできていた。

「……愛していますよ、ロマーナ姫」

 そして私は、彼の胸からこぼれる赤色の光を見たのである。




 ――仮面をつけた白い鳥は、ロマーナを羽で覆ったと思いきや煙のようにその場から消えてしまった。魔法を使ったのだろう。ヴィンは何も無くなってしまった緑の場所を睨みつけ、苛々と口に溜まった血を吐き捨てた。

「ヴィン殿! ロマーナ姫は無事か!」

 テトラに先導されたオルグとリンドウが現れた。そちらに気を配る余裕も無く、ヴィンは黙って首を横に振る。

「……そう。あの白い鳥にさらわれたのね」

 察しの早いリンドウが、悔しそうにうつむく。ロマーナに会ってさほど時間が経っているわけでもないのに、そこまで親身になってくれるとは。思ったより彼女は情の深い人間なのだなと、ヴィンは妙に落ち着いた感想を抱いた。

「すまない、ヴィン殿。私がもっと早くここに駆けつけていれば……!」

「……その場合、死体が一つ増えていただけですよ。あの鳥はあなたと相性が悪いでしょうから」

「そうなのか?」

「知能型の魔物です。人語も解し、喋りました。それなりに策も使ってくるでしょうし、僕の立ち回りに翻弄されるようならとても敵わないでしょうね」

「ぐぬっ」

「ちょっとちょっと、よろしくて!? アンタだって負けたくせに、オルグ様に偉そうに言ってんじゃありませんわよ!」

「リンドウはそんな口調でしたっけ」

「アタクシはいつでもこうですわよ! とにかく!」

 リンドウは、ヴィンとオルグの間で雄々しく腕を組んで立った。

「一刻も早くロマーナちゃんを助け出しましょう! その為にはこのアタクシ、リンドウ・バステ・ト・ルーも手伝ってあげますことよ!」

「それは心強い。ぜひよろしくお願いします」

「ヴィン殿! 力不足かもしれんが、私も……!」

「あなたは最初から勘定に入っています」

「お、おお」

「ですが、よろしいのですか?」

 ヴィンは、複雑な感情に染めた目をオルグに向けた。

「ロマーナ様は、まだあなたとの婚約について了承したわけではありません。つまり、彼女は正式なオルグ公の婚約者ではないのです」

 言葉に詰まるオルグ。……の横で、リンドウはこの世の終わりみたいな顔をしていた。どうやら彼女は、オルグがロマーナの仮の婚約者であることをすっかり忘れていたらしい。

「……私もこの一週間、返事を聞くのが怖くて逃げに逃げていたからな。恥ずかしながら」

「まあ、僕も極力ロマーナ様がオルグ公に会わないよう動いていましたから、その点は何も言えませんけど」

「そうだったのか。何故だ?」

「何故でしょう……。ともあれ、ロマーナ様は現段階ではあなたと縁の薄い方です」

「……」

「加えて、あなたは公爵という立場のある身。勘定に入れておいてなんですが、本当に構わないのですか?」

「……ああ、勿論だ」

 オルグは、堂々と胸を張った。

「あの方は私の心の恩人ともいえる方。たとえ婚約を断られたとしても、助けぬ選択肢は無い」

「……それを聞いて安心しました。ありがとうございます」

「しかし、どうやってロマーナ姫の居場所を突き止めるんだ? 何か手がかりがあるのか?」

「ええ、文字通り」

 ヴィンが持ち上げた左手を見たオルグとリンドウは、軽く悲鳴を上げる。彼の小指が、根元から無くなっていたのだ。

「布饅頭の体の中に僕の指を入れて、ロマーナ様に渡しました。これで彼女が布饅頭を手放さない限り、僕はどこまでも自分の指を追い続けることができます」

「そ、そうか……相変わらず自分の体に頓着が無いな」

「お気になさらず。で、僕の指があるのは……」

 森の中にも関わらず、ヴィンは迷いなく南を指した。

「あちらです」

「なんですって? それ本当なの? だってそっちは――」

「はい」

 ヴィンのエメラルドの瞳が険しくなる。

「かつて、ノットリー国があった方向になります」

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